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第37話
空港で支社の幹部と関連会社の関係者の出迎えを受け、俺達はまず指定のホテルに向かった。ヤツは用意されたスイートルームに俺を残し、午後からの会議のために支社に出掛けた。
仕事に関してはベテランの秘書が同行するので問題はないという。引き合わせてもらった第一秘書とかいう女性は、やはり美人だが見たところミハイルより幾つか歳上らしい。色んな意味でベテランらしく、俺を見ても別段何を訊くわけでもなく、
ーよろしくー
と手を差し出しただけで、握手を済ませると、またスケジュールのチェックを始めた。
ー親父の代からの秘書だー
と言われて何となく納得がいった。レヴァント-ファミリーの秘書......でもあるらしいことは隙の無い身構えから察せられた。
「私はこれから会議だ。レセプションは夜だ。迎えを寄越す。それまでターゲットの資料に目を通しておけ。他は自由にしていていい」
秘書を先に部屋から出し、ミハイルは軽く
口づけて言った。
「GPS 付きだしな...」
と軽口を叩くと、さりげなくウィンクをして出ていった。西洋人のこういうノリはやはりイマイチ苦手だ。
俺はミハイルから渡されたタブレットをもう一度確認した。
ターゲットは、『高瀬 歩』。この身体の元の持ち主の伯父だ。アイツの....というかこの身体の遺伝子と近いだけあって、造りや見栄えはそう悪くはない。だが、目元-口元のあたりに、そこさかとなく『厭な感じ』がある。よく言うところのサイコパスや変質者にありがちな『歪み』が見える。懇意であるという凌征会の代表、『田村 征』も立派な起業家のように振舞っているが、目付きやまとっている空気が如何にも極道だ。
ーまぁ、一般人が見ても気づかないかもしれないが.....ー
要は同じ種類の人間の匂いがする.....のだ。以前の自分がまとっていたのと同じような匂いが.....。
ーそう言えば.....ー
ヤツは実に巧く隠している。今日あたりの様子を見れば、手堅い気鋭の実業家にしか見えない。大企業グループのCEO に相応しい威厳と風格はあるが、マフィアのそれとは結びつきづらい。まるでマフィアは副業で実業家が本業のようだ。いや実際そうなのだろう。
だが、俺は幽かな違和感を感じていた。実業家ともマフィアとも違う匂いが、ミハイルにはあった。それが何かは俺にはわからなかったが、ともかくターゲットの情報を頭に叩き込んで、ホテルの部屋を出た。
ヤツの滞在するホテルから角を二つ曲がり、地下鉄に乗り込む。駅を五つ通り越して下町の雑多な商店街に出る。
ー変わってねぇな.....ー
俺が十八までオヤジと暮らした街。ヤツに追われて身を隠していた街.....。商店街の外れの古びた喫茶店の扉を押す。
「いらっしゃいませ......」
カウンターの中には三十代くらいの若い店主。その前に仕事の息抜きらしい営業マンが座っていた。壁際の外から見えづらい席に座るのは、オヤジに連れてきてもらっていた頃の習慣だ。
「何になさいますか?」
「モカブレンドを.....」
見慣れぬ客に緊張気味の店主がおしぼりと水をテーブルに置く。俺はいつものオーダーを入れた。ここでは、ずっと同じオーダーだ。俺は変わってしまったが、嗜好が変わるわけではない。
「今は音楽はかけないんですか?」
とミハイルに教わったー見た目に合った口調で訊いた。店主と営業マンが少し驚いたように俺を見た。俺はさりげなく付け加える。
「知り合いに、懐かしい音楽の聞ける喫茶店があるって聞いていたから.....あ、マスター変わったんですね」
「いいですよ。何かかけましょうか?父も昔を知ってる方がいらして嬉しいでしょう」
店主はちら...とカウンターの片隅の写真立てを見た。お洒落な髭をたくわえた老人が、穏やかに微笑んでいた。俺はちょっと寂しくなった。
「センチメンタル-ジャーニーを.....」
俺は言って煤けた木の壁に凭れた。そうして小一時間ばかり、懐かしい街に埋もれていた。
ニコライが渋い顔をして、窓から顔を覗かせるまで。
ーそろそろお帰りください。お待ちですよー
ニコライはほんの少しドアから顔を覗かせ、小声で言った。俺はコーヒー代を払い、ニコライの運転する車でホテルに帰った。
オヤジの好きだった『センチメンタル-ジャーニー』を口ずさみながら....。
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