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たんすのおんなとはこびやかぎょう:01
食べて、吐く。
食べて、吐く。
その繰り返し。
「マキ……マキ…………、あっ。ありました、えーと……マキ、アキヒデ、さん?」
味がなければマシな方で、大概は吐き気を伴う程のひどい臭いと不味が咥内に満ちる。不味い、なとど表現するのは生ぬるい。酸っぱいとか苦いとか辛いとか、そういう味ならまだ我慢ができる。暇な時間は腐るほどあるので、それがどんな味なのか他人に伝わる表現を考えてみたことがあるが、伝えたところで同情しか得られないと気がついた。
たぶん、腐ったゴミや動物の死体を口の中いっぱいに詰め込まれた人間しか共感してくれないだろうし、そんな人間の共感が得られたところで、人生が変わるわけでもない。
食べて、吐く。
食べて、吐く。
その繰り返しに変わりはない。
「いやーほんとはねー読み方メイシューなんですけーどねーまあ面倒なんで別にあきひででもいっかなぁと思うしどっちでもいいっすわー。奥襟さんに電話つながらないから、アポなしで来ちゃったんすけど、まさかえーと、そんな大変な事になっていたとは。お忙しい中すいません」
「……ああ、いえ。ボクも、ここの正式な社員というわけでは、ないので。葬儀も、もう先月の事ですし。マキ、さんの書類はこちら、ですね。お引き取りになりますか? それとも、処分、しますか?」
「あーうーん。……持って帰ってもなー。俺自身の案件じゃないし……依頼してた仕事って、他の人に引き継がれたりとかはしないんです?」
なるべく口は開きたくない。喋りたくないという理由もあるし、口の中に、なにも入れたくないからだ。
アレは、すぐに入り込もうとする。こんなに弾く力が強い場所でも、ちらちらと、外からこちらを窺っているに違いない。
この人が帰ったら、マスクを変えよう。酒を振ったマスクのささやかな除霊効果など、あってないようなものだけれど、それでも、なにもしないよりはマシだ。
「引継は、たぶん、しません。エリ……さんは、おひとりで仕事をしていたから。ボクはただ、彼女の遺言で、事務所と依頼人データの整理と処分を、しているだけなので」
「そっかー。まあ、そんならしゃーないっすね。あ、書類は処分してもらっていいですっていうかお手数ですけど処分お願いします」
「わかりました。……エリさんが、生前お貸ししたもの、譲ったものに関して、もし返品したいというものがあれば、今月いっぱいは、この場所は事務所として解放していますから」
唾液が乾く気配がした。
早く、この男を追い出したい。エリちゃんの結界が、まだ残っている。この場所なら、多少ではあるが、不快感を紛らわせる事が出来る筈だ。
義務的な挨拶を交わして、扉を閉めた後にいつもの飴の缶を取り出した。からんからんと、缶の中で飴が転がる音がする。外ではいつも舐めているこの飴も、この場所なら絶えず口に入れている必要はない。
ほのかな甘さを期待して、丸く黄色い固まりを口に入れた瞬間、咥内に満ちた檸檬の香りと強烈な甘さにボクは、一瞬、といわず数秒間、ほんとうに、息も忘れて固まった。
……いつかキイくんにも運命が巡ってくるよ、と。
そう言ったエリちゃんの顔が、浮かんで消えて、ボクはできうる限りの速さで閉めたばかりの扉を開けて外に駆けだしてみたけれど、やっぱり、目当ての人物は姿を消した後だった。
檸檬味がすう、っと薄れていく。
ほかの人間に触れる前に、と、ボクは建物の中に体を戻し、そして今しがた訪ねてきた男の全てを思い出そうと必死に頭をひねった。
「……マキ、マキ……メイシュー……」
それはたぶん、ボクにとっての、運命の名前だった。
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