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たんすのおんなとはこびやかぎょう:02

「預かってもらうことって、できないんでしょうか」  うーん、その台詞三回目! とは口に出さず、神妙な苦笑いを作るのは割と得意だ。申し訳なさを眉毛あたりで表現しつつ、ほんの少しトーンを下げた声で唸ってから、こちらも三回目のセリフを吐いた。 「それがですねぇ……その、あれなんですよー、預かってもいいんですけどうちは除霊とか、そういうのやる宗派じゃないんで、結局普通に保管することしかできないんですよねー。まあ、それでちょっと細川さんの気が晴れるとかなら、それでもいいんですけど、いやでも例えば鞄とか人形とかならイイデスヨーってお気軽な気持ちでホイホイお預かりもできるんですけど。箪笥ですよね? いやー、引きずって持ってきてくださーいなんて、軽々しく言えるもんでもないですよね箪笥。うちに持ってきていただいても結局ただそこに置いておくだけしかできないんで、もういっそ捨てるとかそういう選択肢の方が建設的なんじゃないかなぁなんてー……」 「でも、その……変な事をして、何かあっても怖いですし。心霊写真とか、何もしないで燃やすとよくないとか、あるんでしょう? そのー、お祓いみたいな事とか……」 「お祓いとかだと神社関係の方ですかねぇ。祓いたまえ清めたまえってやつ。うち、寺なんで。そういうのはちょっと専門外ですかねー」 「そうなんですか……困ったなぁ…………」  困ったなぁ、と首を傾げられても困るのはこちらの方だ。ただひたすら困っている細川夫妻に困り果てたうちのお兄様は、もう苦笑いする力もないのかぐったりした顔で俺にバトンタッチして家の中に消えた。できることなら俺もその後を追いたいのだけれど、頼むと言われたからにはこの困った困った連呼の二人組を敷地内から追い出さないとたぶん、家に入れてもらえない。  寺の住職なんか口八丁でなんぼだろうに、正式に親父の後を継いだ兄はなんだか妙に堅物で、真面目なんだけど応用力に欠ける。直球正論を貫くお兄様には、『うちの箪笥に幽霊が詰まっている』なんていう荒唐無稽な相談事をふんわーりレシーブで弾いて断る、なんていう技は繰り出せないのだろうそりゃそうだ。  今日こそは先週届いた海外ドラマのDVDボックスを消化すんだ、と意気込んで帰って来たのにこのザマだ。  今日は珍しく仕事も順調で、隣の席の友人かつ相棒の桑名パイセンから毎度おなじみホラーな相談があるわけでもなく、本当に和やかに帰宅した。電車が遅れることもなく。帰宅途中に犬に吠えられることもなく。うわーい今日平和じゃーんやっほーい、なんて馬鹿面で帰宅したとたんにこれなんだから、やっぱ俺の日常に平和の文字なんかないのかもしれない。  俺の御帰宅を出迎えてくれたのは、疲れた顔のお兄様こと秀善くんと、三丁目の檀家さんである細川夫妻だった。いやまあ、出迎えたっていうか、玄関前でごねごねしてただけなんだけどね、三人で。  明秀代わって、と疲れた顔の兄にバトンタッチされ、訳も分からずハイハイなんすかと耳を傾けた細川夫妻の話は、確かに、我が家に持ち込まれてもどうしようもないご相談だったわけだ。 「あのー、まあ、宗派にもよりますけど。うち浄土真宗じゃないっすか。浄土真宗って、幽霊っていう概念がないっていうか、亡くなった方はすべからく輪廻に入っちゃうんですよぅ。すべからく。すべからくです。だから、この世にとどまっている魂っていう概念がそもそもないんですよね? イコール幽霊という概念がない。というわけで、幽霊を成仏させましょうっていう考え方が存在しないんです。故に、うちはそのー例えば除霊とかそういう事はできないんですよ。霊はいないっていう方向性なんで、浄土真宗」  これは二回目の丁寧バージョンの説明なんだけど、相変わらずうちの玄関前をジャックした細川夫妻は困り顔で首を傾げるばかりだ。ちょっとおバカさんなのか……? なんてうっかり口から出そうになっちゃうけど流石にそれをここで口にしたらヤバい事はわかるので、言わない俺ってばとてもえらいから誰か褒めてほしいわりとマジで。  まあでも、藁にもすがりたい気持ちはわかる。  職場の縁で桑名と木ノ下ちゃんの幽霊騒ぎに首突っ込んで、個人的にそこまで霊とか呪いとかに悩まされていない俺でも、ああいうのって大変よねって実感している。怖いとかはそういう被害面はおいといて、どこにどう相談してどうやって解決したらいいのか、正直さっぱりわからないのだ。  ネットで検索しても怪しいサイトしか出て来ない。一見事務的な除霊事務所的なホームページがヒットしても、隅から隅まで読んでいるうちに疑心暗鬼になってくる。かっちりきっちりしすぎていても『詐欺なんじゃ?』とか思っちゃうし、逆に見るからに怪しいのはやっぱりストレートにそのまま怪しいと思う。  昨今調べるって言ったらオッケーグーグル先生なわけで、そこで調べてこの結果だと、あとはもうリアルな伝手を頼るしかない、というのも己の身をもって体験しているのでほんと、わかるよと思うけど力になれませんという言葉を撤回するわけにもいかないのだ。  正直うちの宗派では対応できなくても、普通に寺としての膨大な人脈駆使してそういう霊能者的な人にコンタクトを取れなくもない、らしい。事実俺は親父に頼み込んで、無理矢理そっち関係の人を紹介してもらった。  奥襟と名乗った女性は、ちょっとファンキーな格好をした普通のお姉ちゃんだった。  俺が個人的に知っている霊能者は彼女だけで、そして彼女はどうやら先日、死んだらしい。  この詳細はわからない。連絡がつかないので名刺に書いてあった事務所の住所を尋ねたら、こっわい感じのおにーちゃんに至極無愛想に『奥襟さんは先々月に亡くなりました』と言われた。彼女に関してはそれきりだ。  唯一知っている霊能者が居なくなってしまった今、霊能者を紹介してほしいのはむしろ俺の方だ。  細川さんに紹介できる伝手があるなら先に桑名に取り次いでるっつー話だよまったくもう。自分が献身的すぎて泣けてきた。なんかちょっと友情ってすごくね? と思ってきた。来週肉おごって貰おうそうしよう。あと細川さんほんと早めに帰ってくれないかな俺のDVDボックスタイムが刻々と削られていくのですけれど。  頼るものがない気持ちもわかるし、浄土真宗が云々とか言われても知るかよって思うのもわかるし、寺も神社もなんかこう似たようなもんじゃんって思われてるのもわかるけど。わかるけどわかるからじゃあ俺がどうにかしましょうって訳にいかないというか、事実できないんだからどうしようもない。  もうその箪笥捨てちゃえば? とやんわーり伝えてみるものの、細川夫婦はデモダッテを繰り返すばかりだ。 「まあとりあえず今日は院主も坊守も通夜で出かけてますし、後々相談してからご連絡しますので」  嘘だけど。たぶん奥で酒飲んでるけどうちのおとーちゃんとおかーちゃん。でもまあ、嘘も方便だ、だってこの人たちこちらの正論を、ふわふわーっと困り顔でかわしちゃうんだもの、と自分に良いように言い訳して、さあさあと彼らを敷地の外に追い出した。  夏の終わりの癖に湿気が酷くて息苦しい。  ほんとすいませんねーなんて思ってもない事を何度も口にしながら、恨みがましい視線に耐えつつ手を振った。そんな目で見るなっての。だってどうしようもないっての。そう思うものの、雨の匂いと湿気が肺に満ちて、なんとも言い難い陰鬱な気持ちがにじり寄ってくる。  ……あーいやだ。細川夫妻の不審げな視線も、うるせー知るかなんて思っている自分の本音も、全部嫌だもう今日は風呂に入って寝てしまいたい。ほんの数刻の幽霊問答で、すっかり俺はDVDボックスわーいなんて気分ではなくなっていて、陰鬱な夏の夕暮れに相応しい憂鬱すぎるため息を吐いた。  ――その時俺はやっと、道路に蹲っている何者かに、気が付いた。  最初に目に入ったのは、真っ黄色の何かだ。それを傘だと認識できなかった俺はでっかい黄色い生き物が唸っているのかと思った。だって雨なんか降っていない。夏の終わりの湿気を纏った空気はじっとりと重いがしかし、空から雨粒が降ってきそうな気配はない。それなのにパッとひらいた大きな傘はどう見たって異様だ。  たぶん五秒くらいは固まっていた。  じっくり観察した俺はようやく、どなたかが側溝にしゃがみ込んでいるのだと理解した。  黄色い傘をさした男、だった。  苦しげなうめき声の狭間に、乱れた息と鼻をすする音が混ざる。どうやら傘の君は吐いているらしい。  どうすっかなーと迷ったのは一瞬だ。こんなもん見ない振りをするに限る。大丈夫ですかと声をかけるのが人情だとわかってはいても、その先にある面倒事に首を突っ込みたくない。ただでさえ面倒な夫妻をいやーな気持ちで振り切って押し返したばっかりで、もう俺はこれ以上疲れたくなかった。親切には親切が返ってくるわけでもない。現代日本人の無関心と無干渉システム、とっても良いと思うよほんと。  そっと見なかった振りをして、さてと踵を返したはずなのに、俺の足は止まってしまった。足を前に出すことが出来なかったからだ。物理的な意味で。  我が家の敷地の外で吐いていた男の手は、ぎっちりと、がっちりと、わりと痛いくらいの強さで俺の足首を掴んでいた。  叫ばなかった俺は偉い。  とっさに振り払って蹴りを入れなかった俺も偉い。ほめられてしかるべきだし感謝されてしかるべきだ。しかるべきだけど感謝もお褒めの言葉もなく、どう見ても不審者丸だしの黄色い傘の嘔吐き男さんは三回くらい噎せた後にこれまた反応に困る台詞を吐き出した。 「すいま……せん……あの、さっきの、箪笥の話……ボクは、お手伝いできるかもしれません……」 「……は? え、……たんす?」 「…………え。箪笥、でしたよね? 箪笥の中に、幽霊が詰まって……ぅえ、ごほっ………あ……すいませ……ええと、大きく括ると、除霊、みたいなことが、ボクはできます。だから、そういう話はご協力、できるかもしれない……」 「ちょ、いやいや、何、つか、あんた、誰……」 「会うのは、たぶん、二回目ですけど、覚えていなくてもいいです。メイシューさん、あの、……ボクが除霊に、協力して、うまくいったら……」  ボクとご飯を食べてくれませんか?  と、その蹲ったまま手を伸ばして俺の足首をがっちり掴んだどう見てもやばい感じの男は顔も上げずに言い放ち、俺はと言えばしばらく言葉を忘れた馬鹿になった。  馬鹿にもなるだろうこんなの。今この状況でとっさに状況を理解し的確な判断ができる人間が居たらお目にかかりたいもんだ。そういう正しく天才みたいな奴は世の中にいるのかもしれない。けれど俺は凡人かつ馬鹿だった。  間に合ってますんで、なんて言葉すら出てこない。ていうかこんな特徴の固まりみたいなおにーちゃんの事を忘れているらしい自分の記憶力にまず絶望だ。誰だよあんた。ていうか何だよあんた、と、言いたい事は山ほどあるけれど。 「……とりあえず、足、痛いわおにーさん」 「っあ。ごめんなさ……」  走って逃げなかったのは、ちょっとした好奇心のせいで、まあ最終的に俺はこの日の自分の選択を、時折思い出しては正解だったのどうなの倒して逃げるべきだったんじゃないの? と思い悩む事になるわけだった。  たぶん夏の終わり頃。湿気った夕暮れ時、実家前の側溝横で、まるで圧倒的インパクトと共に俺は、仮安キイロと出会ったのだった。

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