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うらみはきだすさかさうた:04
「びょーいん?」
ドーナツをインスタントの珈琲で押し込んで、服を着たキイロにひょこひょこひっついてきた場所はどう見てもでかい病院だった。
こんなとこ普通に俺だって入るの躊躇するくらい人間で溢れているのに、だいじょうぶなのかよと言いかけて口を噤む。ひどく顔色のいいキイロは、どう見たって上機嫌で、そういや俺がコイツに与える影響ってすげーんだっけって事をまた忘れていて今思い出した。
キイロの体質と俺の関係を、簡単に説明するのは難しい。
すごく簡単に簡潔に的確にさくっと説明するならば、キイロは霊能者的な人間だ。ただし、見るわけでも、感じるわけでも、聞くわけでもない。
キイロは味覚で霊を感じる、らしい。
まあ見えてても聞こえてても感じてても周りの人間にはわからんわけだけど、味覚なんてもっとわからんと思う。ていうかなんだそりゃ、と思った。最初は。本気で。理解するまで結構頑張って説明してもらった。
たぶん、霊媒体質なのだという。
霊的なものはキイロを見つけると、キイロの中に入ろうとする。そしてキイロはそれを舌と食道と胃で感知する。そのままだとヤバいので、キイロはそいつらを身体の外に出す――つまり、吐き出す、というのだ。
霊を食べて、吐く。キイロはそう表現する。
そんでもってこの霊ってやつは糞程不味いらしい。
まあ、そりゃそうなんじゃないのと素人ながらに想像はできる。寺の息子なんてもんをやってると、別に好んでもいないのに心霊話を聞かされることが多い。なんつっても敷地内に墓がある。当たり前なんだけど。そんで別に墓があるからって何かが祟るわけでもないんだけど、人間はどうしても墓地って奴に良いイメージはないらしい。
心霊スポットの話で共通しているのは、湿気と臭いじゃないかと思う。
なんだか妙にじっとりと湿っている。なんだか妙に臭い。
そういう話をよく聞く。そういうものなのかーなんて昔は適当に聞き流していたが、今思えば臭いってやつは味覚に一番近いんじゃないのと思わなくもない。
臭いものがうまいのは一部特殊なものだけだ。
大概は不味い。そういうもんだ。
くそ不味い幽霊を食って移動して吐く事を仕事にしているキイロは、自称幽霊配達屋らしい。びっくりするほどファンタジーで漫画的だ。そういう青年漫画ありそう。
しかしながらこのファンタジー設定はなんと俺にまで降りかかってくる。
幽霊がくそ不味いと言う話は理解していただけたと思うが、どうやら人間のオーラと言うか気というか、とにかく生きている人間も近づいただけでクソみたいな味がするらしい。
だからキイロは人間を避ける。幽霊が入ってきたら吐くのは勿論だが、この他人に干渉されることで広がる味だけで普通に胃の中の物を戻してしまうことがしょっちゅうあるらしい。不憫すぎてもうやばい。
食べて寝なけりゃ人間死ぬ。
けれど食べるという行為に、大概クソみたいな吐きそうな程不味い調味料がぶっかかってくる、ってことだ。同情して朝からドーナツ差し入れしたくもなるだろうって話。
そんで俺がどこに関わってくるかと言えば、なんかこう奇跡的相性とか千載一遇の何かだとかとにかくそんな感じのアレで、俺ってばキイロにとっては中々稀で特殊な『不味くない調味料』人間らしい。
つまり俺と一緒に居る限り、キイロの味覚は正常に動く。
何を食っても腐ったゴミみたいな味がするのに、俺が隣でアホ面晒して座っているだけで、キイロは正常な飯を食える、というのだ。
だから俺は、大概のものを吐いちゃうキイロの健康の為に、週に一回くらいはキイロのおごりで一緒に飯を食っている。と、言うのが現状かつ俺たちの関係性だった。
うーんまあよくできた話というかよう考えたなーと思わない事もない。事もない、が、こんな面倒な話を作らなくても霊感は本当だろうしあんた呪われてますボクと一緒にいてくれれば呪いを解きますとかの方がまだマシじゃね? と思うし。
実のところ俺はこの話を信じている。
俺自身霊感ってやつがあるのかないのか微妙なところで、いやあるんだろうけど綺麗に見えすぎて普通の人間なのか死んでんのか全然判別がつかない。
まあでも一応見えるには見える。別に感じたり何かがわかったりしないけど、へんなもんが見える立場としては、まー味で霊を感じちゃう人がいてもそりゃそういうこともあるんじゃねーのと思うしかない。
俺がおいしい調味料って話はまだちょっと信じてないけど。
それお前が俺をナンパしたかっただけなんじゃないの説がないわけじゃない。キイロがゲイなのかどうかは知らんがどうやらこいつは俺の事ちょっとわりと好きらしいし。隠す気もないというか隠すスキルがないらしく目に見えて動揺するからこっちもどうしていいかわかんなくなるのよやめていただきたいですよほんと俺はゲイじゃないってのに。
……いや話を戻そう。
俺とキイロのあれこれは置いといて、そうそう病院。病院だ。
「前は、こんな人混み、しかも病院なんて絶対無理……と、思ってたし、今も怖いですけど……ええと、この後、メイシューさんが一緒にご飯食べてくれるっていうので、今おなかに入っているものを吐いてもまあ、いいかなって思っていて……」
「吐く事前提かよー消化してから仕事しろよ俺のドーナツがー」
「あ。そうですね、すいません。メイシューさんをお待たせしたら悪い、と思って……あの、どこか座れるところで、待っていてもらっていいです。たぶん三十分くらいで、終わるので」
「え、あ、そうなの? つか俺が一緒だとアレか、仕事の邪魔っつーか守秘義務的なアレにソレしちゃう?」
「……いえ、別に……ボクは一人で行きますとも言っていませんし、メイシューさんが個人情報やデマを流すような人ではない事を、知っているので、同行していただいてもかまいませんが……え、来て、くださるんですか?」
「え。だって心配だろ。そら仕事中は背中摩るくらいしかできんけども。だってお前この人ごみの中、歩いていくのだってやばいだろ。いーよ目的地までのガードくらいはするって」
「…………ありがとう、ございま、あー……あー……」
「……すぐ泣くのどうにかしろよキーちゃん俺が泣かしてるみたいじゃーんよー……」
「すいませ……嬉しくてダメなんです涙腺が、弱い……」
キイロの涙腺がくそみたいに弱いのは知っている。
このどう見てもヤンキーでヤクザでやばそうなでかい男は本当にすぐ泣く。痛くても吐いてても泣かないくせに、俺がちょっと優しくするとすぐ泣く。
こんなに親切にしてもらったことはない、と言う。
そんなに俺って親切か? と思う。まあまあお節介かなーとは思うけど。別に殊更いい人だとも思わない。普通に気に入った人間が困ってたらまー自分の面倒じゃない範囲で手伝えることは手伝うし、どうでもいい人間が相手なら当たり障りない言葉で誤魔化してうまく逃げるだろうし。
横断歩道でおばあちゃんを背負って走るような人間じゃない。ごく普通の、なんてことない二十七歳だ。たぶん。俺はそう思っている。
感動しているキイロの涙が止まるまで俺は病人の付き添いを装って背中を撫で、それが嬉しいとまた泣かれてわりと困った。これじゃ本当に病人の付き添いみたいだ。感動で涙が止まらない病気なんて直せるんだろうか現代医学。
隣に座ったおばーちゃんが胡乱気な目でひそひそ話をしているのでいい加減やばいと思って、無理やり立たせてキイロのけつを叩いた。
「おら、どこ行きゃいいのよキーちゃん。俺おまえんとこの従業員じゃないから段取りなんか知らないのよ案内してもらわないとーラーメン食わないで帰っちゃうよー」
「いやです……ラーメン食べたいのでまっすぐ行って階段を上がって右です……」
「お。なんだよ初めて来たんじゃないの?」
「あ、はい。定期的に、伺ってるので。どうも、ボクの能力じゃ限界があって、移動しかできないものですから。本当は根本を解決できればいいんでしょうが、ボクは霊能者のネットワークには疎くて、どうしようもなくて。院長先生は、ボクが一か月に一回掃除してくれればそれでもありがたいって言ってくれているので」
「んー? んー。と、あー。……依頼者はこの病院の院長で、病院の中にある心霊スポットを定期清掃するお役目、が、キーちゃんのお仕事ってこと?」
「あ、はい。そうです。すいません、ボクは、言葉がその……うまくなくて……」
まあ確かに饒舌って感じじゃないけど、別に押し黙って鬱々としているわけでもないし、喋り出すとわりとだらだら喋る男だから俺は別に困らないし別にいい。
話しかけても反応なかったり、何も言わないのに勝手に怒ったりする人間だっているわけで、こっちが話した事を理解してちゃんと答えてくれるなら上々だと思う。
それに、キイロは相当な事が無いと怒らない。つか、俺はコイツが怒ったところを、まだ、見たことがない。
感情の起伏は激しい方だろうに、どうもそれが怒りの方には向かないらしい。泣いたり感動したり、忙しそうなのに。まあ、でも、苛々している相手と一緒に居るのは疲れるし、つまるところ俺はキイロと喋る事にストレスなんざこれっぽっちも感じていなかった。
「いーじゃんキーちゃんの言葉やわっかいからおもしれーしすっきよー。階段上がったら右だっけ? こっち? ちょっと? いちいち感動すんのおやめになって? つっこみが追い付かないからね?」
「……照れてるんです……メイシューさんは、奇特な方だから、すぐ、好き、とか言うんだ……」
「いや好きだよ好きじゃなきゃラーメン食いに行こうぜって誘わんっつのよ。あ、もちろんこの好きという感情にイカガワシイあれこれは入っていないんですけれどもおい待てキイロなんでもっと赤くなってんだ落ち着けいかがわしくないっつってんだろー」
「……いかがわしい、とか、言うから…………」
「え、何俺のせいなの? やめてよね責任転嫁ァ。つかお前ほんっとわかりやすすぎていたたまれないからもうちょっとポーカーフェイス身に着けろよーこういう時どんな顔したらいいのかわからないの気分になっちゃうってのこっちの方が」
「笑えばいいと思います……」
「なんでレイアヤナミは知ってんだよ」
なんて、くだらない話をしているうちに、病棟に入ったらしい。
ナースステーションの前を通る時実はちょっとどきどきしたんだけど、キイロはかなりの回数来ているらしく、もしくは院長先生とやらがちゃんと話してくれているのか、ナースに不審人物で呼び止められる事もなく顔パスだった。
ちらりと確認した管内図を見るに、ここは脳外科らしい。どうりでじーちゃんとばーちゃんが多いわけだ。
病室は結構多い。通り過ぎる四人部屋はほとんどベッドが埋まり、中には面会の人間で賑やかな部屋もあった。
キイロはまっすぐと進む。
その最後の部屋に迷いもなく入ると、一番奥のベッドに向かって進んだ。そのベッドの周りはカーテンで覆われ、他の三つのベッドにはじーちゃんが各々横たわっている。入口のじーちゃんは管に繋がれ、その隣に腰掛けてたふわっとした感じのばーちゃんが、キイロを見てゆるやかに笑って会釈をした。
この部屋に入った瞬間から、キイロは口元を押さえてひどく青い顔をしている。ばーちゃんどころじゃないだろうキイロの代わりに、俺は会釈を返すと、ずんずんと進むキイロに続いて奥のベッドのカーテンの中に滑り込んだ。
「――うっわ」
まあ、想像はしていた。
なんかあんだろうな、って、そりゃ、わかっていた。
そこにあったのは真っ黒のベッドだった。すすけたような、ホコリのような黒い何かを擦り付けたような。禍々しい程の黒いベッドだ。
声を上げた俺の手を、キイロが思わずといったように掴む。汗で湿った手はじっとりとして決して気持ちいい感触じゃなかったけど、縋るように俺も握り返した。
「メイシューさん。何が、見えます、か?」
荒い息の合間に、キイロが喘ぐように声を零す。今にも倒れそうな顔で、口元を押さえながらキイロはベッドを凝視していた。
「何、って、え……く、黒い、ベッド……」
「…………黒いのか。ボクは、駄目です。相変わらず目は、駄目で、ただの清潔なベッドにしか見えません。別に、古くもないし、汚くも、ないし……毎日、ちゃんと、シーツも変えているんだそうです。でも、時間がたつと、ベッドが血に染まったとか、唸り声がしたとか言う人が、出てくる……」
「え、うそ、黒くないの? いや。いやいやいや真っ黒ですよ何これじゃあ何うひ、ぐ、……っ」
悲鳴を飲み込んだせいで酷い声を出しちまったがそんなのはどうでもいい。叫ばなかったのは、ここが真昼間の病院だと思い出したからだ。
普通に患者さんがいる。普通に看護師さんもいて、見舞いの人間もいる。ここで俺が叫んだら、それこそキイロの営業妨害だ。
そうは言っても、ベッドから目が離せない。
ベッドの下から這い出てきた、黒いなんかめっちゃ手が長い人間みたいなものから、目が、離せない。
そいつは平べったくて影みたいで、ずるっ、ずるっ、と動いてベッドを這った。そして舌のようなものを出して、ベッドを舐めた、ように見えた。
やばいと思ってキイロの手を握る。それでも目を離せなくてやばい。見ていたくないのに目を離すのが怖い。キイロが手を握り返してくれなかったら、そのまま一歩も動けなかったかもしれない。
そいつはこちらを見たような気がする。
たぶん、俺じゃない。キイロを見たのだと思う。
「……メイシューさん、出てて、いいです。ここまでついてきてもらって、すいません。ありがたかったです。あとは、食べて、吐くだけなので、一人で大丈夫です。吐く場所は、外の、焼却炉って決めているんです。あそこは、祠があって、方角もいいから。……ロビーで落ち合いましょう。ごめんなさい、ありがとう」
何がごめんでなにがありがとうなのかよくわからなかったが、なんか最後の挨拶みたいで気持ちわりーからありったけの力を込めてキイロのケツを叩いてから俺は逃げるようにその部屋を出た。
奥のじーちゃんがびっくりしたように首を傾げていた。手前のじーちゃん二人は寝ていた。見舞いのばーちゃんはじーちゃんの手を取って摩っていたのに、俺があまりにも挙動不審な状態だったのか『だいじょうぶ?』と声をかけてくれた。ダイジョウブデスと笑う元気はまだあった。一人だったら笑えなかったかもしれない。
その後、口元と腹を押さえたキイロが真っ青な顔で走り去るのを俺は茫然と眺めた。中途半端に開いたカーテンの隙間から見えた奥のベッドには、清潔な白いシーツがかかっていた。隣の部屋の子どもの笑い声が聞こえる。じーちゃんのいびきが聞こえる。ばーちゃんの童謡のような歌が聞こえる。
どうしてかまたぞわり、と尻が落ち着かなくなり、俺はキイロを追いかけるように速足でその病棟を後にした。
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