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うらみはきだすさかさうた:06
「塩ラーメンととんこつラーメンがうまい店ってあんまないよなー」
パキン、と割り箸を割る音が気持ちいい。乾いた音っていうのは湿った音よりも絶対に気持ちいいと思う、のは、やっぱりさっきの久々真昼の心霊体験のせいかもしれない。
職場の同僚のご縁で、若干面倒なおっばけやーしきー案件に巻き込まれなうしていたこともあるけれど、そういやいつも怪異に巻き込まれるのは夕方とか夜だった。真昼間に、しかもあんな人がわんさかいるところでって言うのはあんまり経験がない。
例の病室からキイロを追いかけて階段を駆け下り、非常口から外に出ると確かに妙に空気がさっぱりしていた。
焼却炉に向かって何かドロドロした黒いものを吐いていたキイロの背中を摩ってやると、こう、腐ったような焦げたようなむかむかとした臭いが俺にまで伝わって来た。近くに居るだけで吐きそうなのに、これを今現在胃の中から追い出している状態ってのはもうほんと想像もしたくない。
全部吐ききったキイロにスタンバイしてたタオルを渡すと、ありがとうございますと何度も頭を下げられた。いや別にこのタオルおまえのだし俺渡しただけなんだけど。相変わらずこいつは他人というか俺の存在に慣れないらしい。自分から手元に置いているくせに。
しばらくしてからペットボトルの水で口を洗ったキイロは、院長に挨拶だけすると言って五分ほど病院に舞いもどり、ふらふらしながら病院から出てきた。
それでも俺が隣に居れば回復が早いらしい。おいしい調味料兼回復魔法要員とかすげえな万能かよと笑える。笑いごとじゃないんだろうけどさ。
そんなわけで今俺は一仕事終えたキイロと向かい合って夕方ラーメンに臨んでいるわけである。別に行列のできる名店とかじゃないし、有名な店でもないけどたまに立ち寄る会社近くのそれなりに不味くはない味の店だ。
何がいいってみそラーメン以外は大概うまいところだ。俺はとんこつ派で大体いつも昼飯一緒に食う同僚が醤油ラーメン派だから、ラーメン屋の選択はいつも戦争だ。
「塩と醤油うまいとこは結構あんだけどさー。あと味噌ととんこつとか。塩醤油系とこってりとんこつ系がどっちもうまい店ってなかなかないのよなーレアだよレア。とんこつラーメンでこいつは外せねーよって店もあるこたぁあるけどキーちゃん今とんこつとか食ったらやばいっしょ?」
「すみません……でもボクラーメン一回食べてみたくて……」
「あ、やっぱ初体験なのね……おう、いや、まあ、そうだろうね? うん。そんな感じするよね。あ、サーセンビールもう一杯くださーい」
アルコールはあんまり飲まない、というキイロの前には水が置いてある。ビールにラーメン最高なんだけど、まあ、初体験ならまずは味わえと思ってほぼ無言で麺を啜った。
伸びちゃうからね。余計な話してるとラーメン伸びちゃうからね。そんな不味いもんを初めての思い出にするのはやっぱりよろしくない。
ずるずるとラーメンをすすって、青白かったキイロの顔にやっと生気が戻ってくる。
よしよしいい子だと満足した俺も大概食い終わり、ちょっとぬるくなったビールを舐めた。
「……ところでアレ、なんだったの?」
訊いてもいいものかわかんなかったが、駄目ならダメで謝ればいいかと思ってポーンと口から出してしまう。酒は判断力を鈍らせるし無駄に大胆にさせるからよくない。よくない飲み物だ。
水を両手で啜っていたキイロは、かくんと首を傾げた後に少し上に視線を這わせる。三白眼が際立ってわりと怖い、と最初は思っていたけれど今は三白眼が際立ってかっこいいのにこいつ残念だなーと思ってしまう。
「ええと……何、かは、その……ボクも、あまり、わからないんです。ただ、院長先生や他の職員の方のお話だと、定期的に不幸な事がある場所なんだということで……二年前から、それは起こり始めたそうなんですけど、別に、どなたかが亡くなったとか、そういう話もなくて……」
「え。じゃあ、なんか因縁があるわけじゃないの? ほら、無念の死を遂げた少女の霊がぁ、とか、誰かが呪ってぇ、とか、じゃなくて?」
「うーん……呪ったとかそういう外部的な要因ならわからないんですが、とりあえずあのベッドも部屋も、ごく普通に使用されていたそうです。そりゃ、病院で高齢者が多い脳外科なんで、人が死なないという事はないそうなんですけど」
「ふーん。なんか真っ黒かったから、俺はほら、火事とかそういうのを想像しちゃったんだけど、別にそういうんじゃないならアレはじゃあ、なんであの場所に拘って出るんだろうなー」
地縛霊というものと浮遊霊というものがある、というのはなんとなーく知っている。別に勉強したわけじゃないし専門の友人もいないし怪談が好きなわけでもないんで、ほんとぼんやりした知識とイメージと偏見だけど。
地縛霊は土地やモノに未練があってそれに憑くもので、浮遊霊は死んだこと自体に未練があってふわふわ移動しているモノ、みたいな偏見だ。たぶんマジで偏見だと思う。ただこの考え方だと、『同じ場所にわいて出てくるもの』はやっぱり、その場所になんかあるからだろうなと思ってしまう。
理由なんかなくても、ただ忌まれる場所もあるのかもしれない。そういう場所を、知らないわけではない。
俺がぼけーっと納得し始めようとしたところで、ひどく言いにくそうに、キイロが口を開いた。
「あの、メイシューさん……歌、聞こえましたか?」
「は? 何、歌……あ。あの見舞いのばーちゃんが歌ってたやつ?」
「はい、あの……歌なんですが……どこかの、民謡というか、ちょっとマイナーな童謡みたいなんです。調べた、んですけど……病気の回復を、願うような」
「へー。めっちゃいい話じゃん。じーちゃんも嬉しそうにしてたもんな」
「……でもあの歌、歌詞が、全部逆、だったんです」
「――ん?」
逆、とは、どういうことだ。
なんだかひどく嫌な話のような気がした。これ以上は聞くべきではない、ような気がする。でも、耳は自然とキイロの言葉の続きを待ち、俺は息を飲んでしまう。
「メロディに、小さな声が乗っているような感じで、最初は気が付かなかったんです。鼻歌みたいな感じだったから。結構耳に着く曲だったから、ふと思い立った時に、探して、ちょっと歌ってみたら、なんだか、違和感があって。なんでかなって思った。次にあの御婦人に会った時に、その違和感が、わかったんです」
歌は、フレーズごとに全て、逆さから読まれていた。
違和感の正体はこれだった。それは歌には乗っていたけれど、全く詩にはなっていなかった。小さな声で紡がれる逆さまの見舞い歌を想像し、背中に鳥肌が立つ。
逆、というのは大抵反対の事を表す。
回復してほしいという願いを込めた歌を逆さに歌えば、それは一体どんな意味になるのだろうか。
これだけならまだ、キイロの勘違いかもしれないが、ある時キイロは彼女が朗らかな声で優しく老人に囁きかけている言葉を聞き取ってしまったらしい。
早く死ね早く死ね早く死ね早く死ね苦しんで死ね苦しんで死ね苦しんで死ね。
と、老婦人は、花が咲くような柔らかな声で、にこにことした笑顔で囁きつづけていた、らしい。
「…………それってさ、ええと、あのばーちゃんの呪いが、壁際のベッドに何かを招いてる、ってこと?」
「わかりません。本当に……それは、ボクが言い当てられることではないので、憶測でしかないですし……あの老人が入院してきたのは一年前だというので、関係あるのかどうか。でも、どちらが先にしても、たぶん、連鎖しているんじゃないかな、とは、思う居ます」
どちらが先か。
老婦人の呪いがベッドの黒い何かを呼んだのか。
ベッドの黒いものが老婦人を狂わせたのか。
そんなものは確かに、俺とキイロでは想像して推測するくらいしかできない。なんといっても、ふんわり見るだけの男と、食って吐くことしかできない男なのだ。
しばらく無言になったが、どうしようもないことで悩んでもどうしようもない、と俺の方が先に我に返った。
キイロの仕事はうまくいった。またどうせ一か月後にあの病室に行ってなんかを食って焼却炉に吐き出すんだろうけど。それでも一応五体満足だし、トラブルがあったわけでもない。
どうしようもない他人の事で頭を悩ませてもどうにもならない。俺の人生がちょっとしんどくなるだけだ。背負い込むのはお絵かきだらけの不幸男一人で十分だと思う。いや別に、俺が背負わなくてもキイロはキイロなりに一人で生きていくんだろうけど。
まあでも片腕一本支えるくらいはしてやってもいいと思う。なんてったってこいつはどう見てもかわいそうだし不幸だし不憫だ。同情するなら金をくれと言われても出す金はないので俺は相手に失礼にならない程度に同情する事にしている。
同情しているので一緒に飯を食う。背中を摩る。手を繋ぐ。
これは同情であって決してイカガワシイあれそれではない、と誰宛でもない言い訳をして、ジョッキに残ったビールを一気に飲み干した。
「……っしゃ、歌って聞いたら歌うたいたくなってきた。カラオケいこうぜキーちゃんカラオケ!」
「からお……え……ボクそんなもの行ったことな……え、メイシューさん帰らなくていいんですか明日お仕事は……」
「ばっか今何時ですかまだ七時ですよ夜はこれからですよキイロさーん大丈夫帰りは送ってやっから。俺が一緒なら吐かないっしょ? つか消化しないうちに別れたらお前ラーメン吐いちまうじゃーん。もったいないだろ三時間は拘束だろ俺。つかおまえいくらぼっち不幸人生だっつっても初体験多すぎないかそういやキーちゃんいくつだよ歳」
「え。……メイシューさん、年下と年上どっちがお好きなんですか?」
「あーうーん別にどっちでもと言いたいところだが実は俺昔から年下派。やっぱ慕ってくれる子ってかわいーじゃん? みたいな?」
「……じゃあ二十二歳くらいでいいです」
「おい待てなんだそりゃ。おまえほんとはいくつなんだよまさか年上?」
「ひみつ」
ふい、と横を向いてしまったキイロの頬のタトゥーに、すっかり慣れてしまってこのクソガキいまのちょっとかわいいとか思ってしまった俺は絶対おホモにはならないんだからな、と、まるで何かに抗うように心に誓った。
こいつと一緒に居ると正直疲れる。別に嫌いとかじゃなくて、かわいそうで、そんで結局巻き込まれるから、心も体も結構疲れる。
でもやっぱり放っておけないので、俺は年下に弱いのだ、と思う。
終
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