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かしこみかしこみまをすばつ:05

 と、いうことがあったわけよ、という話を肴にもぐもぐと台湾あんみつを掻っ込んでたら、対面で小豆入り花豆食ってた桑名が神妙な顔でスプーンを置いた。  平日の午後四時のオフィス街、なんつー絶妙な環境だと、さすがの人気台湾スイーツ喫茶店も客もまばらだ。これは大事なことだが、俺たちはさぼりではない。昨日の夜から夜通しでリリースがあったわけで今やっとこさ仕事終わりになったブラック激務リーマンなだけだ。  ブラック激務リーマンの打ち上げは酒ではない。つーかわりとこの時間に酒を提供してくれる飲食店ってない。焼肉かファミレスの二択になっちまう。  それなら最近話題の台湾スイーツ食って帰ろうぜぇと提案した俺に、苦笑した桑名は付き合ってくれているだけ、という構図だ。 「どったの桑名。あ、腹いっぱいになっちまった?」 「というか、気持ち的にこう、小豆食う気分じゃないというか……おまえよくそんな話しながらもりもり餡子食えるな……」 「餡子に罪はねーわよ。つか俺はらむちゃーんが何しでかしたのか微塵も知れねえし。結局あのあと帰ってから特になんもねーし、キイロからなんの後日談もねーし、あの子たちがどうなったのかなんか一生知ることもねーと思うし。俺がしんどかったのは二時半コンコンのようわからんやべー奴と扉一枚対峙してた時よ。小豆関係ないわよ」 「いや、まあ……そうだろうけど。てか、その、らむちゃん? って、魅禍℃ラム? って子か?」 「ミカドラム? なんすかそれ」  あったかい茶でずずっと口の中の甘味を洗い流し、一息ついてから桑名が差し出したタブレットの画面を見た。  そこには見るからに地雷系っていうか病み系っていうかゆめかわ? みたいなデザインをされた二次元女子の3Dモデルがいた。  おん。なにこれ、あれか? Vチューバーってやつか? そういや確かに配信のお仕事~って言ってたような気がすっけど、まさか二次元の中の人だとは想像もしていなかった。  いや、確かにらむちゃん氏の声は萌かわ~って感じだったけど、顔は若干地味だった。別に不細工ってわけでもないんだけど、目を引くか引かないかって言われたら悪い意味で全く目立たない。そんな雰囲気だ。  悲しいかな、配信者って奴はアイドルのまがいもんみてえなもんだろう。人は顔じゃないよ! って言いたいけど、結局顔が良いってのも個性だし利点だ。他人との差別化が必要な職業では、結局顔の美醜だって大切な武器だろう。  その点ガワがあるVチューバーなら、少なくとも現実の容姿で競う必要はない。整形するより、ガワをきれいに整える方が幾分か簡単なはずだ。  可愛けりゃ人気になるってわけでもないだろうし、ああいうのだって才能とか運とかコネとか営業とか大変なんだろうな~と思う。あの引きこもりっぽい女子にそんなことできんの? と一瞬眉を寄せたがしかし、隣によりそうミケちゃんの顔を思い出し、まあ、あの二人が一緒に頑張ってんならそういうのもなんとかなんのかなぁ、と思い直した。  俺の心中などよそに、さらさらっと画面に指を這わせた桑名は、俺も詳しくはないけど、と言葉を繋げる。 「なんか最近、木ノ下くんの大学で話題になってたみたいでさ。なんでもこの子、ホラー系Vチューバーだったらしいんだけど、最近ある廃墟に行った後に失踪したとかで」 「……え。え、ちょ……待って待ってめっちゃ続報じゃんかよ。最近っていつ? なに? てかなんで木ノ下ちゃんそんな情報掴んでんの?」 「ホラーな話題には敏感なんだよ。こっちに害が及ばないように、むしろ情報は積極的に耳に入れてんの」 「はー。相変わらず大変ねぇ桑名夫妻……え、つーかマジでやばいじゃん俺とキイロが関わった後に失踪してたらやばいじゃん警察とかに呼ばれたりする案件じゃん?」 「いや、それはない、かと思います」 「ふえ?」  唐突に頭の上に振ってきた声に、思わず阿保みたいな声がでちまったじゃねえかくそ俺の背後に立つときはちゃんと今から背後に立ちますねって言えっつの……。  ほら桑名もびっくり! みてえな顔してんじゃんかよ。 「……キーちゃん、唐突に背後に立つのやめろーっての。おまえ存在感どっかに置き忘れてきたのかよ……」 「はぁ。ボクを目の前にして、存在感がない、と言うのはたぶんメイシューさんだけですけど……あ。桑名さん、えーと、……お久しぶり、です」 「うん、お久しぶりです。この前はお札、ありがとうございます」 「いえ、ボクができるのは、その、ああいうものの調達くらいなので。桑名さんのお部屋はちょっと、ボクの口には、収まりきらないから。……メイシューさん、ボク、お邪魔じゃないすか……?」 「お邪魔だったら呼ばねーっつの。桑名ちゃんこれからすぐ帰るっつーからお前代わりに俺のメシに付き合えー」 「え、あ、はい。よろこんで……」 「じゃあバトンタッチ」  軽く手を挙げた桑名は、立ったままのキイロにハイタッチをかますと颯爽と喫茶店を後にした。どうせこれからハニー(男子学生)を迎えに行くんだろう。ラブラブ(死語)でよろしいことだ。  今まで桑名が座ってた席にすとん、と腰を下ろしたでかくて怪しい男は、店の入り口付近を目で追いかけた後にふーっと息を吐いた。 「………………え、爽やか……え?」 「いやわかるよ。アレはなんかこう、そういう呪いかなんかかってくらい爽やかだよな。俺たちには一生真似できねースキルよ」 「ボクは、メイシューさんも爽やか、というか、明るくてからりとしている方だな、と思っていますけど。ええと、良かったんですか? お話の途中だったみたいですが」 「やー、お話っつってもこの前のらむちゃん案件の話だから――じゃねーよお前なんか知ってんのか。失踪? 警察? Vチューバー? 結局なんだったのよアレ」  別に俺は、キイロの仕事には興味はない。  興味はないが、俺の生活に実害及ぼしそうってなったらそりゃ自衛のために、ちょっとくらいは首突っ込んでおこうと思うだろ。  魅禍℃ラムはVチューバーだった。そんでカノジョの配信内容はホラー系だった。そして魅禍℃ラムは失踪した。ここまではさっき知った事実だ。 「はぁ、あの、実は……うーん、メイシューさんに、お話するか迷ったんですが。影響を受けても、困るなぁと思ったので、一応全部、知っていることは共有しておきます。ボクは言葉が下手なので、えーと……少し、時間がかかってしまうかもしれませんが……」  確かにキイロの話は散漫としていて、無駄な情報が多くて長い。あんみつをだらだら食いながら聞いた話をまとめると、どうも以下のようになるらしい。  今回の依頼人、魅禍℃ラムは『罰当たり! 廃神社から持ち帰った祭壇の一部をお返しに行きました』というタイトルの配信を最後に、消息を絶った。といっても、チャンネルの更新が止まっただけで、実際に行方不明になったのか、単に配信を辞めてしまっただけなのかはわからないらしい。  しかし彼女の更新が止まってから三日後、SNSにアップされた二十秒ほどの動画が数少ない魅禍℃ラムファンの間で拡散共有され、それがアングラネタ系のインフルエンサーに見つかり『マジでやばいガチ心霊映像』という名目で一気に拡散された、らしい。 「ええと……それが、この動画、です」  慣れない様子でスマホを何度かタップしたキイロは、急に再生された動画の音に慌てて一回スマホの電源ボタンを押し、息を吐いてから再度俺に渡してきた。  動画は全体的に暗かった。薄暗い動画ってやつは、ついつい目を細めて見てしまう。たぶん、そんなことをしても鮮明に見えたりはしないのに。  ぼんやりと暗い画面は、森を映していた。うっすらと砂利道のようなものも見える。少なくとも、山のど真ん中ってわけではないらしい。道があるのだから、人の手が入っている場所に違いない。  ガサガサという音と共に、徐々に近づいてくるのは女の悲鳴だ。  ぁぁぁあぁぁああああああああああああ!  という悲鳴と共に、画面の奥から白いパーカーの女子が全力疾走でこちらに向かって走ってくる。そしてそのままカメラの前をものすげー勢いで走り去る。その後ろから――何か……何か、としか表現できない人のようなものが、とんでもない速度で彼女を追いかけて通り過ぎていき、動画はそこでぷつんと切れた。 「…………………いまの、なに……?」  同じことを思ったギャラリーが、コメントと同時に静止画のキャプチャーを何枚かアップしていた。  どの画像も、なぜか異常にぶれている。  髪を振り乱した人間のようなもの、に見えなくもない。全体的に白い何かを纏っているように見えるが、服の形すらもおぼろげだ。  着物だと言われたらそう見える。ワンピースだと言われたらそう見える。全裸だと言われても、そうかも、と思えてしまう。  そのくらい不鮮明で顔すらもはっきりと認識できないのに、どうしてか人にしか見えない。その不気味さに、鳥肌がぷつぷつと二の腕に湧き上がる。 「これ、もしかして、あの時扉の外に来てた奴か……?」  俺の震える問いかけに、スマホを差し出したままのキイロは静かに首を傾げた。 「ええと、わかりません……ボクはあの時、窓すら見ていないので……」 「ああ、はい、そうね、キーちゃんは俺を見てましたわよね……もしかして俺、営業妨害かました……?」 「あ、いえ、それは無いです。はい。ボクは正直自分の身を守る方法がほとんどないので、メイシューさんが危ないと思った時は、ぜひ教えていただけるとありがたいな、と思っています」 「まあ、うん、それならいいけどよ……」 「というか、メイシューさんは欄間を見てましたよね? メイシューさんこそ、コレがあの時のモノと一緒かどうか、わかるかな、と思ったんですが」 「えええ……わっかんねーよちらっとしか見てねえしなんか目玉でかくてパネェやべぇ無理無理死ぬって思った記憶しかねーし……こんな全体的に細長くなかった気がすんぞ?」 「じゃあ、違うのかな……あ、いや、結局これが何かわかっても、ボクにはもう、どうしようもないんですけど……」 「らむちゃん、マジで失踪しちゃってんの?」 「何度かご連絡はしてみましたが、すべて不通ですね。ご自宅も人の気配がありませんでした。さすがにご家族やご友人などは、ボクも知りませんから、これ以上はどうしようもありません」 「え。つからむちゃんが失踪ってことは、ミケちゃんは?」  どう見ても同居していた彼女は、どうなってしまったんだろう。黒いパーカーの、少し気の強そうな顔のミケちゃん。らむちゃんが何かに追われていた動画には、彼女の気配は微塵もなかった。  俺は当たり前すぎる疑問を口にしただけだ。  それなのにキイロは、ふ、と無表情を崩して眉を寄せる。 「あの……実はずっと不思議だったんですが。ミケちゃん、って、誰の事を仰っているんですか?」 「…………………ん?」  待て。待て待て待て。  今俺は、なんかすごく嫌なことを言われなかったか?  いまこいつは、なんかすごくやべーことを言わなかったか?  一瞬で違和感が恐怖となって這い上がる。ぶわり、と背中から頭皮まで駆け上がる悪寒は、不気味さと気持ち悪さを存分に孕んでいた。 「……ミケちゃんは、ミケちゃんだろ……だって、ずっとあの部屋にいたじゃんかよ。最初から、最後まで……」 「ボクの依頼人はらむさんで、そして彼女は一人暮らしで、あの時はお部屋にお友達もいませんでした。最初から最後まで、」 「いやいやいやいや、いた、いたじゃん、お前だって――」  ふ、と気が付く。  確かにキイロは、いつでもらむちゃんにばかり話しかけていたし、ミケちゃんはキイロに対して話しかけたりはしていない。いつもそっとらむちゃんに寄り添い、隣から彼女を励ますように声をかけるだけだった。  らむちゃんは俺たちに甘ったるいココアを淹れてくれた。でも、ミケちゃんの分は淹れなかった。チョコレートの空き箱の隣には、一人分のマグカップしかなかった。 「なにか、おかしいな、とは、思っていました。時々メイシューさんが、彼女とは別の方向に視線を送るので。でもボクは目がよくないし、メイシューさんはもともと多感な方なので、ボクに見えていないものが見えているのかなと思って、なんとなくスルーしていました。……ミケちゃん、という方が、あそこに居たんですね?」 「……自分で、そう名乗ってた。なんか、部屋の中の生活感が二人分あったっていうか、ルームシェアしてんのかなって勝手に思ってたんだけど……」 「らむさんは二か月前まで確かにあの部屋で女性と同居していたようです。これは、配信仲間さんの話……というか、彼女のことを調べていたら出てきた本当かどうかわからないコメントではあるんですが」  魅禍℃ラムは、同じくVチューバー仲間の死屍土ミケと同居していたらしい。配信者になろうと誘ったのも、ホラー系にしようと舵を切ったのも、すべてミケが先導していた、という話だ。 「ミケさんは、二か月前の動画を最後に、更新を止めています。ええとこの……これですね」 「『罰当たり! 夜の廃神社でニャッピーハッピー踊ってみた』……いやマジで罰当たりだな……」 「この後にミケさんは更新を止め、そしてらむさんの元には例の何かが夜な夜な現れノックを繰り返す現象が起こり始めたようです」 「つまり、ふたりとも神罰に触れた、ってこと、か?」 「……そう単純なコトなら、マシかな、と思うんですけれど……」 「え。まだなんかあるのかよ」  げんなりしながらも、話の続きを促す。正直ここまで聞いたら、俺もある程度は把握しておきたいと思う。キイロが影響云々ぬかしていたのは、俺がばっちりその場にいないはずの女を見て触れて会話していたからだろうし。  先ほどの桑名の言葉が否応なしに蘇る。自衛のために、なるべく情報は集めておく。つまりそれは、こういうことなんだろうなぁと感じたくないシンパシーを感じてしまった。 「これは、あまり、確証もないですし、正直ただの妄想と言われてしまえばそれまでなんですが……えっと、魅禍℃ラムファンの方が上げていた考察によると、らむさんはミケさんのことをあまり好ましく思っていなかった、という話です。本当かどうか、勿論わかりません。ただ時折同居人に対する愚痴をSNSに書き込んでは即消していた、という証言がありました。それで、らむさんが日頃からミケさんのことを憎らしく思っていた、と仮定しまして――メイシューさん、神饌の話は覚えていますか?」 「は? あー、神様にお供えするモンだろ? 米とか酒とか小豆とか……」 「はい、それです。それでですね、神饌にはほかの呼び方もあります。神様にお供えする供物、それを神饌、あるいは、」  御饌(みけ)という。 「…………やめろ……鳥肌消えなくなったらどうすんだよ……」 「え、あ、すいません……?」 「いやつか、その、え? つまりどういうこと? ミケちゃんは御饌……神饌? ミケちゃん自身がお供え物ってこと……?」 「妄想です。もしかしたららむさんは、神饌のことを知った上でミケさんを神社に連れて行き、意図的にお供えしたのかも、と妄想しただけです。あとこれも妄想なんですが」 「まだあんのかよ……」 「すいません。神饌は、お供え物です。その多くが食べ物ですね。仏壇に上げたお供え物は、捨てたりせずに、食べますよね? それと一緒で、神様に供えたものも、後に下げて参列者がいただきます。これを神人共食というのですが」 「……………いやいやいや。まさか、そんな、カニバはねーよ。ねーって。現代日本ぞ? さすがにそれは……」 「メイシューさん、らむさんの部屋のお風呂場、見ましたか? なんだかやたらと芳香剤の匂いがしませんでしたか?」 「やめろ……俺幽霊はわりと平気だけどスプラッタは得意じゃねーんだよ……つか全部、妄想、だよな?」 「はい、妄想です。……でも、何が真実だとしても、女性二人が消えてしまったことはおそらく事実です。ボクが助けられなかったことも」 「…………いやでも……キイロが受けた依頼はさ、幽霊を運ぶことであって、女子を助けることじゃねーからさ」  詭弁だ。自分でもそう思う。  けれど久しぶりに感傷をにじませるキイロの顔面眺めてたら、嫌でも嘘でも安易な言い訳をひねり出したくなった。  しかしキイロは俺の予想に反して、けろりと表情を変える。 「あ、いや、その。……ええと、人を救えなかった、ことに関してはあまり、こう、後悔とかはありません。仰るとおり、ボクの受けた依頼ではありませんので。顔の見えない配信者とか、ネット上で拡散される動画とか、そういうものに感慨深い思いはあります、が」 「じゃあなんでそんなしんみりしてんだよ……」 「これは、あー……人が、たやすく消えるような、見てはいけないものと、扉一枚で邂逅するような。そういう仕事をしているんだな、と、なんとなく、久しぶりに――少し、怖くなってしまった、というか」  怖い。なんて言葉がキイロの口から出てきたことに、俺は心底驚いた。  恐怖心を持ってない奴なんかいないだろ。そう思う。でも刈安キイロに関しては、これほど似合わない言葉もない。 「ご存じの通り、ボクは、少し人間とは言い難い状態です。感情も薄い自覚がある。生きているだけで精いっぱいで、生きるために、少々無茶な仕事をこなすしかない。……危ういところに、立っているんだろうな、と思います」  ボクはあまり普通じゃないから。  どう見ても普通じゃない男は、当たり前のようにその数奇な生活を憂うでもなく口にする。 「だから、いつか――この間のように、メイシューさんにご迷惑をかけてしまうかもしれない。その時は、その、見捨ててください、……と、言うべきなんでしょうが」 「…………が?」 「……できれば、でいいんです。余裕があれば、できれば、メイシューさんが嫌じゃなければ。ボクの手を、引っ張ってくださるとうれしいな、なんて烏滸がましくも思っています」  暫く沈黙が続いた。  キイロがだらりと黙ってしまうのはわりとあることで、どちらかと言えば俺が口を噤む方が珍しい。  ただこんときの俺はなんていうか、肋骨の奥の方になんか詰まってる感じっつーか、息がし辛くて鼻がぐっと詰まる感じっつーか。とにかく簡単に言うと感極まってしまってうまい事言葉が選べなかった。  俺はキイロに我儘になってほしい。我儘を言ってほしい。最近湧いて出てきたこのいかんともしがたい欲望のような感情を、正直持て余し気味だった。  それがどうだ。なんだお前その完ぺきすぎるアンサー。  こんなん、ウッとなってぐわっとなってヒエ……ってなっちまうだろうがよ。  要するに死ぬようなことがあるかもしんないけど、巻き込むかもしんないけど、ごめんだけど一緒に居てほしいって事っしょ?  はー……超我儘じゃん。 「……あと、すごく嫌じゃなければそのー…………ちょっとくらいは、ご褒美的なものを、定期的に、いただけたら、と……」 「おうおう。急に我儘全開じゃんよ。つかおまえあの時さらーっと流してさらーっと帰ったじゃん」  初チューかました後、いくら恐怖のホラー現象真っ最中だったとはいえ、キイロはやたらと平常だった。こう、もっとわかりやすくあわあわするもんだと思っていた俺は拍子抜けしてしまい、俺の方がちらちらとキイロの態度を伺ってしまった。  思ってたより普通だった的なアレか?  まあ、ああいう行為って想像してたよりは……ってのあるよな。大人になればなるほど妄想の方が気持ちいいっつーか。あれ? こんなもん? っつーか。よくよく考えてみりゃ俺も超絶テクニシャンってわけでもねーし。  と、顎を擦ってふーむと考えていたのだが、当のキイロは今更あわあわと視線をさ迷わせる。 「え、あ、え……あの、あの時はそのー……あまりにも、ボクに都合のいい展開だったので、半分くらいは夢なんだろうな、と思ってしまっていて……」 「……なんだそりゃ」 「帰りの途中、メイシューさんと別れてから三回くらい電柱にぶつかってしまって、そのたびに普通に痛かったので、あ、夢じゃないのかな? と、やっと実感がわいてきて、そのー……正直、今が一番、恥ずかしい、です」  へなへなっと机に突っ伏したキイロは、女子のように顔を覆う。その耳が若干赤くなっていることを確認した俺は、はーとふーの中間くらいの息を吐き出してからにやけそうになる顔をこっそりと叩いた。  ……まあ、しばらくはお前の前ではばーかばーかゲイじゃねーよ、って言うけどな。つかそう思ってるけどな。  でも、お前の手を引っ張んのは俺の役目だしなぁ、なんて思ってるわけで、それって結構な覚悟をすんなり決めちゃってるわけだ。  キイロはたぶん、いろんなものに対して、ものすごく距離を置く。何も求めないし、何も感じない。  そんな人生の中で、見捨てないでほしい、と声に出すことのしんどさを思うと、俺のささやかなプライドなんかどうでもいーわ、と思えるからさ。 「おっまえ、そのてれってれをその時やれよぉー。俺マグロだったかしら? って不安になったわ」 「マグロ……あ、いや、メイシューさんはその……エビというか、ウナギというか……」 「エロいたとえすんのやめろ。つかそろそろ移動すっかーって感じだけど、キーちゃん今日何食いたい? ウナギ? ウナギか? ウナギいっとくか?」 「ウナギ……ウナギでもいいですが、すいません、もう少しだけここにいた方がいいと思います」  外にいる気がするから。  小声でささやくキイロの視線をたどり、喫茶店のガラスにべったりとひっつくパーカーの女子二人をばっちり見た俺は、すぐに視線を戻して残ったお茶をすすった。  もう外は見れない。見る気もない。  でも、耳のついたパーカーを着た寒そうな女子二人は、お互いの首をがっちりと掴んでいるように見えた。 終

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