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かしこみかしこみまをすばつ:04
「これが、例の方――方、と言っていいのかわかりませんが――が、扉を擦っていた道具ですね」
自称幽霊運搬業者がそう言って机の上に転がしたものは、やはり、どこをどう見てもただの枯れ木の棒だった。チョコレート菓子の箱とカロリー栄養ブロックの間にころん、と横たわるそれのシュールさと言ったらない。
恐る恐る机の上を覗き込んだ女子たちは、なんというか……絶妙なリアクションだった。
え? と、は? の間くらいの微妙な困惑。まあそりゃそうだ、俺だって似たような顔を晒していることだろう。
「……えっと……これ、何……ですか?」
らむちゃんの困惑&ドン引きみたいな声も納得の意味不明な木の棒だ。しかし対するキイロは女子のドン引きなどノーダメのご様子で、さも当たり前のように先ほど俺にかましたものと同じ返答を繰り出した。
「枯れ木です。おそらくは榊だと思います」
「さかき……ですか……?」
「はい、あの、よくお正月とかに、神棚に備える葉っぱのアレですね。ボクはあまり、神事にはご縁がないので、詳しくはありませんが。……お寺は、榊じゃないんでしたっけ?」
「……ん!? ああ、俺!? っあーそうねぇ、宗派にもよると思うけど大体樒じゃねーの? 榊祀るとこもあっかもしんねーけど」
普段は普通のリーマンだし、俺自身も俺の家族も巻明秀はただのリーマンって認識だけど、言うて普段寝起きしてる家は寺だし、四季折々イベントっつーか催し物は強制的に手伝わされる。
人様の家に出向いてお経をあげるなんてことはなくても、葬式や仏教行事は一般人より多く目にしているだろう。
葬式の時に仏教で使うのは樒だったはずだ。なんか色々理由はあって匂いが強いからご遺体の匂いを誤魔化せるだとか、先がとがっている植物は依り代になるだとか。その辺適当に聞き流してたからよう知らんけど。
言われてみれば会社の神棚には正月に榊を飾る。似ている植物だし別にどっちでもいいじゃんと思うもんだけど、……つかキイロの話を聞き始めてから、らむちゃんミケちゃんの顔色があからさまにおかしいけど大丈夫なんだろうか……。
ちらり、とキイロの顔を確認してみるものの、こっちは相変わらずの無表情だ。
深夜の二時半に、何かが部屋のドアを榊で引っかき、ノックする。その意味を考えても、俺にはやっぱり検討もつかない。アレが見るのもやばい奴だという感覚的なコトしかわからない。
「結果から申し上げると、アレはボクの手には負えません。なんでだめなのかな、と不思議に思ってましたが、先ほどはっきりとわかりました。なので、申し訳なのですがご依頼はキャンセルしていただきたい、と思っています」
「え。え……そ、そんな、だって、除霊してもらえるんじゃ……っ」
「大体のものは動かすことだけならできるんですが。残念ながら、ボクにもどうにもできないモノがあります」
「どうにも、できない……」
「はい。重すぎる祟りとか。大きすぎる呪い――例えば、神罰とかですね」
神罰。
その言葉を聞いたとたん、らむちゃんの震えがぴたり、と止まった。蛍光灯の下で震えていた顔から、一気に血の気が引いた……ように見えた。握りしめて真っ白になった手を、隣に寄り掛かるように座ったミケちゃんが握る。
二人の視線は、榊の枯れ木から外れない。ただ、放心したようにそれを見つめている。
対するキイロは、ふ、と思い出したように部屋の隅に放り出してあるビニール袋を見やった。
ここに来る前に、俺とキイロでわんさか買った『差し入れ』が入った袋だ。おなかもすくでしょうからよかったら。そう言ってキイロが差し出した袋は、手も付けられずに放置されている。
「……チョコとカロリーブロックを召し上がったみたいですけど、ボクが持ってきた食品は、手つかずですね。果物、餡子、お酒、米菓……」
「え……あ……あんまり、和菓子とか……食べないし、お気持ちは、嬉しいけど……」
「ですよね。若い女性なら、そうだと思います。つまり、お好きじゃないんですよね、あの食品。じゃあ、やっぱり、あなたからあの味がするのはおかしいんです」
「何――」
「らむさん、あなた、すごく小豆の味がします」
小豆。キイロはそう言った。
そしてその瞬間、確実に対峙する女性たちの息が止まった。その変化に気づいているのかいないのか、キイロは相変わらず淡々と言葉を並べる。淡々と、感情なんてもの置き去りにしたように。
「ずっと、何の味だろうなぁ、と思っていたんです。この部屋は……というか、あなた、かな? なんだか、不思議な味がするんです。混ざったみたいな、ごちゃごちゃした味。ひとつずつ、一生懸命パズルを解くみたいに味をたどって、分解して、これかな? と思うものを量販店で見ながら考えました。そうやってボクが分解した味は、お米、お酒、果物、小豆。これ、たぶんなんですが、神饌 なんじゃないかな、と思うんです。……メイシューさん、神饌ってご存じですか?」
「ご存じねーけどなにそれ……」
「神饌。要するに神様にお供えする捧げものです。基本は米、酒、水、塩ですが、果物や野菜や豆を備える地域もあります。特に小豆は『赤色が魔を除ける』として邪気払いの意味も持ちます。赤飯とか、あれも魔よけの赤の意味があるそうです」
神饌。神罰。小豆。赤飯。神社。
あー……すげえ、嫌な予感がする。じりじりと腹の奥が重くなる。脂汗が出る直前のような、息の浅い悪寒。飲み込めない気持ち悪さが、表面にうっすらと浮かぶ時の具合の悪さ。
……キイロはたぶん、ものすごく嫌な話をしている。耳を塞いでしまいたい気持ちをどうにか抑え、俺はただ固唾をのんで見守る。
「ボクは不勉強で、この辺の知識は正直、曖昧なのですが。……でも、さっき、こちらに来ていらしたものは確実に神様に近いもの、だと思います。らむさん、ええと……お仕事は、配信とか、そういうものだっておっしゃってましたよね? 最近、――神社に、行きませんでしたか?」
「………………」
「ボクは、幽霊を運びます。大体のものは、ボクの身体でなんとか収まります。けれどさすがに、祟りとか神様は無理です。それがどんなに小さなものでも、マイナーなものでも、ボク如きが口にできるものじゃない。もしあなたに心当たりがあるならば……」
「………………」
「……らむさん?」
それっきり、彼女は一言もしゃべることはなかった。
隣に寄り添ったミケちゃんも同様だ。二人ともまるで人形のように動かない。
しばらくキイロと二人で呼びかけ、最終手段でちょっと失礼して肩をゆすったりしてみたけど結局俺たちが何をしても、彼女たちは顔を上げるどころか意志のようなものを示すことはなかった。
仕方なく、俺とキイロはお暇することにした。
鍵を開けたまま出て行っていいものか、と案じたけど、まあ入口はオートロックだったし変質者が入ってくることもないだろう、たぶん。……正直、女の子を朝まで守ってあげるぞ! なんて気持ちは微塵もなくなっていた。
彼女たちの態度云々は置いておいて、俺の鳥肌がマジで収まらないからだ。
もう、いなくなったはずなのに。音は聞こえないのに。欄間からべったりと覗いていた何かは居ないのに。俺の首筋はびっしりと立った鳥肌が消えない。
そそくさと靴を履き、早くいくぞとキイロをせかしているとき。
『――御免ください』
と、掠れるような声が響いた気がしたが。
「……メイシューさん、どうしました?」
きょとん、とした顔で首をかしげるキイロには、ただ一言なんでもないと答えて狭い玄関を後にした。
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