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第1話 マーケットにて

焦げた臭いの焼け跡で 男と男の鉢合わせ 闇市栄える新宿に 男の伊達の薔薇が咲く 戦争に負けて何もかもがひっくり返った。焼け跡には暴力だけが残った  昭和二十年八月十五日、日本は戦争に負け、あらゆる価値観がひっくり返った。  皇軍だと胸を張って歩いていた男たちはあらゆる悪事に手を染め、大和撫子と呼ばれた女達はかつての敵の進駐軍に寄りかかって身体を売った。そうしていくばくかの金を稼ぎ、必死に生き抜こうとしていた。  盛り場には焼け跡を不法占拠して闇市が作られた。法外な値段だが何でも買えて、また何でも売れた。ヤクザや愚連隊(注1)が肩で風を切って闊歩し、警察の手も及ばない治外法権の魔境だった。  新宿の駅前に居並ぶ屋台の一つでその復員兵は一杯の雑炊を貪り食っていた。雑炊と言っても、ごみの混じった米軍基地の残飯に申し訳程度にすいとんを入れて煮詰めただけの酷い代物だ。そんな物でも飛ぶように売れたし、買った者はまた美味そうに食べた。そういう時代だった。  屋台の主は男を怪訝そうに眺めていた。雑炊を出しはしたものの、薄汚い軍服に身を包んだこの復員兵が金を持っているのか怪しく思われた。 「ごちそうさん」  復員兵はたちまち食べ終わった。 「十円」  主は無愛想に言った。相手が誰であろうと、闇市で食べ物を商うのに愛想は必要なかった。 「大将、頼みがある。ここで働かせてくれ」  復員兵は頭を下げた。主の予想通り文無しだった。 「冗談じゃねえ。食い逃げする気か」  前金をとらなかったことを後悔しつつ、主は憎憎しげに幅員兵をにらみつけた。 「だから頼むよ。働いて返させてくれ」 「馬鹿野郎!金の無い奴が偉そうな口を利くな」 「だからこうして頼んでるんじゃねえか!煙草の吸殻の入った残飯なんて食わせやがって!」  激昂した復員兵はさっきまで雑炊の入っていた器を掴むと、テーブルに力いっぱい投げつけた。アルマイトの器は物凄い音を立てながら屋台の天井や地面にぶつかって跳ね回り、残飯の煮立つ鍋の中に落ちた。 「こ、この野郎!」  主はまな板に載せてあった包丁を手に取ると、恐る恐る復員兵に向けた。 「下手に出てりゃやる気か?面白い、やってみろ。こちとら鬼も逃げ出すニューギニアで殺し合いは慣れっこだ。さあやれ!どうした!」  復員兵が喚いていると、騒ぎを聞きつけて人ごみの中から一人の男が現れた。周りより頭一つほども背の高い長身の男で、安くないだろう着物の上に「黒澤組」と染め抜かれた半纏を羽織っている。この一帯を仕切る的屋の黒澤組の男らしい。 「あ、頭!」  主は安堵の表情を浮かべた。 「おう、何があったか知らねえが、その辺にしておけ」  頭と呼ばれた男は後から復員兵に呼びかけた。穏やかだが、どこか恐ろしくて異様な迫力の有る声だった。 「うるせえ!」  復員兵は向き直ると、ファイティングポーズを取った。どうやらボクシングの心得があるらしい。「ヤクザ者が指図をするな!」  男の大きな身体と半纏を見ても怖じた様子が無いあたり、腕に相当覚えがあるようだ。頭の方でも気配からそれは感じられた。 「そのヤクザ者の仕切ってる屋台で暴れてる敗残兵よりはマシさ」  頭は復員兵を挑発するように笑った。 「この野郎!」  敗残兵という言葉でとうとうとさかに来た復員兵は、言い終わるが早いか右拳を頭の顔めがけて突き出した。もとより殺しても平気という心積もりだ。  復員兵の予想では、頭は次の瞬間顔を血まみれにして倒れるはずだったが、現実は違った。頭は額で復員兵の拳を受け止め、更には左手で復員兵の手首を握っていた。  復員兵が手首に感じた力は尋常な物ではなかった。まるで万力に潰されるようで、とても振り払うことなど出来そうもない。  何とか逃れようと引っ張ったのは迂闊だった。腕が伸びきった次の瞬間、復員兵の右肘に頭の右肘が渾身の力を込めて振り下ろされた。肘の関節が外れ、復員兵は激痛に叫び声を上げながらその場に崩れ落ちた。 「おう、これから戦友の居る九段に連れて行ってやろうか?」  頭は残酷な笑みを浮かべ、倒れた復員兵の左腕を掴んで軽々と引張り上げた。九段には靖国神社が有る。 「殺してやる…」  息も絶え絶えになりながらも復員兵の目からは闘志が消えていない。頭を相手にそういう態度を取ると余計に痛い目を見ることになるのを復員兵はまだ知らない。 「面白い、殺してみろ」  頭はさも楽しげに笑いながら、先と同じ要領で今度は左肩を蹴りつけて外した。激痛のあまり復員兵はとうとう失神した。 「頭、ありがとうございます」  すっかり蚊帳の外の主は深々と頭に頭を下げた。その顔は引きつっている。 「おっさん、商売の邪魔をして悪かったな。改めてお詫びをするから後で事務所に来てくれ」  頭はそう言い残すと復員兵の襟首を掴み。引きずりながら引き上げていった。  彼らはマーケットと呼ぶ闇市の入り口傍、マーケット全体を見渡せる二階建ての建物が黒澤組の事務所だった。  頭が入り口のドアを開けると、中で将棋を指しながら留守番をしていた二人の若い衆が慌てて駆け寄ってくる。 「頭、ご苦労様です。その引きずってきた野郎は?」  頭が懐から取り出した外国煙草を咥えたところへすかさずマッチで火をつけた若い衆が、半死半生の復員兵を指差した。 「マーケットで暴れてたごろつきだ。二階は空いてるな?」 「へえ。誰も居ません」 「よし、いつもの通り誰も入れるなよ」  頭はさも満足そうに口から紫煙を吐き出して若い衆に十円札を二枚渡すと、復員兵を肩に担いで事務所の細い階段を軽やかに登って行った。 「頭の病気が始まったぜ」  その後姿を見送りながら、金を受け取った若い衆は十円札の一枚をもう一人に手渡した。 「あれさえなけりゃな」  受け取った方の若い衆も苦笑しながら天井を見上げた。 「まったく、元相撲取りだからってんじゃあるまいが、頭がカッパ(注2)が好きなのには参るよ」 「もっとも、俺も中ではアンコ(注3)は飼ってたけどよ」  二人は符牒で二言三言会話を交わしながら元の席に着き、二階に意識を向けまいとするように再び将棋盤へと視線を落とした。  事務所の二階は詰めている若い衆が寝泊りをする四畳半と、客人部屋になっている六畳の二間だった。頭は復員兵を客人部屋に無造作に投げ込むと、部屋の柱に両手を縄で縛り付け、煙草の火を復員兵の首筋に押し付けた。 「うう…」  抵抗する気力さえなく復員兵はうめき声を上げる。 「おい、起きろ」 「畜生、ここはどこだ」  復員兵は煙草の火から逃れることもままならず、息も絶え絶えに言い返すのがやっとだった。 「うちの組の客人部屋だ」 「糞!ノックアウトの哲と言えば、ハマ(横浜)じゃ戦前からちょっとは名の知れた男だ。煮るなり焼くなり好きにしろ」  どんなリンチを受けるか想像も付かなかったが、なるようになれとばかり哲と名乗った復員兵は啖呵を切った。 「ノックアウトの兄さんよ、ここはジュク(新宿)だぜ。愚連隊のゴミ風情にデカい面されちゃマーケットの衆に示しがつかねえんだよ」  頭は火の消えた煙草を灰皿に捨てると半纏を脱ぎ捨て、着物を脱いだ。  六尺褌一本になった頭の身体は鋼のような筋肉に包まれ、極彩色の阿修羅の刺青がその上を躍動し、さながら一枚の錦絵のような美しさであった。 「貴様、阿修羅の龍之介か」 「ほう、ハマの田舎者にも俺の名前は聞こえてるんだな」  喧嘩好きが過ぎて破門された元関取の修羅王龍之介が、四股名に因んだ阿修羅の刺青を背に新宿の黒澤組でちょっとした顔になっているという話は、哲が横浜に居た頃から風の噂には聞いていた。「お前、いい面をしているな。六代目の若い頃によく似てる」  龍之介は贔屓の歌舞伎役者の名を挙げ、四つん這いになった哲の耳を掴んで強引に自分の方に引き寄せた。思いがけず目の前に来た龍之介の顔に、哲は唾を吐きかけた。 「何をする気か知らねえが、俺は殺されても音を上げねえぞ」  両腕を叩き壊された痛みさえ忘れて哲はこんなことを言った。喧嘩の勝ち負け以上にこういう時の態度が男の貫目を決めるというのが哲の考えだった。 「お前みたいな鼻っ柱の強い男を滅茶苦茶にするのが、俺はたまらなく好きなんだ」  吐きかけられた唾を拭う龍之介の六尺褌に包まれた股間が、前方に鋭く迫り出している事に哲は気付いた。全身の血の気が引く感覚を哲は覚えた。 「手前、変態か」  それでも哲は強がる。その強がりが余計に龍之介を悦ばせるのにはまだ気付いていない。 「自分の立場を考えるんだな」  龍之介は哲のズボンに手をかけた。鉄は最後の力を振り絞って抵抗したが、あえなくズボンは中に着けていた越中褌と一緒に哲の身体から離れていった。 「ふふ、いい尻だ」  龍之介は哲の尻の双丘を両手で開くと、間に隠れた秘穴をさも楽しげに眺めた。「何だ?お前男を知らないな」 「お前なんかと一緒にするな」  一般にアウトローと言うものは、女の居ない「別荘」では大なり小なり男を嗜むものだ。哲とてそのくらいは分かっていたが、幸か不幸か哲は鑑別所にも刑務所にもまだ入ったことが無かった。 「いつまで強がり言ってられるかな」  龍之介は言い終わるが早いか哲の尻に顔を埋め、秘穴を舐め始めた。 「あっ!」  思いがけない「口撃」に、哲は思わず声にならない声をあげた。「やめろ!変態!」  口だけは抵抗したものの、空腹と両腕の怪我もあって身体にはまったく力が入らない。  哲は女の方は散々やった口であった。本牧のチャブ屋(注4)には馴染みの女が居たし、不良少女を仲間と輪姦してそのまま情婦にしたりもした。戦地でも慰安所には散々通ったし、現地人の女に物資をやって手懐けもした。  だが、女に尻の穴を舐めさせた事はさすがに無かった。それを今、自分を散々に痛めつけた名の有る稼業人が舐めている。哲は知らず知らずのうちに奇妙に倒錯した興奮を覚え始めていた。 「何だ、人のことを変態呼ばわりしておいて、お前もしっかり感じてるじゃねえか」  龍之介は一瞬舌で哲を責めるのをやめたかと思うと、今度は哲の肉棒を掴んだ。いつの間にかそれは目一杯固くなっていた。「ろくに食う物も食ってないくせに元気だな」 「うっ、この変態野郎…」  龍之介が乱暴に肉棒を擦り上げると、哲はその絶妙な感触に抵抗しながらも思わず甘い声を上げてしまった。十三で女郎買いを覚えて以来、今まで抱いてきた何百という女のいずれも与えてくれなかったえもいわれぬ快楽であった。 「どうした?ノックアウトの哲がノックアウト寸前か?」  龍之介は空いたもう片方の手で哲の玉を弄び、また舌で秘穴を責め始めた。あまりの妙技に哲はたちまち腰砕けになり、快楽で思考能力を奪われていく。もはや抵抗する気力など残っていなかった。 「うう…」  我慢が利かなくなった哲は、とうとう理性も何もかなぐり捨てて、自分で龍之介の手の動きに合わせて腰を降り始めた。肉棒は快感で脈打ち、畳には露が零れ落ちている。絶頂に達するのは時間の問題であった。  もう少しというところで、それを見透かしたように龍之介が哲の下半身から離れた。生殺しにされた哲は思わず屈辱と哀願の入り混じった表情を龍之介に向けた。勿論それを見逃す龍之介ではない。 「腰まで使いやがって、どっちが変態だか分からんな」  意地悪な笑みを浮かべつつ、龍之介は哲の尻を力一杯叩いた。関取の張り手を尻に食らって痛くないはずが無いが、頭のネジを二本三本飛ばされた哲にはもはやそれさえ快感であった。痛みに叫び声を上げつつも、肉棒がびくびくと強く脈打った。「これはヤキだ。お前だけ楽しもうったって、そうはいかねえぞ」  龍之介は痛いほど前が張り出し、山頂の濡れた己の褌を解いた。哲のそれよりもずっと立派な大業物が天にも届けと屹立し、哲が欲しいと激しく自己主張していた。哲は弱音こそ吐かなかったが恐怖で青ざめた。 「こいつは死ぬより辛いかもな」  龍之介は己の肉棒に唾を塗り、がくがくと震える鉄の腰を捕まえると、秘穴に一気に肉棒を突き入れた。 「あぐっ!」  哲は龍之介が入ってきた瞬間、悲痛な叫び声と共に絶頂に達した。畳に大量の精がぶちまけられ、龍之介の興奮を煽った。 「いい締りだ。最高だぞ!」  送り出したことはあっても迎え入れたことの無かった哲の秘穴は龍之介の肉棒を押し潰さんばかりに締め付け、龍之介は思わず愉悦の表情を浮かべながら激しく腰を抽送させて快感を貪った。哲は激痛に声にならない声を上げて悶えるが、それは龍之介の興奮を増幅させるばかりで、叫べば叫ぶほどに龍之介は大きく、激しく哲を責め立てるのであった。  哲の悲痛な叫び声は階下の二人の若い衆にも聞こえた。おまけに龍之介が余りに激しいので、バラックに毛の生えたような事務所は全体ががたがたと揺れて天井から埃が降ってくる。 「今日は一段と凄いな」  湯のみ茶碗に埃が入らないように、口を手で塞ぎながら若い衆の一人が言った。 「今どこかの組が殴りこんできたりしたらどうなっちまうんだろうな」  もう一人は将棋盤をあれこれ指差しながら思案にふけっている。 「俺が殴りこむ側だったら、怖いから出直すね」 「うん、それもそうか」  二人は上でどんな光景が繰り広げられているのかをなるべく想像しないように気をつけながら、将棋の駒を戦わせるのが精一杯であった。 「どうした?口では嫌そうにしてるがこっちは正直だぞ」  龍之介は激しく哲を貪りながら、哲の分身を握り締めた。いつのまにかそれは再び激しく屹立していた。 「殺せ…殺せ…!」  もはや哲は思考能力を失い、そう叫びを挙げるばかりであった。 「おう、殺してやる!死ね!死にやがれ!」  龍之介は一層激しく腰を使い、哲を責め立てる。絶頂はすぐそこに来ていた。「どうだ!死ね!」 不意に鉄の秘穴が強く締まり、その瞬間龍之介は叫び声をあげながら絶頂に達し、哲は意識を失って力なくへたり込んだ。  気を失った哲が目を覚ましたのは夕方になってからだった。両腕と尻の痛みで最悪の気分であった。 「おう、起きたか」  龍之介は着物を真新しい浴衣に着替え、煙草を吸いながら哲の起きるのを待っていた。 「畜生、殺せ!」  哲は先ほどの醜態も忘れていきり立った。両腕を縛っていた縄は解かれていたが、腰が抜けてどうにも起き上がれない。 「強がりはその辺にしとけ。お前は俺には勝てねえよ」  龍之介は煙草を灰皿に捨てると、側に置いてあった竹の皮の包みを開けた。中には哲が夢に見るのさえ忘れた白米の握り飯が入っていた。「食え。お前もハマでは名の知れた男だったんだろう?それが残飯の雑炊一杯でみっともねえぜ」 「ヤクザ者の施しは受けねえ」  哲は龍之介が目の前に突き出した握り飯から顔をそむけた。 「そうやって一匹狼を気取るのもいいが、勿体ねえじゃねえか。お前ほどの男が愚連隊なんてよ。どうだ?俺について来て男を磨かねえか?」 「俺に、あんたの舎弟になれってのか?」 「お前って男が気に入った。俺に掘られて最後まで音を上げなかった奴は初めてだ」  龍之介の意外な言葉に哲はしばし呆気にとられたような顔で黙っていたが、やがて向き直ると、龍之介の持っていた握り飯にかぶりついた。子供の頭ほどもある大きな握り飯はたちまちのうちに哲の胃袋の中に納まってしまった。 「兄貴、俺を男にしてくれるかい?」 「良い面だ」  龍之介は満足そうに微笑み、一升瓶と盃を取り出し、盃に酒を注いで六分ほど(注5)を自分で呑み、哲に差し出した。「こいつを飲んだら兄弟だ」  哲は黙って差し出された盃の酒を飲み干した。 「兄貴!」 「哲、これからは黙って俺についてこい」  窓から差し込む秋の夕日だけが見届け人の、あまりに簡素な兄弟盃であった。 注釈 (注1)愚連隊 博徒や的屋といった旧来のヤクザの組織に属さない雑多な不良。現在で言う半グレ。任侠道の類を心得ず、ヤクザより凶暴で行儀が悪いとされた (注2)カッパ ヤクザ並びに刑務所内での隠語で、攻めやタチの意。カッパが人間の尻を狙うことに由来するという (注3)アンコ 同じく受けやネコの意。アンコウが何でも飲み込む様に由来するという (注4)チャブ屋 戦前の横浜にあったダンスホールを兼ねた高級な売春宿。客は専ら外国人で、日本人の客は限られた (注5):兄弟盃 兄弟盃も互いの関係によって五分、五厘下がり、四分六分、三分七分と種類がいくつかあり、互いに盃の酒をどれだけ飲むかが変わる。この場合、龍之介が六分の兄貴分、哲が四分の弟分となる

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