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第2話 陛下の赤子

氏より育ちの陸軍家業 陛下の赤子に隔たりが どうしてあってなるものか 陸軍魂とくと見よ 龍一と昭雄は陸軍の名誉の為、己の名誉の為に拳を振るった。俺たちは陛下の赤子だ!  昭雄は艶子の件が片付いて後、龍一の当番兵(従卒)の役目に就けられた。自分が側に置いて昭雄を制御するという名目で師団長に口利きをしたのだ。  果たして昭雄は本来畑違いのノミ屋を廃業し、金貸しも辞めないまでも規模を縮小し、金利を半分にして無理な取り立てをしなくなった。それどころか隠然たる影響力をもって軍紀を引き締める立場に回り、龍一の小隊は私的制裁が激減する一方で成績と軍紀が大幅に向上した。 「軍隊も中も仕切り方はあんまり変わらねえな」  官舎で龍一と交わりながら、昭雄はしみじみそう言った。 「お前、入ったことあるのか…」  昭雄の肉棒の感触を楽しみながら、龍一はそう言った。 「幸いまだムショはないですけどね。間違い(注1)を起こしてブタ箱(留置所)には何度も」 「大変な稼業だな」 「こっちも大変だ」  そう言って昭雄は龍一の肉棒を乱暴に扱いた。龍一は快感に身悶えし、昭雄を締め付けて興奮を煽った。「これは二回目の時に覚えたんですよ」 「士官学校じゃ教えて貰えなかった。あぁ!もっと!」  手前勝手に自分の快楽の事しか考えない士官学校時代の連中と違って、昭雄は男を悦ばせる術を熟知していた。それがますます龍一を夢中にさせた。 「兄貴!締めすぎだ…」  たまりかねた声で昭雄は腰遣いを早め、精を放った瞬間たまらず龍一もつられて精を放った。 「ともかく、お前のおかげで助かってるよ」  布団に包まって酒を飲みながら龍一は満足げだった。「よし、明日は日曜だし、久しぶりにエスプレイ(注2)と洒落込むか」  二人は兄弟分となってからは日曜ともなれば連れだって出かけて飲み歩くようになっていた。 「赤坂ですか」 「いや、エンコ(浅草)へ足を延ばそう。馴染みの女が居るんだ」 「住んでたんだから馴染みは馴染みでも顔馴染みでしょ」 「分かるか?」 「俺、エンコは不案内なもんで、案内は頼みますよ」 「任せとけ。『水月楼の龍』の手並みを見せてやる」 「浮気しねえようにもう一発だ」  そう言って昭雄は龍一にのしかかり、そのまま肉棒を突き立てて事を始めた。まだ消灯には間があった。  翌日、二人は連れだって都電で浅草へ乗り込み、時間潰しを兼ねて寄席に入った。客も芸人も皆龍一の事を知っているのに昭雄は驚いた。あるいは顔の売れ方は自分以上かもしれないと龍一のことを改めて見直した。 「いやあ、やっぱり寄席は下町ですね」 「だろ?山の手回り(注3)は大した芸人じゃねえからな」  寄席を出るとすっかり日は落ちていて、人通りもまばらである。「よし、行くか。あっちの方は実家だから鬼門だ」  龍一は実家の洋食屋のある方を指さして笑うと、煙草に火をつけて反対方向へ歩き始めた。  もうすぐ目当ての料亭と言うところで事件が起きた。白い軍服を着た将校が従兵と一緒にしつこく芸者に絡んでいる。 「なんだ、ありゃ海軍さんだ」 「珍しいな。あいつら専ら新橋だろ(注4)」 「珍しいのは俺たちだって同じですよ」 「待て、ありゃ滝丸じゃねえか。おい、滝丸!」  芸者の方は龍一と知り合いのようだった。 「あ、龍ちゃん」  滝丸と呼ばれた少し龍一より歳若らしい芸者は地獄に仏とばかり安堵の表情を浮かべ、龍一の方に駆け寄った 「どうした?箱屋(注5)くらい連れて歩けよ」 「出払っちゃってんのよ」 「まったく、相変わらずお前のところの女将さん人使い荒えな。後で呼ぶからさっさと行っちゃいな」 「ありがとう。サービスするからね。勿論兵隊さんにも」  滝丸は昭雄にウインクすると足早に夜の闇へと消えていった。 「いい女ですね」 「だろ。俺の幼馴染なんだ。凄い音痴だけどな」 「こら、何だ貴様は」  滝丸に絡んでいた海軍軍人は二人に詰め寄った。将校の方は二本筋に桜が三つの階級章を付けている。龍一より格上の大尉だ。兵隊の方は相撲取りのように大きく、田舎者らしい。どっちも少し酒に酔っているようだった。 「おう、海軍さんは何でもスマートを旨にするって聞いてるが、随分と野暮な真似をするじゃあねえか」  先に吹き上がったのは昭雄の方だった。こういう揉め事を阻止するのが昭雄の本当の仕事だ。もとより階級章など見ていない。 「何を?陸軍はどういう教育をしとるんだ。海軍ならこうだ」  大尉は何故か連れていた兵隊にビンタを食らわせた。 「陸軍でそんな馬鹿な事やってたら後ろ弾だな(注6)」  昭雄は指で拳銃を作って大尉に向けた。 「こらこら、よさんか。大尉殿、申し訳ありません」  せっかく遊びに来た手前、龍一は昭雄と同い年ながらも大人なところを見せて大尉に敬礼をして謝罪した。 「貴様、姓名は?」 「陸軍中尉、趙龍一であります」 「外地人か?陸軍は得体の知れん者を飼っとるな。そんな事だから大陸情勢は一向に収まらんのだ」  大尉が言ってはいけない事を言ったのに気付いたのは、昭雄と側耳立てて聞いている近所の人達だけであった。 「まあまあ大尉殿、この非常時に天下の往来で陸海軍で揉めてたんじゃ銃後の人達に示しが付きません。ちょっと奥へ入って話しましょう」  龍一はにこにこしながら路地を指さし、二人を中へ入るよう促した。大尉は龍一に言われるまま路地へと入り、そこへ龍一と兵隊が入り、昭雄が殿で続いた。路地の奥に進むと、そこは行き止まりになっていた。 「塞いどけ」  龍一の一言を合図に昭雄が待ってましたとばかり兵隊の後頭部を殴りつけたのと、龍一の左フックが大尉の脇腹に飛び込んだのは同時であった。海軍の二人はまんまと龍一の策に引っかかったのだ。  大尉が身体をくの字に曲げて悶絶した瞬間、龍一の右拳が大尉の顎を跳ね上げ、返しの左を胸元に食らって大尉は行き止まりの板塀に叩きつけられて崩れ落ちた。 「おう、この弱い者いじめの糞野郎、随分と言ってくれるじゃねえか」  龍一は大尉の首根っこを掴んで無理矢理引っ張り上げた。歯を折ったのか舌を切ったのか、大尉は口から血を垂らしながら何か言おうとするが、言葉にならない。 「俺の親父は台湾人だが、エンコの人は皆浅草の趙さんと言やあ誉めはしても悪くは言わねえぜ。さっきの滝丸だってガキの頃は腹を空かしては親父の店に来て中華そばを食って、お礼に下手糞な覚えたての都都逸やなんかをやったもんだ」  龍一はそう言いながら何度となく大尉の腹を殴りつけた。その度大尉の口から血が飛び散って龍一の顔を汚した。 「俺は陸軍中尉、天下御免の陛下の赤子だ。陸軍はお前ら気取り腐った海軍のように娑婆の身分をとやかく言わねえ。台湾人だろうと朝鮮人だろうと出世ができるしパイロットにも師団長にもなれるんだよ。何故かわかるか?」  大尉はえらい相手に喧嘩を売ったと後悔しながらも最後の抵抗に出た。拳銃を抜いたのだ。 「そう。鉄砲の弾は宮様だからと避けやしねえし、台湾人だけ狙って飛んでいくわけでもねえ。誰にでも狙えば当たるんだよ。お前、人殺したことあるか?安全装置が付いたままだぞ。その分だとビンタばかり取って仕事した気になってやがったな」  龍一は大尉の拳銃に全く動じた様子もなく、大尉の帯びていた短剣を抜き、大尉の喉元に突き付けた。 「船の上を走り回ってりゃ済むお前らカンカン虫と違って、俺達は泥の中を這いまわって敵と面と向かって殺し合いだ。どっちが根性があるか、一つ試してみるか?」  大尉の手はもはや狙いが付けられないほどガタガタと震え始めた。 「俺はお前を殺して銃殺刑になってもこの際平気だし、エンコの人間は誰も俺のやった事に文句を言うめえが、お前は俺を殺す根性も死ぬ根性もねえだろうし、あったとしても田舎の親兄弟はもう表を面上げては歩けねえだろうな」  龍一は短刀を持った手で器用に大尉の拳銃の安全装置を外してスライドを動かし、弾の出るようにお膳立てをして自分の胸を短刀の柄で指し示した。 「どうした?撃ってみろ?撃ちやがれ!」  龍一が大喝すると、大尉はとうとう恐怖のあまり拳銃を取り落として小便を漏らした。 「よし、俺の番だな。ネルソン提督でも途中でもう殺してくれと泣き叫ぶような無残なやり方で捌いてやる」  龍一は怒りを通り越して狂気に満ちた目で大尉を睨みつけ、大尉の目に短刀を突き付けた。 「気持ちはわかりますが、殺すと後が面倒ですよ」  ようやく兵隊を片付けた昭雄が、後ろから龍一を制した。「重営倉(注7)くらいならともかく、いくらなんでも銃殺刑の身代わりは嫌だ」 「お前喧嘩が商売だろ。にしては手こずったな」  血の泡を吹いて失神した大尉を投げ捨て、龍一はようやく正気を取り戻した。 「海軍の方が食い物が良いんですよ」  倒れ伏した兵隊の横腹を昭雄は蹴りつけた。兵隊は声もなく血の混じった吐瀉物を吐き出した。 「糞、拳銃も上等だ。こんなのが前線の兵隊に行き渡ればなあ」  龍一は大尉の拳銃を拾い上げると、自分の拳銃と見比べてしみじみと呟いた。大尉の拳銃はアメリカ製で、龍一の日本製の安物より随分上等に見えた(注8) 「そもそも野戦に行ったことあるんですか?」 「まだねえ。けど戦争なんて一見やるように見せかけてやらねえのが一番なんだよ。喧嘩と同じ」 「そんなもんですかねえ」 「士官学校でもそう教わったぞ」 「そうだよ龍ちゃん。将校さんにもなって喧嘩なんてよしなよ」  塀の節穴からこっそり見物を決め込んでいた長屋の婆さんが、塀越しに龍一をたしなめた。 「婆さん、塩まいとけよ。コレラが流行るぞ」  龍一は拳銃の弾を抜いて短刀ともども投げ捨て、兵隊をわざと踏みつけて路地を出た。「よし、腹ごなしも済んだし飲みに行くか。滝丸の音痴な歌聞かなきゃエンコに帰って来た気がしねえ」 「そうこなくちゃ」 「ありゃあ男と寝ないので有名だからな。ジークフリート線より手ごわいぜ」 「ジークなんちゃらって何です?」  二人は恐ろしい喧嘩がまるでなかったかのように目的地の料亭へと足を急がせた。  この喧嘩は二人が仕掛けたとはいえ、発端は完全に海軍側に非があったし、第一あまりにみっともなかった。まさか訴え出られるわけがないという計算が二人にはあったのだが、大尉はあろうことか上司に訴え出た。  事件から三か月後に突然呼び出されて連隊長から叱責を受けながら、こんな事なら大尉を殺して本懐を遂げておけばよかったと龍一と昭雄は後悔した。 「個人的にはお前達を褒めてやりたいが、こうなってしまうとそうもいかん」  連隊長は呆れ半分悲しさ半分という表情で二人を見た。「近隣住民の証言もあるから海軍も表沙汰にはしないつもりのようだが、世の中万事本音と建前と言うものがある」 「どういうことでありますか?」 「我々は今度の異動で野戦に行くことになるだろう。それも最前線に」  龍一と昭雄は顔を見合わせた。瓢箪から駒と言うにはあまりに高くつく代償であった。浅草界隈では二人の武勇伝は褒めそやされ、龍一の実家の洋食屋は前にもまして繁盛し、滝丸以下浅草の芸者衆に二人はもててもてて我が世の春であったのに、一転命の保証なしの野戦行きである。「とにかく、今のうちに身辺の整理をしておくように」  連隊長にそう言われても、25歳の若者にはあまりに難しい注文であった。やれることと言ったら知り合いにそれとなく暇乞いをして、この世の名残と今まで以上に浅草通いに精を出し、二人で秘密の情事に耽るくらいであった。 「さあ、二人とも湿っぽい顔してないで。そんな簡単に死ぬタマじゃないでしょ」  滝丸が酒を進めても、二人はあまり飲む気にはなれなかった。今日の外泊を名残に連隊は大陸へ送られるのだ。「ほら、千人針作っておいてあげたから。芸者衆だけの千人針なんて滅多にないわよ」  二人は滝丸から受け取った千人針をしみじみと眺めた。これを持っていれば弾に当たらないというが、少なくとも龍一の士官学校の同期のうち三人は千人針諸共靖国神社へ行っている。 「料理もどんどん悪くなるな」  昭雄は目の前のお膳に乗った刺身を口に運び、酒を飲んだ。酒もこの頃幾分か薄くなったようだった。戦争に向けて配給制が始まり、実家も材料の確保に困っていると聞いていた。 「あんた達、陸軍でも札付きの暴れ者でしょ?そんなぐずぐずしないの」  そう言って滝丸は昭雄にもたれかかった。「さあ、日本の名残りよ。なんなら二人一遍でもいいわよ」  滝丸は奥の間の襖を開けた。布団が敷かれている。男嫌いで通った滝丸としては異例の事であった。 「滝丸、すまんが外してくれ」  龍一は千人針を懐にしまい、吸っていた煙草を灰皿に捨てた。 「何よ、私じゃ不満だっての?」 「いいから外せ」 「ふん、わからずやなんだから」  滝丸は怒りながら部屋を出て行った。龍一と昭雄と上等とは言えない料理と煙草の煙だけが座敷に残った。 「兄貴、いいんですか?」 「いいんだよ」 「滝丸は俺より兄貴に惚れてるようですぜ」 「いいんだ!」  龍一はそう言って昭雄のズボンに手をかけた。「俺は滝丸よりお前に惚れてるんだ」 「…案外兄貴も野暮だな。けど俺も野暮だ」  昭雄は全てを察して龍一を押し倒し、龍一の軍服を脱がせた。「初めて人を斬った時の事を思い出すぜ」 「お前、結構色々な事をやってるんだな」 「殺したと思って慌てて女のヤサへ逃げ込んで、そのまま二日ぶっ続けでやりまくったもんですよ」 「大陸の敵はどこぞのヤクザのようにはいかないぞ」  龍一は昭雄の股間を褌越しに掴んだ。褌が破れんばかりに昭雄の肉棒は固く大きくなっていた。 「突撃の予行演習だ」  昭雄は褌を取ると、龍一に一気に押し入った。昭雄はいつにも増して大きかったが、龍一もまたいつも以上に乱れていた。 「昭雄、このまま俺は死んじまいたいよ」  昭雄のたくましい体に抱かれながら、龍一は弱弱しくつぶやいた。既に龍一は陸軍大尉ではなく、一人の雄であった。 「俺だって!」  二人のあまりの激しさに部屋は揺れ、徳利が畳に落ちて飲み残しの酒がこぼれた。「俺は靖国になんか絶対行かねえ。兄貴も行かせねえ。俺たちは絶対生きて帰るんだ」  昭雄もそうは言いつつ不安で一杯であった。こうして二人身体を重ねることしか死への恐怖を紛らわす方法は思いつかなかった。 「いいぞ、昭雄、もっとだ」 「兄貴!」  二人は同時に達し、昭雄は龍一を四つん這いにしてそのまま二度目になだれ込んだ。今夜ばかりは何回やっても収まりは付きそうになかった。 「うう、兄貴、兄貴!」  昭雄は獣のような唸り声を上げながら無我夢中で龍一を貪った。龍一は人には見せられないような姿態で昭雄の肉棒を全身で堪能し、二匹の雄はそうしていつまでも乱れ続けた。 「心中者は凄いって言うけど、ああいうのを言うのね」  滝丸は埃を立てて揺れる二階の天井板を睨みつけ、三味線も持たずに料亭をさっさと出てしまった。二人の間に自分の入り込む余地はどうやらなさそうであった。 注釈 注1:間違い ヤクザの中でもテキヤは喧嘩を本分とはしないため、喧嘩を間違いと呼ぶ 注2:エスプレイ 士官学校の隠語で、芸者遊びの事。単に芸者を指してエスと呼ぶ 注3:山の手回り 当時は東京に無数の寄席があり、芸人はいくつもの寄席を掛け持ちした。下町が寄席の中心地で、山の手の寄席は専ら一枚落ちる芸人が出演した 注4:軍人と花街 陸海軍は不仲であったのと、所在地の関係から花街にも暗黙の縄張りがあり、陸軍は赤坂、海軍は新橋で専ら遊んだ 注5:箱屋 芸者の三味線をもって置屋から料亭へ芸者を送り迎えする職業。こういう事態が起きないための警護も兼ねていた 注6:軍隊の私的制裁 戦場で報復の危険がある為、陸軍は比較的私的制裁が少ない。報復の機会の少ない海軍や航空隊でむしろ私的制裁は顕著であった 注7:重営倉 軍隊の刑罰で、営倉と呼ばれる懲罰房で僅かな食事で監禁される。きわめて過酷で20日が限度とされる 注8:軍隊と拳銃 日本軍において下士官や将校の拳銃は自前で用意することが求められた。型式は特に決まっておらず、各人の好みや予算によってまちまちだった

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