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第3章 はな六のふぜんなクリスマス②

 外出していたマサユキが戻り、それぞれに指示を出した。予約の入っている者達は荷物をまとめた。はな六はお泊まりコースの予約の前に、欠勤者の代打として常連客のハラダのもとに行くことになった。  マサユキは玄関に続く廊下に立ち、出発する者達を一人一人ハグして送り出していく。はな六は一番最後尾に並んでいたが、わざとマサユキの手に届かないように壁伝いに歩いて、「行ってきます」と通り過ぎようとしたところ、マサユキに呼び止められた。 「んー、何ですか?」 「今日はお客さんの所へ一泊するって、サイトウくんには話してありますよね?」  はな六は怪訝に思いながらも頷いた。何日も前に、サイトウのところにマサユキから連絡が来ていたし、はな六だってちゃんと自分の口で伝えている。今日家を出る時も、サイトウは文句を言わずにはな六を送り出してくれた。サイトウははな六を抱き締めて一回口付けると言った。 「ケケケ、夜中におうちに帰りたいって泣くなよな」 「そんなことにはなりませんから、ご心配なく!」  と、はな六は答えた。  何も心配などはないのに、第三者のマサユキが我が事のように心配そうな顔で両手を差し伸べるので、はな六は渋々マサユキの腕の中に抱かれた。 「あぶないなと思ったらすぐ連絡してください。必ず助けに行きますからね」 「はい」  マサユキのふかふかな胸に鼻先を埋め、大人しくはな六は応えた。そうは言うけれど、マサユキが案じているのははな六の身の安全ではなく、はな六をサイトウの元にちゃんと返せるかということだ、と思いながら。 「は……あ……あぁんっ。ハラダさん……気持ちいぃっ……もっと突いて……あぁっ……」  少し皺の寄ったゴムに覆われた細長い一物で、ハラダははな六の中を丁寧にこすり上げていった。カリの部分が後孔の内側をくまなくなぞり、溢れ出た粘液を掻き出してゆく。身体だけでなく心の中からも悪いものを綺麗に掻き出されていくような心地よさに、はな六は酔った。  ハラダは五十代後半から六十代前半くらいの男で、いつも、皺だらけの全身をはな六に舐めさせたあと、はな六を四つん這いにさせて後ろから淡々と犯す。店の仲間達によれば、ハラダという人はこのワンパターンなプレイを誰に対してもずっと、飽きずに繰り返しているらしい。  はな六にとっては、楽をさせてもらえるばかりか気持ちよくしてくれた上にお金までくれる、有難い客だ。  ハラダは射精した後、皺だらけの身体をはな六の背中に覆い被せ、耳許に囁いた。 「今度は、生でしようね」  優しいハラダだが、そんな彼にも欠点が二つあった。ひとつはコンドームを着けないでしたいとしつこいこと。そしてもう一つの欠点はというと。 (うっ……)  シャワーから上がると、ハラダはいつも通り、はな六のためにお菓子を用意して待ち構えていた。 「さ、六花さん。疲れたでしょう? 時間まで休んで行ってくださいね」 「あ……いつも、ありがとう、ございます……」  ハラダは“女の子”をお菓子でもてなすためにわざわざ時間配分をする。相手がダイエットをしていようが、胃の調子を悪くしていようが、関係ない。はな六だけでなく、ハラダに呼ばれた者は皆、気持ちよくしてもらえるだけにこの厚意を断れない。ただムイだけが「卵アレルギーなので」と嘘を吐いてケーキ類を断固拒否しているが、その代わり、毎回あまり好きではない煎餅を食わされているとのことだ。 「いただきます……」 「どうぞ、遠慮なく召し上がれ」  はな六はジャスミンティーだけは断り、出されたケーキをやけくそで口に運び、飲み込んだ。 「今日はお呼びいただき、ありがとうございました!」  はな六は全速力でマンションを出、近くのコンビニに向かった。二リットルの水を二本買い、トイレに駆け込む。そして水をがぶ飲みして、喉奥に指を突っ込んだ。 「おぇぇぇぇ!」  はな六の胃は消化機能を持たないから、食べた物は吐き戻すしかない。はな六は何度も水を飲んでは胃の中のものを繰り返し吐いた。買った水を全て使ってやっと、胃の中が綺麗になる。トイレを出、店を出る前にゴミ箱に空のペットボトルを二本捨てた。この一連の流れを、はな六はもはや何も考えずに行えるようになっている。 「ありがとうございましたーまたお越しくださいませー」 (絶対、おかしなヤツだと思われてる……)  はな六は店員の顔を見ないように、そそくさとコンビニを出た。    約束は二十二時。森の側の高級マンションに時間に余裕を持って到着することが出来た。  玄関を上がった途端ぎゅうっと抱き締められる。 「六花ぁ、待ってたよぉ」  早めに来たというのに、ジュンソはまるで何時間も待たされていたかのようで、眉尻を情けなくハの字に下げていた。はな六の足元にすり寄ってくる猫の“にくまん”の方が冷静沈着なくらいだ。 「呼んでくれてありがとう、ジュンソ」  はな六はジュンソの背中をぽんぽん叩いた。 「あれから何度かお店に電話したんだ。たちの悪い風邪を引いていたんだって?」 「んー。でも今は大丈夫。すっかり良くなったよ」 「それは良かった。ねぇ、六花。今日は良いものを用意したんだ。早く来て」  ジュンソははな六の手を握ってリビングへと引っ張っていく。 「きっと君は喜ぶ」  まるで子供のようだ。もしもジュンソのファン達がこの様子を見たらどう思うだろう? がっかりするだろうか。それとも「可愛い!」と嬌声を上げるだろうか。 「じゃーん!」 「わんわ……!」  ローテーブルに置かれていたのは、初心者用の囲碁セットだ。小さくて薄いボードの小路盤が二枚、そしてプラスチックの碁石。懐かしの『はな六こども囲碁教室』で使われていたものと同じものだ。 「この間、実家に帰った時に持ってきたんだ。六花は高価なものをあげるとびっくりしてしまうみたいだから。これなら貰ってくれるだろう?」 「え……」 「ちょっと早目のクリスマスプレゼントだと思って、受け取ってくれるよね?」  はな六を真っ直ぐ見詰めるジュンソの目には期待が満ちていて、はな六は思わずこくりと頷いた。 「ありがとう。でもいいの?」 「いいよ。俺の自己満足だから、重く受け取らないで?」 「じゃあ、ありがたくいただきます」  はな六が努めて笑顔になってみせると、ジュンソも満足そうに微笑んだ。 「さあ、ここに座って。碁の打ち方を教えてあげる」  ジュンソに促されて、はな六はローテーブルの前に腰を下ろした。ジュンソはテーブルを挟んで向かい側に胡座をかいた。 「え、もしかして今日、ジュンソは囲碁するためにおれを呼んだの?」 「半分くらいはそうだね」  と、ジュンソは片目をつぶってみせる。にくまんがのっそりと歩いて来て、はな六の脚の間に潜り込んで丸くなった。 「さて、始めようか」  ジュンソは眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。 「テレビなどでプロ同士の対局を見ると、盤面のあまりの複雑さに、囲碁とはなんて難しそうなゲームなのだろう、と思うかもしれない。でも実は碁のルールは、そんなに難しくないんだ」  ジュンソは小さい方の碁盤を取り上げて、はな六に見せた。 「これは6路盤だよ。縦に六本、横に六本の線が引いてあるだろう? だから6路盤」  そして、6路盤をテーブルに戻すと、こんどは碁石のケースを引き寄せた。 「碁石を入れる容器を碁笥(ごけ)という。これは黒石だから、君に。碁石は黒と白があるけれど、対局する二人のうち、強い方の人が白を持つ。そして黒を持った方が先に打つと決まっている。囲碁は先に打った方が勝ちやすい。だから弱い方が黒を持つというわけ。では、お手本を見せよう」  ジュンソの指が黒石を碁笥から一つ取り上げ、パチリと清々しい音をさせて、碁盤に打ち付けた。 「まずは黒から。石を打つ場所は縦の線と横の線の交点だ」  白い石を取り上げ、碁盤にパチリと打つ。 「白も、縦の線と横の線の交点に。黒、白、黒、白と交互に打っていく」  6路盤の中央辺りから打ちはじめて、黒石に白石がぴったりくっつくように、一列ずつ並んだ。 「勝敗は囲んだ陣地の広さで競う。陣地の中の、線の交点の数を数えて、どちらが多いか比べるんだ。この場合、黒が十二、白が十二、だから引き分けだね?」 はな六は頷いた。ちらっとジュンソを上目遣いに見る。あのジュンソが講師の顔をしているとは。 「すなわち、最も基本的なルールは、黒と白が交互に打っていって、陣地を囲み、より広い陣地を取った方が勝ち、それだけなんだ。ね、簡単でしょう?」 「んー、そう聞くと、簡単なような気がするけど……」 「いずれ分かるよ。さて、六花。実際に石を碁盤に打ってみようか。まず石の持ち方は……」  ジュンソは碁笥から石を摘まみ出して、ゆっくりと手本を示した。

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