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第4章 サイトウと稲荷大明神様④

 元日らしい、爽やかな晴天の午後。都会の真ん中にある神社の境内には、長蛇の列が出来ていた。はな六は一人で並んでいた。サイトウは少し前に、トイレに行くと言って行列から外れていた。 「はな六ちゃーん!」 「ユユ、ムッちゃん」  ユユが振り袖を大きく振っていた。衿を両肩がはだけるほど開いていて、今にも胸がこぼれ出てしまいそうだ。ムイはユユの少し後ろを、いつものようにかったるそうに歩いてきた。  はな六は、仲間達はもう帰ってしまったと思っていた。先ほど、はな六はサイトウとパートナーシップ宣誓書を区役所に提出しに行ったのだが、思ったよりも沢山のカップルが順番待ちをしていたので、やっと提出できた頃にはもう、神社でお参りをして解散する予定の時間になっていた。 「いつ来たの?」 「二十分くらい前かな。ユユとムッちゃんはもう帰るところ?」 「うん。店長もねぇ、さっきまで一緒だったんだけど、どこか行っちゃった」  はな六は身体を斜めに傾けて、周囲を見回した。マサユキの姿もサイトウの姿も見えなかった。そうこうしている間にも、列はじわじわと進んでいく。 「はな六」 「何、ムッちゃん?」  ムイは話し始める前にキョロキョロと周囲を確認した。そして背伸びをするので、はな六もムイの方へ耳を近付けた。 「お前、本当によかったのか?」  ムイはこそこそと言った。 「よかったって、何が?」 「サイトウとパートナーになるって」 「んー?」  はな六は首を傾げた。どうも仲間達ははな六とサイトウを祝福していないようだ。そして、ユユとムイは特に、はな六を心配している。 (そうか……おれがサイトウが"ふぜん"してくるって、愚痴ったからか)  “ふぜん”というのは、“小人閑居して不善をなす”の“ふぜん”が由来の言葉で、二つの意味がある。そのうちの一つが、“サイトウがはな六に、無理矢理にセックスを強いてくること”だ。サイトウは去年の暮れ……クリスマスより前まで、はな六に対して“ふぜん”をしがちだった。そのことをはな六は、以前ユユとムイに話したのだ。それはただの愚痴だったが、二人ははな六の想像以上に、それを重く受け止めてしまったようだ。  今はもう、サイトウははな六に“ふぜん”をすることはなくなった。つまり、無理矢理ではなく、はな六にきちんと許可を取ってから性行為をするようになった。  だから今となっては、サイトウの“ふぜん”ははな六にとっては笑い飛ばせる過去なのだ。 (過去にするには、まだ早いってことなのかなあ?) 「二人とも、心配してくれてありがとう。でももう大丈夫だよ。サイトウはおれに“ふぜん”しなくなったし、たくさん可愛がってくれるんだ。ふだんも、セックスのときも」  ユユもムイも目と口をまん丸にし、はーっと溜息を吐いた。 「お前……人間っていうのはそう簡単には変わらないんだぞ」  ムイは“ふぜん”をしてくるのがサイトウの本質だと言っている。はな六にもムイの意図は解った。 (もしかすると、パートナーになって逃げられなくなったから、サイトウはもっと酷いことをおれにしてくるって、思われているのかな) 「でもおれ、思うんだけど、サイトウってね」  言いかけたところで、ポンと頭を頭を叩かれた。この熱い掌は、サイトウだ。 「俺様が何だって? はな六ぅ」  サイトウは、いつもの奈落の底色に染まった目ではな六を見下ろし、ニヤリと笑っていた。 「あ、あのー、あのね」 「俺様は世界で一番イケメンだって?」 「それはない」  はな六はサイトウの手首を捕まえ、少し後ろに下がった。 「あー、やっぱり手が濡れてる! おれの頭はお手拭きじゃないぞ」  サイトウはケケケと笑った。はな六はポケットからハンカチを取り出して、サイトウの両手を拭いてやった。 「ちゃんと手ぇ洗って来たんだぜ。褒めて?」 「はいはい、よく出来ました」  はな六はサイトウの掌をふんふんと嗅いだ。ちゃんと石鹸の匂いがする。合格だ。  サイトウは列の内側に入ると、はな六の腰に腕を回して強く引いた。それではな六は気付いた。立ち話をしていたせいで、大人数で列に割り込もうとしていると、列の後方の人達に思われたかもしれないということに。 「あ、私たちは並んでないんでー」  ユユが、はな六のすぐ後ろに並んでいた人々に両手を振りつつペコペコと頭を下げた。 「で、俺様がなんだって?」 「んー」  面と向かってだと、何故か言えない。ほんの簡単なたった一言なのに。 『サイトウは、本当は優しい人なんじゃないかなって』  はな六はサイトウを見上げた。相変わらず、全ての光を呑み込むブラックホールのような、底なしの闇をたたえた目だ。 「ケケケケケ」  愉快そうに笑っているサイトウだが、はな六はその目を見詰めると、背中にぞわぞわっと怖気が走るのだ。 (さ……サイトウは、優しい……? 本当に?)  人が沢山いる場で、しかも目の前にはユユとムイがいるというのに、サイトウははな六の唇にチュッと口付けた。上唇をサイトウの舌が掠めていく。と、先ほどとはうって変わって、身体の芯がジンとした温かさに痺れた。 「つうかさ、お前ら何でここに並んでるんだ? ここ、縁結びの神様のとこだぞ」  と言ったムイの頬は、リンゴのように赤かっった。 「あ? お礼参りだよ。俺ぁ去年、この神様に大奮発してお賽銭を一万円くれてやったのよ。今年こそ良い縁がありますようにってな。そしたらコイツがやって来た。だからそのお礼さ。ちゃんとパートナーになりましたって、報告しねえとな」 「へー、サイトウさんって、意外と信心深いんですねー」  ユユは心の底から感心した様子だ。 「ケケッ、俺は宗教は信じてねぇけど、神様は信じてるんだよ」 「へぇ」  ムイはフンと鼻を鳴らした。 「ほんで、お礼したら今度は新しい願い事だ。なぁ、はな六よ」 「新しい願い事って?」  ユユとムイが声を揃えて言った。 「サイトウは子供が欲しいんだってさ」  はな六が応えると、 「お前、完全に他人事だな。マジで大丈夫かよ、そんなんで」  ムイがすかさず突っ込みを入れた。 「んー」  実のところはな六は子供を得るということに興味が全然無いので、他人事というのは正解でしかない。しかし、嫌というとほどのことではない。はな六は子供の世話に慣れている。もしサイトウが本当に子供をどこかから調達してきたとしても、自分は適応出来る、とはな六は思った。問題はサイトウ自身が適応出来るかどうかだ。  だがそもそも、サイトウとはな六が子供を得られる可能性は限りなく低い。サイトウには前科があるからだ。前科者は、人間やアンドロイドの赤ん坊を養子に貰う為の抽選に参加できない。しかし、社会的信用度のあるパートナーを持てば、抽選に最低ランクから参加できるようになるのだ。可能性が0から1になった、ただそれだけのことだが。  はな六は、子供のことに関しては高めの信用度を持っている。一応、プロ棋士業のかたわら、長いことこども囲碁教室の講師アシスタントをしていた実績がある。ボディを交換した後でも、書類上ではそういう過去を持った人物扱いをされるのが、はな六だ。ボディを交換したことで、スキルのほとんどは喪われたはずだが、経歴が「子供好きな人柄」であることを保証してしまうのだ。  ところがはな六自身は、こんなの詐欺みたいなもんじゃないかと思っている。経歴上は「子供好きな人柄」ということになっているはな六だが、実は別に子供は好きでも嫌いでもないからだ。囲碁教室のアシスタントだって、好きでやっていたわけではなかった。ただ、アンドロイド棋院から与えられた仕事をこなしていただけだ。 「大丈夫だよ、何とかなるって」  はな六がそう応えると、ムイは疑わしげに鼻を鳴らした。  列は徐々に進んでいく。社の前にいくつも並ぶ朱塗りの鳥居の一番手前に、もうすぐ辿り着く。  ユユとムイはしばらく前に、マサユキと共に帰っていった。遠くにマサユキを見つけ、ユユとムイが駆けて行く後ろ姿を見ていると、はな六の鼻にはまたツンと痛みが走った。サイトウがマサユキに手を振ると、マサユキも手を振り返した。立ち止まってこちらを見ていたマサユキがはな六を見ているかどうか、はな六には遠すぎて見えなかった。  やがてマサユキはくるりと踵を返し、ユユとムイの間に挟まれて去って行った。

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