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第5章 ジュンソには言いたいことがある⑩
まさか、こんなにも首尾よく事が進むなんて!
下着姿の男はタケゾウと名乗った。サイトウはタケゾウと売買契約を交わすと、タケゾウの魂を“あのはな六”に移植する候補日まで決めてしまった。タケゾウの長い身の上話を含めても、四十五分くらいしか話し合っていなかった。
「ほんじゃ、俺ァまず“坊や”の塗り直しの計画をしねぇとな」
タケゾウがVRショップから去った後、サイトウはヘッドセットを脱ぎ、座ったまま背中をウーンと伸ばして言った。
「ねぇサイトウ、ほんとにいいの? タケゾウで」
「いいのいいの、稲荷大明神様のお導きだからな」
「んー」
それにしたって、話し合いが足りないのではないだろうか。はな六がサイトウからレッカ・レッカ を買ったときは、一ヶ月ほど小まめにメッセージを送り合い、話し合ったのだ。ただ、そのせいではな六は、サイトウのことを“いい人”だと勘違いしてしまった訳だが。
(でも、本当に大丈夫なのかなぁ? 法律とか。タケゾウはまだ赤ちゃんなんだぞ)
タケゾウの魂はまだ生後八ヶ月だという。ボディは老人型だからといって、身体に見合った精神や判断力を持っている訳ではないはず。実際、タケゾウは自分の曾孫がベビーシッターに甘えたり、保育園に通ったりしているのを羨んで、子供になりたがっているのだ。
(生後八ヶ月の赤ちゃんに、何十万もする物を買わせるなんて、ある?)
はな六は、サイトウが事務所の中をそわそわと歩き回るのを、眺めた。サイトウは、カラーサンプルを手に取り、捲り始めた。鼻歌を歌っている。サイトウはいつも陽気だが、これほど上機嫌なのも珍しい。
(おれにボディを売った時も、サイトウはこんな風に楽しそうにしてたのかなぁ?)
そんなサイトウの様子を見ていると、はな六は、ただただ不安を積もらせているだけの自分を、後ろめたく思うのだ。
(おれに、サイトウの邪魔が出来る?)
はな六はふう、とため息を吐いた。
夜、はな六は自分の布団を“あのはな六”に占拠されているので、サイトウと共寝した。といっても、寒いのが大の苦手なはな六は、よほど酷い喧嘩をしない限りは、毎晩サイトウの布団に潜り込んでいる。
この夜も激しいセックスに溺れた。セックスが済んだあと、はな六はサイトウの肩と腕の境い目辺りに頭を預けて、目を閉じた。
「なぁ、はな六よぉ」
「んー、なに?」
はな六はもう少しで眠りに落ちるところだった。
「寝てたんきゃ?」
「辛うじて起きてたよ」
サイトウは仰向けにしていた身体を、はな六の方へ傾けた。そして腕枕から転がり落ちそうになったはな六を、サイトウは両手で支えた。
「オメェはよ、自分が赤ん坊だった頃のことを覚えてるか?」
はな六は一気に目が冴えた。はな六の過去のことをサイトウが聞いてくるなんて珍しい。
「なんで?」
はな六はくすくすと笑い、サイトウの胸に鼻面を埋めた。サイトウの熱い胸板の内側で、心臓が確かな鼓動を打っているのが聴こえた。
「あ? アンドロイドっちゅうのは、どうやって育つもんなのかと思ってよ。“坊や”のボディな、魄が初期化されてんだろ。ちゅうことは、新品と同じってことだんべ」
「あぁ、そういうこと? どうやって身体を動かすのを覚えるのかって?」
「そういうこと」
「んー。おれの場合はね……たぶん、おれの世代は皆そうだと思うんだけど、工場で製造されたあと、まずは訓練所に送られたんだ」
はな六は、もう朧気にしか残っていない、訓練所での日々の記憶を手繰り寄せた。広いフロアのそこかしこに、生まれたてのアンドロイドの赤ちゃん達がいた。はな六はトレーナーの手によって、緩衝材の敷き詰められた床に下ろされた。腕はだらんと伸びきっていて、しかし足は事前にプログラムされた本能に従い、キュッと縮められていた。
ごろりと床に転がされ、まずは身体を起こす訓練から。そして、腕の長さを適切な長さに保つ練習、ランニングマシンの上を走らされたり、コップを握り潰さないように持つ練習をしたり。最低限の読み書きや算数や礼儀作法も習った。何でもかんでも、出来れば褒めちぎられ、出来なければ出来るようになるまで、何度も挑戦させられた。
「訓練所には、どれくらいいたんだろう? たぶん、書類に書いてある製造日と誕生日の間の期間なんだろうけど、ほんの数日だった気もするし、何年もいたような気もするなぁ」
「ケケケ、そういうとこは人間とおんなしなんだな。人間だって、ガキの頃の時間は、大人の時間よりもノロノロ進む癖に、過ぎてみりゃああっちゅー間なんさ」
サイトウははな六の髪を指で梳いた。はな六は心地よさにうっとりとした。サイトウにこうして弄くられながら抱かれるのは、温かくて気持ちいい。
(“あのはな六”にはこの感覚はなかった、けど。訓練所の何もかもが、淡いピンクや水色や黄色に塗られていた、あの場所の感じと、この感覚は似ている……)
「訓練所で、トレーナーが教えたようなことを、俺らが“坊や”に教えるんだな」
「それって、おれたちに出来る?」
「ケケケ、やりゃあ出来るだんべ。俺らにゃあ稲荷大明神様が付いてらぁ」
サイトウは自信満々そうに言った。
(少なくとも、サイトウとおれの間は、訓練所のあの感じに似ているんだ)
そんなに悲観するほどのことでもないのかもしれない。
「ねぇサイトウ」
「あ?」
「“あのはな六”を抱っこして寝ようよ」
「おぉー、親子三人川の字でって訳だな。良いぜぇ。そういうのよぉ、俺、憧れだったんだよ」
サイトウはさっそく“あのはな六”を連れてきて、布団の真ん中に寝かせた。はな六は“あのはな六”を抱きかかえてみた。
「うー、冷たい!」
「そりゃあそうだんべ。金属で出来てるんだからよ」
はな六はサイトウの脚の方に自分の脚を伸ばして絡めたが、それでも“あのはな六”が容赦なくはな六の体温を奪うので、なかなか寝付くことが出来なかった。サイトウはというと、へっちゃらな様子でぐうすかと鼾をかいていた。
サイトウはその翌日から、さっそく“あのはな六”の塗り替え作業に取りかかった。仕事の合間を見てだから捗らなかったが、サイトウは毎日着々と作業を進めていった。はな六はいつも通り、夕方仕事に行き、深夜に帰宅。そして朝遅くに起き出して、碁の勉強やサイトウの事務仕事の手伝いをした。
タケゾウを家に迎える三日前に、はな六は大がかりな手術を受けた。全身の故障箇所を一気に全て修理するための手術だ。子育てをするには身体に不具合がない方がいいと、サイトウと話し合って決めた。費用ははな六の貯金では到底足りず、サイトウがほとんど出してくれた。
「終わりましたよ」
はな六はレイ医師の呼び掛けで、目を覚ました。周囲では、看護師達が後片付けに勤しんでいた。はな六は裸のまま手術台に寝かされていた。
「気分はどう?」
「とっても良いです。どこも痛くないっていいですね」
はな六はゆっくりと身体を起こしてみた。何も問題はない。自分で手術台を降り、自分の足で床に立った。両膝から痛みが消え去り、腰や背中にも違和感はなく、スッと真っ直ぐに立つことが出来た。
「すごい、身体が軽くなったみたいだ!」
はな六はぴょんぴょん跳びはねたが、すぐに自分が素っ裸なのに気付き、顔を赤らめた。
手術室を出、服を着てから診察室でレイ医師と少し話した後、待合室に出た。薄暗い待合室にはサイトウが一人で居眠りをしながら待っていた。
「サイトウ!」
「あぁ? 終わったか」
ソファーから立ち上がったサイトウめがけてはな六は走り、そして飛び付いた。サイトウは少しよろけつつも、はな六を抱き止めた。
「あっぶねぇって。あんまりはしゃぐなよ、オメェ」
はな六はサイトウの首に腕を回し、ぎゅっと抱きついた。
「サイトウ、全部治ったよ! すごくいい気分だ。どこも痛くないって、本当にいいね! ありがとう、サイトウ」
「ケケケ、いいんだよぉ。俺ァ、オメェがにこにこしててくれるんならよ、いくらだって払うんだかんな」
「ん。本当にありがとう。でもね、残念なことにおれ身体、全部直しても、五歳児くらいの体力しかないんだってさ」
「こんないい身体してんのにか? どーりで走り方がよたよたしてると思ったぜ。さっすがセクサロイドちゃん、随分倒錯してんなぁ、可愛くっていいけどよ」
サイトウははな六をぶんぶんと左右に振った。
「まぁいいやな。オメェが弱っちくても、俺様がついて守ってやらぁ。さぁて、帰ぇるべぇよ」
帰宅してすぐ、サイトウは遂に塗り替えが済みピカピカに磨き上げられた“あのはな六”を見せてくれた。
「可愛いー!」
「ケケケ。俺色に染めてやったぜ」
照明の下で、淡いパステルブルーに塗り替えられた“あのはな六”は、新品同様に光り輝いていた。
「いいね、これならきっとタケゾウも気に入ってくれるよ」
「おぅ。俺様のセンスは完璧だからな。いよいよ三日後っつーか、もうほぼ明後日だな。“坊や”と俺らと三人暮らしだ。にぎやかになるぜぇ」
サイトウははな六のこめかみにチュッと口付けた。
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