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第6章 バイバイ、はな六②

「タケゾウ」  はな六が呼び掛けると、 「やん!」  “あのはな六”は首をぶんぶんと横に振った。 「ターケーゾーウ」 「やんやんっ、やんや!」 「んー」  はな六はがっくりと頭を垂れた。どうしても、“あのはな六”は自分の名前が気に入らないらしい。 「やっぱりよぅ。せっかく赤ん坊になったのにジジイくせぇ名前は嫌なんじゃね?」 「そうなのかぁ。別に、おれはお年寄りっぽいと思わないけど」 「やんや! やんや!」  “あのはな六”は仰向けに寝転んだまま、地団駄を踏んだ。 「そーだいなぁ。やっぱり可愛い名前がいいよなぁ。そんじゃ、お父ちゃんがいい名前つけてやっからよ。えーと……オメェの名前は、はななな、略して“ハナナ”だ」 「えー、何それ。はな六(おれ)の次だからはな七(はななな)ってこと?“六目中手(はなろく)”はあっても、“七目中手(はななな)”なんてないぞ!」 「ケケケ、いいじゃねぇか。あり得ねぇ一手なんてよぅ。奇跡の子っぽいだろ」  サイトウは腕を組み、満足げにフフンと鼻を鳴らした。 「なんだよ、急にキザなこと言っちゃって」 「名付けはインスピレーションだ。俺様の名前だってなぁ、俺様のお母ちゃんがよぉ、俺様の生まれたときのそ」 「はーななぁ!!」 「俺様の生まれたときのそ」 「はなな、はなな、はーななぁ!!」  ハナナは伸ばしっぱなしの両腕を畳の上に滑らせた。 「……気に入ったみたいだね」 「ほっか。お父ちゃんのつけた名前がいっか?そーだいなぁ。いい名前だろう?やっぱりよぅ、名前は可愛い方がいいよなぁ」  サイトウは“あのはな六”改めハナナの頭をグリグリと撫で回した。 「ハナナよぅ、俺がお父ちゃんで、こっちがお母ちゃんな。言ってみ、お父ちゃん、お母ちゃんってよ」 「とっちゃ。とぉーっちゃ!」  ハナナは両腕を波のように動かした。 「あらぁー、ハナナちゃん! よくできまちたねぇー。じゃあ、お母ちゃんも言ってみ? お、か、あ、ちゃん」 「やめてよサイトウ。なんでおれがお母さんなんだよぉ」  頬を膨らませたはな六の肩に、サイトウは腕を回した。 「安心しろよ、はな六。俺様はおめぇが母親んなったって、おめぇを女として見続けてやるからよ」 「いや待ってよ。おれ男だから! 男として見続けてよ!」 「はっく」 「あ?」 「はーっく……」  ハナナはそう呟くと、はな六に近い場所に伸ばされた腕を揺らした。伸びきった腕の根元からひとつの波が起き、波は腕を伝って手首まで移動し、パタッと止んだ。 「ハナナ、こいつは“お母ちゃん”」  サイトウが何度言い聞かせても、 「はっく」  ハナナは決して、はな六を“お母ちゃん”とは呼ばなかった。    予想以上にハナナは“赤ちゃん”だった。“あのはな六”のボディと同梱されていたカルテによれば、記憶の全てがデリートされ、しかも魄が初期化されているという。そのせいで、ハナナは歩くことも、腕を適切な長さに仕舞うことさえも出来なかった。言葉だって、もちろん喋れない。  サイトウには仕事があるので、はな六は昼寝と碁の時間を削って、ハナナの相手をした。  はな六はハナナの手を掴み、ハナナを立たせた。 「いち、に、いち、に、歩いてごらん。そう、上手だよ。その調子、ハナナ」  はな六は後ろ歩きでハナナの手を引いた。 「ぬんっ、ぬんんっ」  ハナナは足をもつれさせながらよろよろと二三歩踏み出したが、すぐに自分の足に躓いてよろけた。 「やんや! はっく、あっこ! あっこ!」 「えー、抱っこしてってこと? それじゃあ歩けるようにならないよ。ハナナ、もう少し頑張ろうよ」 「やんや! あっこ、あっこいい!」 「んー、もぉー」  ハナナは酷く甘えん坊で堪え性がなかったが、それでも、ほどなく歩けるようになった。ひとたび歩けるようになると、ハナナははな六の手を振り払って、興味のおもむくまま走り回るようになった。はな六は、ハナナを朝から晩まで追いかけ回す日々を送ることになった。 「やんや、やんや! はななもたべゆ。とっちゃ、ごーはん、はななもたべゆ!」 「だめだよハナナ。ハナナにはお口がないでしょう? だからお父ちゃんと同じご飯は食べられないの」  夕方、はな六は出勤の時間を気にしながら、サイトウの夕食の邪魔をするハナナを、懸命に抑えた。ハナナは伸ばしっぱなしの長い両腕を振って抵抗し、サイトウの方に身を乗り出した。はな六はミネラルウォーターのペットボトルに口をつける暇さえない。 「とっちゃ、はななも! ごーはん、ごーはん!」 「だーめっ! ハナナ、だーめっ!」  ハナナの頭が炬燵の脚に当たり、テーブルが揺れた。一人用のアルミ鍋から汁がこぼれ、飛び散った。 「あぁ、もう! ハナナぁ。お父ちゃんのご飯がぁ」  はな六が台布巾に手を伸ばした隙に、ハナナははな六の腕の中から抜け出した。 「とっちゃ、はななも。ちょうらい?」 「ケケケ、ハナナ。お父ちゃんの膝にエントすっか?」 「サイトウ!」  ハナナは長い手を引き摺ったまま炬燵の向かいに駆けていき、サイトウの膝の間にちょこんとおさまった。 「まあ良いべな。どうせ食う真似がしたいだけだからよ。ほーれ、ハナナ。焼き豆腐だぜぃ。お父ちゃんがフーフーしてやるからねぇ」  サイトウは焼き豆腐を小さく切って箸で摘み、ふうふう息を吹きかけてから、ハナナの顔の前に運んだ。 「ほれぇ、うんまいぞー。ハナナ、あーん」 「あーん。うんうん、うまうま。おいちいねぇ」  ハナナは鼻先を上下に動かした。 「ほらな。真似っこすりゃあ気が済むんだよ。おめぇも食うか?はな六」 「おれはいい」  はな六が首を横に振ると、サイトウは俯いてケケケと笑った。 「おめぇもよぉ、飯ィ食える身体だったらよかったんだよ。うんめぇ物腹一杯食うとよ、幸せなんだぞ」 「うんうん、うまうま、うまうま」  ハナナは飽きずに食べる真似をして鼻面を上下に振り続けた。 「おれは、サイトウに沢山セックスしてもらえれば、それで幸せだよ」  はな六が応えると、サイトウは顔を上げた。いつもサイトウの両の瞳を覆っているどす黒い深い闇が、チリチリと揺らめいている。せっかく全身を治療したばかりなのに、今度は目の故障だろうか?  「ほっか。そんならおめぇよ、仕事から帰って来たら、俺様がたっぷり幸せ注いでやるかんな」 「それはダメだよ、サイトウ。サイトウは明日も朝早くから仕事でしょ?夜中におれなんか構ってたら、寝不足で病気になっちゃうよ」 「ケケケ、おめぇ言うようになったいな。こっちィ来なぁ」  はな六が側に寄ると、サイトウははな六の首に腕を回し、抱き寄せ、チュッと口づけた。ほんのりと食べ物の匂いと味。はな六の唇の間にサイトウの舌が割り込み、頬の内側や歯茎を撫でた。はな六のズボンの中で、お飾りがむくむくと硬くなりはじめた。サイトウはふと唇を離し、はな六の前髪をかき上げて言った。 「最近、昼間はおめぇの相手してやれてなかったろ。おめぇ、しんどくねぇんきゃ?」 「んー、仕方ないよ。だって、ハナナが起きてたら出来ないもん」  サイトウははな六の額に口付け、はな六を抱き締めた。はな六はサイトウの肩に顎を載せ、とろんと目を細めた。 「よぉ、しんどくねぇかよ、はな六」  サイトウの掌が、はな六の背中をぽんぽんとあやすように叩いた。 「んー、大丈夫。お飾りが暴れそうになったら、おトイレ入って自分でなんとかするし」 「ぬぅ、ぬぅ。とっちゃ、はなっく?」  ハナナがはな六とサイトウの間の僅かな隙間に鼻面を突っ込んできたので、はな六とサイトウは抱き合うのを止め、ハナナを間に入れて向かいあった。 「おれ、そろそろ仕事に行かなくっちゃ」  はな六が言った途端に、ハナナの腕がはな六の胴体にぐるぐると絡みついた。 「はなっくぅ、はななもいく! はななもいくぅ!」 「えーっ、ダメだよぉ。ハナナ、おれお仕事行くの。お仕事場、子供の行くとこじゃないの」 「やんや! はななもいくぅ! はなな、はなっくがいい!」 「もぉー、ハナナ、めっだよ!」  はな六とサイトウは二人がかりでハナナを引き離そうとしたが、ハナナはどうしても離れず、結局、はな六は子連れで出勤することになってしまった。 「ふぅ……」  はな六は自分でお飾りを扱いて精液を出しきると、トイレからふらふらと出た。手をよく洗い、待機室兼茶の間に戻ると、ハナナはユユの膝から飛び降りて、長い両手を引摺りながらはな六のもとへと駆けてきた。 「お帰りー。ハナナちゃん、ずっといい子にしてたよ」 「ありがと、ユユ。あれっ、マサユキは?」 「ちょっと買い物してくるって出てったよ」 「そう……」  はな六は嘆息し、炬燵に足を入れた。すかさずハナナがはな六の膝に乗ってくる。 「はなっく、まーき、ないないよ」 「そうだね。すぐに帰って来るって」  金属で出来たハナナの身体は冷たい。はな六はぶるりと身震いして、両手を炬燵の中に突っ込んだ。

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