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「それじゃエルタさん、お元気で。くれぐれも無茶しないように」 「はい。本当にありがとうございました」 小さくなっていくシスさんとガウの背中を、家の中から見えなくなるまで見届ける。 シスさんに帰り際「一緒に帰る?」と聞かれたが、ガラドアにこのまま何も告げずに帰る気にはなれないし…何より少しでも長くここに居たかったので、その申し出は丁重にお断りさせて頂いた。 (オレも、あんな風にこの家を後にしなきゃいけないんだ…) ふぅ…とソファーに腰を掛け一息ついていると、ようやくガラドアが起きてきた。 「エルタ、おはよう。…昨日は…ごめんね」 もじもじしながらオレの側へやって来たガラドアは、泣き腫らした目をしているのにまだ泣きそうに目を潤ませていた。 「おはよう。…もう謝らないで。オレはガラドアが泣いてる顔より、笑ってる顔の方が好きだよ?」 屈んで目線を合わせると、ガラドアは泣きそうな顔を必死に笑顔に変えて、オレの元へと抱き付いてきた。 (こうするのも、今日で最後か…) そう思うとガラドアを抱き返す力が、自然と強くなった。 ガウが帰ってきてからきてから一緒に食事をし、それからガラドアを学校へ送り出した。 2人きりになった室内で、ガウに 「…もう星が出ている時間だから、ここを発つのは今夜…人間の朝方でいいか?」と訊ねられる。 (もしヤダって言ったら、もう少しここに居させてくれるのかな…) 一瞬そう悩んだが、ガウを困らせたくないので、オレは無言で頷いた。 残された時間は、あと数時間。 ガウにたくさんもらった恩は、色々やってみたけど…やっぱり返し切れなかったと思う。 それでも最後までできることをと思い、最終日の今日は、床をいつもよりも念入りに磨き上げることにした。 あんまり夢中になって磨いていたら、ガウが「働き過ぎだ。シスに無理するなと言われたろ。いい加減休憩しろ」 と、少し呆れた顔をしながら紅茶やお茶菓子を用意してくれたので、窓際に座って綺麗な夜空を見ながら一緒に紅茶を飲んだ。 …2人きりでこんな風にお茶をするのはまるでデートみたいだと思ってしまったことは、ガウには秘密だ。 それからガラドアが帰ってきてから、また3人で紙飛行機を飛ばして遊んで…夕飯は初めて3人で作った。 オレが味付けを任された料理は2人にとっては新鮮だったようで、「なにこれ!すごくおいしい!」と喜んでもらえた。 …あと1~2時間で陽が昇り始める。 ここにいられる最後の日は、あっという間に終わりの時間になった。 だけど今日はガウが出掛けずずっとそばにいてくれたせいか、いつもよりも濃密な時間を過ごせたと思う。 夕飯の片づけを終えてから、ようやくガウがガラドアにオレが今日で帰ることを切り出した。 「ガラドア…エルタは今日家に帰ることになった。この家にいるのは、今日で最後だ」 「え…」 「…ガラドア、今までありがとね」 「………っ」 ガラドアは目を瞠ると、耳を垂らして小さな体をぷるぷると震わせた。 「…なんで?ボクが差別したから…?ボクのせい…?ヤダっ…いかないでー!」 ガラドアはまだ昨日のことを引きずっていたのか、大きな瞳に涙をいっぱい浮かべてオレの足にしがみ付いた。 「ガラドアのせいじゃないよ。怪我が治ったから…元の家に戻るだけだよ。元気になったから、ね?」 「ヤダー…ヤだよっ…エルタ帰っちゃヤだぁ…っ」 本格的にガラドアが泣き始めて、ズボンが涙で濡れはじめる。 こんな風に悲しんでくれるとは思わず自分も泣きそうになるが、それをぐっと堪えてガラドアを抱きしめる。 「…ありがとう、ガラドア」 「エルタ…エルタぁ…」 小さな腕が縋るように、オレの首にしがみ付いた。 それからしばらくガラドアはヤダヤダと泣いたままだった。 あまりにも泣き止まないからガウが 「あまり我が儘を言うな。…エルタにはエルタの、帰る場所があるんだ」と言ったが、やっぱり泣き止んでくれなくて。 「…ガラドア。悲しんでくれるのは嬉しいけど、ガラドアが泣いてると悲しいよ。オレの好きな顔、見せて欲しいなぁ…?」 その言葉にようやく顔を離したガラドアは、涙をほろほろ流したままくしゃりと顔を歪めて、一生懸命笑おうとしてくれた。 それから残りの時間は、ガラドアとお風呂に入ったり、ガラドアを寝かしつけたりしてあっという間に終わってしまった。 オレとの別れを惜しんでくれるようで、ガラドアは眠りにつくまで片時もオレから離れようとせず、眠ってしまった今でさえオレの手を握ったままだった。 ガラドアの寝顔を愛おしく見つめていると、扉のあたりで見守っていたガウに 「…そろそろ陽が昇り始める」と声を掛けられる。 (…もう、おしまいか…) 名残惜しが、ガラドアを起こさぬよう頭を軽く一撫でしてから小さな手をそっと外し、ベッドから立ち上がる。 「…忘れ物はないか」 「…うん」 忘れ物と言われても、オレの持ち物と言えば最初に来ていた服と山菜や枝を入れる籠だけだ。 そんな唯一の籠を背負うと、 「…じゃあいくか」 そう言って、ガウが玄関の扉を開いた。 …こんな時間に外へ出るのは初めてだ。 まだ真っ暗な空には綺麗な星や月が輝いているが、遠くの方でほんの少しだけ空が白み始めている。 このような陽が昇っているような昇っていないような曖昧な時間は、人間は危険だと思っているので基本的に外出することはない。 魔物にとってもそうなのか、それとも近くに住んでる魔物がいないだけなのかは分からないが、誰の気配もなく、風や木々のざわめきだけが静かな空に響いていた。 ガサガサ、ガサガサ… 「………」 「………」 ガウが何もしゃべらないので、オレも何もしゃべることができなくて、ただただ無言でガウの後に続く。 大きな木々に囲まれた獣道…と言っていいのかも分からないような草むらの中をしばらく歩いて行くと、少しだけ森が開けて草原のようになっている場所に出た。 「…距離があるから、ここから少し飛んでいく。私につかまれ」 「え??」 何を言われたのかよくわからずに呆けていると、ガウが背中にあった羽根をバサッと広げた。 「…っ」 今まで広げたことの無かったその羽根は、両手をめいっぱい横に広げても全然足りないほどに大きく広がっていた。 いつもは小さくしまっていたのだろうか? あまりの大きさに固まっていると、「時間があまりない。いくぞ」とガウに正面から抱きしめられ、驚く間もなく体が宙に浮いた。 「え…ガ、ガウ!」 突然宙ぶらりになった不安定な体を、落とされまいと必死にガウの首元に縋り付く。 「…大丈夫だ。絶対に落とさない」 そう言われても、初めての感覚に恐怖を感じないわけがなく…一瞬だけ横目で下を見ると、ものすごく遠くに木々が小さく見えて、自分が今ものすごい高さにいるのだと分かった。 あまりの恐怖にすぐに顔を反らして目をつぶるが、飛行を始めたガウの羽ばたく音や、全身で風を切る感覚だけで、ものすごいスピードが出ているのだと分かった。 「………っ」 それから、数秒の様にも数十分の様にも感じた空の旅は、ガウが降り立ったことでようやく終わりを告げた。 降りた場所は、やはり森が少し開けた草原のような場所。 ガウの羽根があまりに大きいから、こういう場所でないと飛び立つことも降りることもできないのかもしれない。 恐怖でバクバクだった心臓を鎮めるように大きく深呼吸する。 「…大丈夫か?」 「うん…ちょっとびっくりしたけど、大丈夫。ありがとう」 「そうか」 空を飛ぶためにオレを抱きしめていたガウの腕が離れていく。 まだ離れたくない気持ちをなんとか閉じ込めて、オレもガウから腕を離した。

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