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4.墓参(後)
あの天然石の大きな墓標がライトアップされている。
前には緋 毛氈 が敷かれており、その上には白木の文机 のような、七十センチほどの幅の台が置かれている。
自分の振るまいがわからず、隆人に訊こうとした。しかし、既に慶浄と弟子が経を読む仕度を始めている。隆人に詳細を訊ねる余裕はなさそうだ。
そうこうしているうちに慶浄が宣した。
「それでは、これより夏鎮めの儀の祈祷を行いまする」
唱えられるのはまた、経でも祝詞でもない加賀谷独特の祈祷文だろう。それを指す言葉を遥は知らない。経と思うのは、式の慶浄がいつも仏教の僧侶と同じものを着ているせいだ。
隆人に促され、緋毛氈の前に立ち、隆人と揃って深く頭 を垂れる。
慶浄たちの読経が始まった。古文めいた日本語の部分もあるが、よくわからない言葉が大半だ。
後半に差しかかったと覚しきところで、俊介から葉のついた枝を渡された。隆人も碧から受け取っている。玉串のようだが、たぶん違う。
「俺のまねをしろ。祈りは唱えなくていい」
耳打ちされ、隆人とともに進み出て、緋毛氈の上に跪く。
隆人が朗々と語る。
「御心 広く御仲 むつまじき鳳凰様へ、人の子の鳳と凰より申しあげまする。
今年 も我らが郷 に夏巡り参りき。慈悲深き鳳凰様に畏まりて願い申しあげまする。どうか我ら民人に御水 与えたまえ。御水によりて日照りを鎮めたまえ。御水足らで困窮するを赦したまえ。
人の子の鳳と凰ここに揃いてお願い申しあげまする。捧げ奉る梧桐 にお留まりあそばして、この郷を守りたまえ」
天然石の墓標の前にしつらえられた棚まで隆人が膝行 して、梧桐と呼ばれた枝を手前と奥を入れ替えて置いた。遥もそれと同じようにする。そしてまた元の位置まで下がると隆人が両手を突いて頭を下げた。
「伏してお願い申しあげまするぅ」
あわてて隆人に遥も倣って頭を下げた。
伏せた遥の顔は唇を噛みしめて笑いを必死にこらえていた。隆人の上げた語尾が唐突で、噴き出しそうになったのだ。こんなに大がかりな祈りの場を台無しにしたら、一生後ろ指をさされかねない。
慶浄がまとめに入ったようだ。
やはり言葉の意味はわからないが、あの鳳と凰が鳴き交わすという高く低く歌うような文言が出てきた。そして、静かに祈りの言葉は終わった。
「おなおりください」
慶浄が声をかけてきた。隆人とともに顔を上げる。慶浄はにこやかだった。
「ありがとう存じます。鳳凰様もお喜びでございます。今年もよい夏を過ごすことができましょう」
隆人が手を取って立たせたくれた。
「応接室の方でお休みください」
慶浄の言葉に隆人が言った。
「高遠家の墓に参ってからいく」
「さようでございますな。いってらっしゃいませ」
深々と頭を下げて見送られた。
「遥、蚊には刺されていないか」
下りながら隆人に訊かれた。
「大丈夫だけど?」
「ならいい」
「隆人も塗ったんだろ?」
隆人が憮然としている。
「効果が切れるのが気になって落ち着かなかった」
遥は笑ってしまった。しかし隆人はにこりともしない。
「一度着物を着てしまったらスプレータイプの虫よけは使えないからな。シートタイプのを用意させておいた」
「そんなに蚊に刺されるのか」
「別邸ではな。まったくしつこくて眠れん」
「俺のところでは蚊は出ないよ。もっと頻繁に来れば?」
「そうだな。考えておこう」
冗談のつもりが真面目に返されて驚いた。
「ほら、着いたぞ」
「ありがと」
まだ隆人と二人で父の墓を参ることには抵抗がある。それを察して隆人は、遥だけを墓のある一角に行かせてくれる。
護衛が四方に散った。
墓標の前で膝をついて、手を合わせる。
(父さん、来たよ。俺に与えられた役目を果たしているよ。それをきちんとすることしか、父さんに認めてもらう方法はないと思ってる。それでいいよね?)
一瞬ためらってから祈りを捧げた。
(どうか父さんが俺と隆人を赦してくれますように。そして守ってくれますように)
そして、遥は父に感謝の気持ちを伝え、また参ることを約束した。
遥は顔を上げ、立ち上がった。
「お待たせ」
「行こう」
そういった隆人の手を遥は思い切って掴んだ。隆人が驚いたようすで振り向いた。
「たまにはいいだろう?」
「そうだな。いいな」
隆人が笑ってくれたので、遥は隆人の腕に自分の腕が触れるほど寄り添った。
これでいいと微笑んで隆人を見上げ、下り階段に視線を移した。
遥は隆人の手の温もりが汗に変わるまで手を繋いで下りていった。
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