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11.通り雨

 檻を成す柱も磨き込まれてつやつやとしており、中にはふっくらとした純白の大きめの座布団が敷かれていた。それと同じ座布団は鳥籠の前にも置かれている。 「年末年始の年越しの儀では長時間入ることになるが、夏鎮めでは今夜の禊ぎまでだ。安心しろ」  そう言われて遥はほっと息をついた。  隆人が柱に手をかけた。 「この最奥の中に入れるのは本邸では基本的には碧と紫だけだ。選ばれたたった二人で毎日ここを清めてくれている。  凰の無念もここにはあるかもしれないが、ここを維持してきた樺沢家の誇りが満ちている場所でもある。  わかるか?」 「なんとなく」  頼りない返事に隆人が苦笑した。 「その話はいずれ理解してくれればいい。すべてを一度にわかれとは言わない」  隆人が手を差し出してきたので、手を重ねた。横に開けられた入り口から中へ入るよう促された。 「そこへ座れ」  大人しく座布団に座る。隆人も檻の前の座布団に腰を下ろした。そしてぱんぱんと手を叩いた。  静かに襖が左右に開き、氷柱の入ったたらいが十ばかり桜木の手によって運び込まれた。そのうちの二つは鳥籠の中の遥の元にも届けられた。 「さすがにここにエアコンはつけられなかったのでな」  隆人が言った。遥は苦笑いを浮かべる。 「ないよりはまし、だな」  世話係が下がった後、遥は訊ねた。 「ここで俺は何をすればいい?」 「祈れ」  隆人の言葉は簡潔だった。 「雨が降って人々が喜ぶさま、緑が濡れて青々と輝くさまを想像して、それを俺と喜ぶことを考えろ。  水に困れば雨が降り、やがてやんで虹が架かる空を思い描いてみろ」  遥は目をつぶる。  雨、虹、アマガエル。稲穂が風に揺れる。父さんと手を繋いで帰った道……  不意に目の奥が熱くなった。瞬きをすると涙の滴が頬を転げた。 「どうした、遥?」 「父さんのことを思い出した。父さんと歩いていて虹を見た。蝉が鳴いていて、暖かい雨が降っていて、とても幸せだった」  隆人がとても静かな声で遥に求めた。 「お前のもう片方の手を、俺が握っていると想像してくれ」  遥は自分の右手を見つめ、それから隆人の手に目をやった。  隆人が微かに笑んで遥を見返してくる。  遥は再び目を閉じた。  鳥籠に入る時に重ねた手、朝の禊ぎの時しっかりと握ってくれた手――  父さんと手を繋いで歩く、まだ小さな遥。よく海へ通った。  やがて遥は成長し、父の手を離し、ひとりで歩いた。  長く誰とも繋がなかったこの手――今、隆人の手を握る。 「あんたとだけ手を繋いでいるよ、柔らかな夏の雨の中を、虹を見ながら」 「ありがとう」  隆人の声は穏やかだった。  不意に庭木の葉や屋根を叩く雨音がし始めた。驚いて障子に目をやる。  雨音はしばらく続くと弱まっていき、やがて聞こえなくなった。 「いいお湿りになったな」  その言葉に前を向くと隆人が微笑んでいた。 「今のは?」 「通り雨だろう。虹が出ているかもしれないぞ」 「だといいな」  遥も微笑みを返した。

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