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月の下でもう一度円舞曲を。
今夜は下弦の月だ。カールトン邸の庭に降り立ったセシルは視界に広がる幻想的な世界をうっとりと見つめていた。
目の前にはホワイトプリンセスが仄かに輝き、純白の白が散りばめられている。
(綺麗――)
薄闇に広がる星々も、どこか儚げに欠けている月も、そして――。
目の前にいるこの男性――ヴィンセント・カールトンも――。
ぎぃ、ぎぃ。
コオロギが鳴いている。
時期に秋も終わり、冬になる。
今年はいつまでコオロギの音が聞けるだろう。
セシルは、カールトン卿と初めて会った時を思い出していた。
あの時は、洗練された美を持つ彼とこうして今も側にいられるなんて思いもしなかった。たった一夜の出来事。そう思っていた――。
「セシル」
そっと手を差し伸べられた。
今度はもう、迷わない。セシルも手を伸ばし、差し出されたその手に重ねた。
力強いもう片方の手が華奢な腰をそっと引き寄せる。セシルは目の前にいる男性に見惚れた。
サファイアの目はまるで宇宙だ。煌めく輝きの星々が散りばめられている。
時折、悪戯な木枯らしが吹く。ホワイトプリンセスがさらさらと揺れる。
カールトン卿といると不思議。どんなに寒い夜でも、まるであたたかな暖炉の前にいる気分になる。
右へ、左へ。カールトン卿にリードされるがまま、セシルは軽やかに、そして静かにステップを踏む。
セシルが回れば世界も回る。
静かに、そっと――。
洋服越しなのに不思議だ。たくましい彼に触れ合う身体は熱を持ちはじめる。
胸の奥がじりじりと燃えるようだ。息苦しいのに、少しも辛くない。
悲しくもないのにセシルの目に涙が溜まっていく……。世界が輝きを増し、小さく揺れる。
「セシル……愛しているよ」
(ずるい。こんな時に愛の言葉なんて――)
胸が震えて息ができない。セシルは目を閉じた。一粒の涙が頬を滑り、零れた。
自分も好きだと言いたいのに、口にできず、ただただ唇を振るわせる。
すると薄い唇が下りてきて、セシルの目尻に溜まっている涙をそっと掬い取った。
「……ふ」
その仕草も何もかもが、セシルの胸を焦がす。たくましい彼の胸板に頬を乗せる。
右へ、左へ。視界が揺れる。軽やかで静かなステップと共に小さな円を描き、楽園へとカールトン卿がセシルを誘う。
彼とこうしてワルツを踊っているだけなのに、カールトン卿への慕情が増していく……。
影が覆い、ほんの少し視界が暗くなる。セシルが顔を上げると、薄い唇が落ちてくる。セシルは自らの口をそっと差し出すと、塞がれた。
ふたりは寄り添いながら半円を描く。
ホワイトプリンセスは白い輝きを増し、揺れている。
セシルは右手を彼の背に回し、さらにキスを求めた。
二人を阻むものは何もない。
あるのは、薄闇を照らす下弦の月とコオロギの音。そしてホワイトプリンセスのみだった。
《もう一度、月の下で円舞曲を。*END》
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