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黒の章15
オメガの誘引フェロモンで発情したアルファは、オメガと性交すれば平常に戻るが、オメガ以外の人間と性交しても一時期的に熱を吐き出すにすぎず、二、三日はその状態が続く。
興奮状態がそれだけ続くので食事も水分も取れない者が殆どで、下手をすれば衰弱して死ぬ。
元の世界では鎮静剤と栄養剤を混ぜたものの点滴を打てたが、この世界ではそうもいかない。
恐らくフェイロンの容態はこのまま続けばかなり危険なものになるはずだ。
(俺のせいだ……フェイロンがアルファって事をもっと考えていれば……いや、いつまでも一緒にいたいから危険性について、いつの間にか見て見ぬふりしてたんだ……)
葵が動揺している間にも話はどんどん進んでいく。
「では、早い方がいいな。直ぐに三の郭に住む三男に早馬を出そう」
「それはそうですが、こんな急な話、あまりにも御令嬢に失礼なのでは」
「なに、私の孫だ……。全て弁えておる。数人と言わず、血縁全てに報せをだすかっ。そうすれば、陛下は急に子沢山だぞ!」
「そんな……ユンソン殿、あまりにそれは……」
チェンが諫めるが、ユンソンはガハハと狂気じみた高笑いをあげ続ける。
グアンとチェンが流石に訝しむと、ユンソンの首元から小さな黒い蛇が突然飛び出してきた。
「ひぃっ!」
「や、山の民!?」
二人が悲鳴をあげて逃げ惑う中、黒い蛇は小さな窓枠にストンと着地すると、黒々とした目で、真っ直ぐに葵を見つめてくる。まるで全てはお前のせいだと言っているかようだ。
(あれは、クロだ……)
クロはクイッと外に誘うような仕草をすると、スルリと窓から外に出て行ってしまった。
「うぅ……」
残されたユンソンは惚けた顔をしていたが、突然頭を抑えて呻き声をあげる。
「ユンソン殿!?大丈夫ですか!?」
グアンとチェンが駆け寄ってユンソンを支える。ユンソンは頭を振って弱々しく答えた。
「あ、あぁ、大丈夫だ……。なにがなんだか…いや、覚えてはいるんだが……酷い言動をしていたようだ……申し訳ない」
「ユンソン殿は恐らく山の民に操られていらっしゃったのです。謝る事はありません」
「いや…言葉にせずとも実際私が心の奥底では思っていた事も事実……」
ユンソンの瞳は先程とは違い、これぞロンワン王国の農耕大臣という知的な光があった。
「なぜ山の民が私を操っていたかは分からんが、陛下の御命に関わる事だ。私は陛下に孫娘を差し出すつもりです……。皆さん、それで宜しいかな?」
言っている事は変わらないが、真剣な口調で話すそれには、ユンソン自身、事態を重々しく受け止めているのがありありと分かった。
チェンとグアンも、神妙な顔で頷く。
早速、侍従に早馬を出すよう手配すると、三人はこれからの準備を慌ただしくはじめた。
葵はその光景を眺めながら、凍りついたように動けないでいた。
(俺は……)
(俺は……どうする……?)
目の前が真っ暗になる。だが、分かっていた。葵が行くべき所は一つしかない事をーー。
(俺が、いなくなれば……きっと全てがうまくいく……)
オメガの誘引フェロモンに当てられたアルファは、通常オメガを抱かない限りは発情が治らないが、ベータを抱いて受精に成功すれば、発情が治ると何処かで聞いた事がある。
葵がいなくなっても、ユンソンの孫娘が妊娠すれば……。
(考えたくない!そんなの!!)
目の前が嫉妬で真っ赤に染まる。腹の底が煮えくりかえりそうだ。
しかし、例え今回大丈夫でも、煎じ薬を飲まなくなった葵は、恐らくこの身体のままでも発情期がまたやってくる。そうすれば、フェイロンは毎回命の危険に脅かされることになる
(俺は……どうしたって、フェイロンを苦しめる存在なんだ……)
災いを呼ぶ『山の民』は、本来の居場所に戻らなくてはならない。
葵はそう決意した。
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