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黒の章25
葵は瞠目してフェイロンを見つめる。突然の事で頭の理解が追いつかない。
フェイロンの言葉がジワジワと胸の奥に広がり、そこから熱が伝わって、顔も首も腕も真っ赤になった心地がする。
(フェイロンが、俺を噛む?)
それは想像しただけで、この上ない喜びだった。葵の細胞一つ一つが、フェイロンの物に今すぐなりたがって、思わず首を傾けて、直ぐにでも噛んで欲しくなる。
「突然襲い掛かって、こんな事言いだして、どうかしていると自分でも思うんだが……お前が誰かにとられるのを想像すると1秒足りとも離れたくない……。
自分でも己の器の小ささに呆れ返るが、お前を俺のものだと一刻も早く刻みつけたいのだ……愛しい葵……愛しい俺の龍……」
言いながら、額、鼻、頬と、順番にそっと唇を落とされる。
蒼はうっとりとその言葉に聞き入っていたが、最後の言葉で、ギクリと身体を硬らせた。
すっかり忘れていた事実。
(俺は、災いを呼ぶ妖魔じゃないか……)
俺の龍と言ってくれる心地よい言葉に酔いしれていたが、そもそも葵はフェイロンの側にいてはいけないのだ。
自分の欲望を優先させてここまで来てしまったに過ぎない。
もし番になってしまったら、フェイロンにどんな災いが降りかかるのか分からなかった。
「フェイロン……」
震える声で見上げれば、愛しい男が心配そうにこちらを見ている。
「……噛んじゃダメだ……」
「そ、そーか……いや、俺があまりに性急すぎた。気にしないでくれ。もう少しして、また考えてくれればいい」
フェイロンはショックを受けた表情だったが、優しく葵に言い聞かせた。
「違う……違うんだ……フェイロン……」
これ以上黙っていられない。もうフェイロンに嘘は付きたくなかった。例えそれで嫌われてしまっても……
「俺は、青龍なんかじゃないんだ……」
自分のエゴを優先させてしまった葵は、死刑台に乗る気持ちで罪の告白をする。フェイロンの顔を見るのが怖かった。
「葵……何を言っている?お前は、お前は……青龍だ……」
「っ!違うんだ!!俺は妖魔って言われる山の民で!!一緒にいると、フェイロンに災いが降りかかるっ!!」
「……葵……」
怖くて固く瞑った瞳の奥が燃えるように熱かった。涙が止めどなく流れる。自分が泣いてどうするのだと思うが、止められない。泣きたいのはきっとフェイロンの方なのに。
「葵、とりあえずこちらを向いてくれ……」
優しく頬に手を当てられたが、葵は頑なに拒んだ。この後に及んで、フェイロンの顔を見るのが恐ろしかったのだ。
「葵……」
フェイロンの困り果てた気配を感じる。
(ごめん、ごめんね、フェイロン……)
自分の愚かな行動が、フェイロンを振り回している。
そもそもの罪は自分が青龍だと偽った事から始まったのだ。
「フェイロン……」
勇気を出してそっと瞳を開ける。
瞳はますます熱を持ち、溢れる涙で視界は殆ど遮られていたが、心配そうな顔をしているフェイロンがこちらを覗いているのが見えた。
「好きだよ……」
瞳の熱は更に増幅し、全身を包んだ。痛いくらいの熱さが全身を襲う。
「っ葵ーーー!?」
フェイロンの叫び声が何処かで聞こえたような気がしたが、葵はそのまま意識を手離したーーー。
***
目を覚ますと、ほのかに甘草の香りがした。
ぼんやりと天井を見上げれば三角に尖っていて大きな木の梁がそれを支えているのが見える。
(フェイロンの部屋に、こんなのあったっけ……?)
ふいに、木が軋む音が聞こえてきた。だんだんとその音が近づいてきて、階段を登ってくる足音だと確信した時には勢いよくバタンと扉が開いた。
「アオちゃんっ!!!!」
入ってきたのは、予想もしなかった人物だった。
「千尋……どうして……」
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