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青の章7
「うっ……」
錆びた鉄と腐った果物が混じったような強烈な異臭が鼻についた。と同時に吐き気と寒気が葵を襲う。薄っすらと目を開けると鉄の柵のような物が四方八方に張り巡らされている。
(これって……檻か?)
「お目覚めですか?青龍様」
声の方向に目を向けると檻の目の前に赤い長椅子と金属製のすね当てのような物をつけた足下が見える。
視線をあげると予想通りホンが悠然と座っていた。
「お着物は運んでいる時に汚れてしまったので着替えさせて頂きました。随分と変わった服でしたので、うっかり破ってしまいましたよ。すいません」
謝罪の言葉とは裏腹に、全く悪びれた風もなくホンが言った。見てみれば確かに着ていたはずのパジャマが脱がされ、水色の長衣を簡単に腰紐で留めて着るこちらの世界の服を着させられていた。シルクのような上質な肌触りに凝った刺繍が施されて相当高価な物だと一見して分かるが、今の葵には肌がざわついて不快でしかない。
「本来はもっと居心地の良い空間であなたをお迎えしたかったのですが、法力を使われるとやっかいですので……。友人がこの檻をプレゼントしてくれたんですよ。ちょっとばかり法力を抑えますんで気分は優れないかもしれませんが、すぐ慣れるそうなんで」
「それは、いい友人だな……」
もっと怒鳴りつけてやりたかったが、思った以上に弱々しく擦れた声しかでなかった。
ホンは葵の嫌味など全く通じてないように、微笑みを絶やさない。
「はい。俺に本来の自分に戻った方がいいと進言してくれたのも彼なんです」
あまりにも普通に接してくるホンは、以前フェイロンと楽しそうに話していた時と何も変わらないように見える。
軽薄な印象はあれど、決して悪びれない笑顔も憎めない態度も大それた事をするような人物には見えなかったのだが。
「……なぜ、こんな事を……」
返事は期待していない、思わず呟いてしまったような問いかけだったが、意外にもホンは普通に答えた。
「なぜって……国を見捨ていなくなった王様よりも、前帝の一番のお気に入りの寵姫だった母が産んだ俺のほうが、この国の王に相応しいと思っただけですよ」
前皇帝の側室は沢山いて、その子供たちは里子に出されたと以前フェイロンが言っていたことを思い出した。では、ホンはその内の一人ということか。しかしーー。
「フェイロンは国を見捨ててなんかいない。俺が居なくなったから……俺のせいで今少し行方が分からないだけだ」
「あれ?」
ホンがソファから立ち上がり、ゆっくりと檻に近づいてくる。葵の目の前で膝跨いて、檻越しに目線を合わせてきた。口元は笑っているが、瞳は嘲りの色が出て嫌な目付きだ。
「知らないんですか?フェイロン王は自決されたんですよ。あぁ、もう前王か」
ホンが言ったことを、葵は初め理解できなかった。何を言っているのか分からない。だが、じきにその意味が分かると猛烈な怒りが込み上げる。
「嘘だ!!デタラメ言うな!!」
「デタラメではありません。実際にフェイロンはこの国の何処にもいませんよ。どうやら紫龍草を食べたらしい。紫龍草は青龍以外が食べたら猛毒なのに。なんて馬鹿な事を。あなた恋しさに気でも狂ったかな」
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