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番外編 昼下がりの瞬き

「干草(ほしそう)は、葉は胃腸薬、根は解毒薬として使われる事が多いです。温めすぎず、冷やしすぎないので、あらゆる煎じ薬に使う事ができます」 「なるほど……俺の世界でいう甘草と少し似ているのかも。煮ると、どんな香りがしますか?」 「好ましいと思う者は少ないでしょうね」 「それでは、やはり甘草とそっくりだ」  葵がにこりと笑いかけると、リャンは少し顔を赤らめて下を向いた。こうやって、こちらの世界の薬草について教えてもらうようになって一ヶ月は経つのに、リャンは未だに葵に馴れないらしい。  度々顔を赤らめては、視線を逸らされてしまうのだ。  リャンは薬草園の管理を任されている、薬師の一人だ。  妊娠が発覚して暫くは悪阻に苦しんんでいた葵だったが、安定期に入って暇になると、今度は子供が生まれる前に色々とやりたくなった。  その一つとして、この世界の薬草について勉強したいとグアンに相談したところ、葵と歳近いことから、色々と質問がしやすいだろうと、紹介してくれたのだ。  リャンは質問すれば、打って響くように答えが返ってくるし、変なおべっかも言ってこないので、葵はリャンにとても好感を持っていた。しかし、まだどこかギクシャクして、気やすい関係になったとは言えないのが少し寂しい。  気軽な格好で、と何度言っても、葵が薬草園を訪ねると前触れを出すと、作業着からきっちり官服に着替え、出入り口でカチコチになって葵が来るのを待っている。  真面目な人間なのだろうと思う。彼の性分に敬意を感じはするが、やはり少し寂しい。葵には今、友人と言える人間が周りにいない。一番心を許している親友は、遠い異国に旅たってしまったし、グアンと仲はいいが、向こうのへりくだった態度は変わらずだった。  リャンと話をする事は、葵にとって新鮮で楽しい。友人とまでは言わなくても、もう少し親しい関係性になれればいいな、と葵は思っていた。 「リャンさん、良かったら木陰で少し休憩しませんか」 「もしやお疲れですか? それでは、本日はこれで御開きに……」 「違うんです。実はお土産があって……これ、リャンさんに」  葵は用意しておいた箱をリャンに手渡した。慎重に箱を受け取ったリャンに、中身を開けてみるように促す。 「これは……餅菓子ですか?」 「はい、お好きですか?」 「ええ、この国で餅菓子が嫌いな者などいないと思います。これは、どういった──?」 「最近、グアンが俺のために、紫龍草入りのお菓子を作るのに凝っているんです。妊娠して悪阻が酷かった時に、それだけは食べられたので……あ、今は勿論体調が安定しているので大丈夫ですよ。ですから、こうして薬草園の案内もお願いしているといった具合なので」  表情は乏しいが、若干心配そうに眉を潜めたリャンに慌てて手を振った。 「それで、俺が元気になった今でも、グアンはお菓子作りが楽しいようで、年中作ってくれるんです。だから、たまにはグアンに習って俺も作ってみようと思いまして──」 「で、では、これは、青龍様の手作りなのですか?」  何故かワナワナと震え出したリャンに、少し照れながら、はい、と答える。  「あ、勿論、紫龍草は入ってませんから、大丈夫ですよ。美味しいといいんですけど」 「青龍様の……手作り……」  心なしか血走った瞳で葵を見てくるリャンに、葵は安心させるように微笑んだ。 「不味かったら、遠慮なく残してください。ちゃんと、グアンが作った物も持って来てあるんです」 「そんなっ、青龍様が作ったものなら、土だって美味しく食べます」  何だか微妙なことを言われた気がするが、食べられそうなら良かった。 「では、座って食べましょう。敷物も運んでもらったんです。あ、それと……」  木陰に行こうとした足を一旦止め、再びリャンのすぐ近くまで寄り、上目遣いで少し睨んだ。 「俺の事は、葵って呼んでくれって、前も言いましたよね。冷たいじゃないですか」  怒っているんだぞ、という雰囲気を滲ませて詰め寄る。これくらいしないと、リャンはいつまで経っても、葵の事を青龍様、と呼び続けそうだと思ったのだ。 「アオ……イ……サマ」  リャンは耳まで顔を赤くして、呻くように葵の名前を呟いた。可哀想な気もしたが、これで少しずつ馴れていけば、やがて普通に名前を呼んでくれるのではないだろうか? 「はい、リャンさん」  リラックスさせようと、精一杯朗らかに返事をすると、リャンの鼻筋に赤い筋がすぅっと一本通り、ギョッとして覗き込む。 「リャ、リャンさんっ、鼻血が出てますっ」 「アオイ様っ、近いっ、近いですっ」 「そんな事気にしてる場合じゃないだろう。ほら、見せてみろ」  とにかく何か拭くものと思い、袖を破ろうとしたところで、突然、葵の前に大きな壁が出現した。 「そうだな、そんな場合ではない。緊急事態だ。リャンを早く医務室に連れて行け」  葵がびっくりしていると、あれよあれよという間に、どこからかやって来た侍従達がリャンを連れ出して行ってしまった。運ばれていくリャンは心なしか、深く項垂れているように見える。 「フェイロン、来ていたんだね」  壁──もとい、フェイロンに声をかけると、ぎこちない微笑みで頷かれた。 (あ、あれ? 機嫌悪い?) 「あぁ、偶然通りかかってな。葵は、休憩するつもりだったようだが。ん? これは餅菓子か、美味しそうな餅菓子ではないか。そう言えば、何やら腹が減ってきたな」  何故かフェイロンの手には、先ほどリャンに渡したはずの箱があった。鼻血を出した時に落としてしまったのだろうか。 「それはリャンに作ったんだ。後で届けに行こうかな。お腹が空いたなら、一緒に寒露の実を摘んで食べない? ここの薬草園にとても立派な木が生えているんだ。フェイロンは知ってる?」  フェイロンの空いてる方の手をとって、案内しようとしたが、先ほどより更に眉の皺が濃くなった。流石に何かあるのかと思い、葵は首を傾げてフェイロンに尋ねる。 「どうしたんだ、フェイロン。何だか凄く機嫌が悪そうだ」  すると、フェイロンは大きくため息をつくと、俺は心の狭い方ではないが、と前置きをしながら答えた。 「俺には、作ってくれたことがないのに、他の男に餅菓子を作ってやるなんて、あまりにもつれないではないか」  そう言うと、いじけたようにそっぽを向いてしまった。とても一国の王とは思えない態度だ。葵はびっくりして、二の句を告げられない。最近の言動で、フェイロンが割と嫉妬深い事は分かっていたが、まさかこんなくだらない事で嫉妬するとは夢にも思わなかった。  とは言え、くだらない、なんて一言で片付けてしまえば、フェイロンは深く傷つくだろう。意外に葵の王様は繊細なのだ。  仕方なく葵はフェイロンの手から箱を奪い、近くに控えていた侍従に渡した。そして、むくれたままのフェイロンの両手をギュッと握る。 「だって、フェイロンは餅菓子があまり好きじゃないだろ」  フェイロンがハッと驚いたように、こちらを見た。 「──何故そう思うんだ?」 「見ていれば分かるよ。フェイロンは餅菓子より、木の実とか、種とか、自然の味の方が好きだよね」 「……侍従長以外で、気付かれたのは初めてだ」 「そう? だって、俺はフェイロンの事をずっと見てるからね」  ふふっと笑うと、フェイロンもやっと表情を和らげた。 「だが、葵が作る餅菓子なら食べてみたい。この哀れな男に、今度作ってくれないか」 「勿論いいよ」  木の実を使った餅菓子のレシピを、今度グアンに聞こうと思いながら頷く。 「でも、何で餅菓子が苦手なの? ここの国の人は、お祝いの時は必ず食べるもので、国民全員馴染みがあるってグアンが言ってたよ」  そう聞くと、フェイロンは唸って黙り込む。暫く黙って見つめていると、木陰に置かれた敷物の上に座り、葵を手招きした。侍従達が気を利かせて敷いてくれたのだ。  フェイロンの隣に座ろうとすると、手を引かれて膝の上に座らされた。どうもフェイロンは葵が小さな龍の姿をしていた時の癖が抜けていないようだ。困った事に、葵もそれがさほど嫌ではない。というか、本音を言ってしまえば、とても嬉しい。  フェイロンが、甘えるように後ろから葵の肩に顎を乗せた。葵も、そこにコツンと頭を寄り掛かると、フェイロンがため息まじりに葵に秘密を打ち明けてくれた。 「母がな、餅菓子が好きな人で……何かと言えば、ご褒美に餅菓子をくれたんだ」 「あ……」 「まあ、そもそも、正気の時の方が少なかったんだが。気分が落ち着いている時は、餅菓子をくれてな。俺はそれが嬉しくて嬉しくて、食べないでとっておいたんだ。そしたら、勿論腐るわけだ。母が死んでからは、餅菓子と言えば、あの時の記憶が蘇ってどうもな、苦手ではある」  幼い頃のフェイロンが、餅菓子を大事に抱える姿を思い浮かべ、胸がギュッと痛んだ。 「だが、知っての通り、我が国では慶事では必ず餅菓子を食す習慣があるだろう? 出来る事なら、苦手を克服したい。葵が作ってくれた餅菓子なら、美味しく食べられる気がするんだ」  暗い雰囲気を打ち消すように、フェイロンが快活に笑った。葵もつられるように微笑む。 「じゃあ、張り切って沢山作らなきゃな」 「お手柔らかに頼む」  お互いのクスクスと笑いあう。しばらくそうしていたが、不意にフェイロンが葵の首元に顔を埋めた。 「フェイロン!? どうしたの?」 「俺は、お前を愛している」  顔を埋めたまま、フェイロンが突然熱い言葉を投げかけてきた。葵は戸惑いながらも、そっとフェイロンの頭に両手を添えて抱きしめる。 「うん……俺もだよ」 「俺は、とてもとても、お前を愛している。正直に言ってしまえば、他の男に会いに薬草園なんかに来て欲しくない。一日中、俺と一緒にいればいいと思ってしまう」 「でも、フェイロンには政務があるだろう? 俺も子供が生まれたらバタバタするだろうし、今のうちに学べる事を学んでおきたいんだ」 「あぁ……」 「こちらの薬草学と、俺の国の薬草学の知識を合わせたら、今後のためにもなるし、ひいては子供達の為、国の為にもなる。って、この話、何度もしたよな」 「あぁ、分かっている。分かっているから、許可をした。お前の尊い志しも、国や子供の事を思う優しい気持ちごと、お前を愛している」 「フェイロンだって、国を思っているじゃないか」 「──正直に言うとな、俺にとってはお前が全てだ。お前がいるから、この国も守るが」 「なんだ、じゃあ、やっぱり俺と一緒だよ」  クスリと笑いながら頭を撫でれば、フェイロンがやっと頭を上げた。 「フェイロンを愛してるから、子供を授かったわけだし、フェイロンと子供が大事だから、この国も守っていきたいんだ。俺が生まれた国の医学では、自然界の要素は全て循環しているって考えがあって……なんだか最近それを凄く感じる」  フェイロンの手を葵のお腹の上に乗せてやる。そこには、確かに新たな息吹きが宿っている。 「愛が循環してるって事だろう? この世界は、こんなにも愛に満ちてるんだって……フェイロンがいなければ知らなかったよ」  振り返って微笑めば、フェイロンは少し驚いた顔をしたが、直ぐにいつもの優しい微笑みを返してくれた。 「全く──葵には敵わないな。リェンを左遷しようとしていた俺の器の小ささが、馬鹿みたいではないか」 「リェンを左遷? なんで? 彼は凄くちゃんとやってくれているよ」 「分かった分かった。だがその代わりに、ここに来るときは必ずシィンを同行させる事。そして、餅菓子はもう二度とリェンには作らない事を約束してくれ」 「え、なんで?」 「なんでもだ。俺が私室に鍵をかける前に約束してくれ」   フェイロンの必死の形相に、葵は思わず頷いた。 「ありがとう。俺は、どうもお前の事になると、不安で堪らなくなるのだ──」  ため息混じりに呟くフェイロンに、葵は思わず首を傾げる。番にもなったし、葵がフェイロンの龍である事は変わらないのに、何をそんなに不安になるんだろう。 「フェイロン」  葵は首だけ後ろを向いて、フェイロンの紫色の瞳を覗き込むと、ゆっくりと瞬きをした。  ──俺たちだけが分かる、約束の瞬き三回。  すると、瞬き一回した隙に、フェイロンがチュッと音がするような口付けをしてきた。 「ちょっ! まだ一回しか瞬きしてないのにっ」 「いや、だって愛しい人が目の前で、目を閉じれば誰だって唇を求めたくなるだろう。気にせず、二回目の瞬きをしてくれ」 「えぇ〜」  仕方ないなぁ、と言いつつ、もう一度瞬きすれば、またしても唇を落とされる。  思わず笑ってしまいながら、最後の瞬きをする。瞼を開ければ、勿論紫の瞳がすぐ近くにあった。 「仕方ない人(愛しい人)だなぁ………」  呟きは、フェイロンに深く吸われて、甘く溶けた──。 了 ※※あとがき※※ 久しぶりに二人のその後が書けて嬉しかったです。実は今アルファポリスさんのBL大賞にノミネートしておりまして、大幅改稿したものを転載中です。かなり頑張って改稿しておりまして(まだ終わってない)自分で言うのもなんですが、面白いものになっているんじゃないかと思いますので、良かったらご覧いただけると嬉しいです。 龍萌えの要素とか、二人のラブ増し増し仕様になっております。Twitter固定ツイート(@nigatukomaji)にリンク貼ってあります。 ついでに11月1日から始まるBL大賞投票にポチッと応援して頂ければさらにさらに嬉しいです!欲張りさんですいません!! 他の番外編も、随時こちらにお引越ししようかなぁと思ってます。バラバラですいません。その時はまたよろしくお願いします。  

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