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匂いフェチじゃないんです!#3

「い、嫌ですよね。あなたはノンケですから。それに、『そのセックスに愛があること』って魔女は言ってたんです。愛のあるセックスって……愛って、なんですかね?」 「え」  いきなり哲学的なことを言いだすな、と天馬は思う。ぽりぽりと頭を掻き、煙草を一口吸った。 「村岡さんは、愛のあるセックスはしたことないのか?」 「……これまで、たくさんの人と寝ましたが、愛、はなかった気がするんです。天馬さんは愛のあるセックスしてましたか?」  強い語調で食いつくように尋ねられ、少し驚くものの、振り返る。また思いだす、あの優しく美しい笑顔。 「ああ。おれはしてたと思う」  村岡はうつむいてふるっと震えた。ぽつりと言った。 「そういうのって、わからない人間には永遠にわからないのかな」  唇に笑みが浮かんでいる。薄い笑みだ。 「あの……おれ、どうしていいかわからない。運命の人と愛のあるセックスをするなんて、おれには難しすぎる。でも、あと一か月で二十五だし。犬になるのは嫌なんです」 「まあ、そりゃ嫌だよな。他に呪いを解く方法はないのか?」 「他には知らないんです。『魔女』の行方はわかりません。顔はわかりますが……」 「顔、知ってるのか? 生まれる前に呪われたんだろう?」 「でも、なぜかわかるんです。人形みたいな美人でしたよ。茶褐色の髪で、目鼻立ちがはっきりしてて、勝気な性格が滲み出てた」  はあ、とため息を吐く村岡。尻尾がだらりと垂れている。影が濃い。この世の孤独を一身に背負った顔だった。  天馬は最後の一口を吸うと、煙草を灰皿に押しつけた。自分でも意外だったが、奥深いところで心は決まっていたのだろう。あるいは、人恋しかったからかもしれない。こんなことを言った。 「あのさ……魔女、探そうか?」 「……え?」 「おれ、私立探偵やってるんだ」 「え!?」 「元刑事で」 「おれの運命の人、なんかキャラが濃い……」  呆けた顔の村岡の、その素直な反応が素朴で微笑ましくて、思わず笑った。 「人探しの相場は十万から百万くらいなんだけど」 「え……! じゅ、十万くらいなら、なんとか……」  あきらかに貯金を切り崩す覚悟をしている村岡に、なんだか父性が刺激される。いいよいいよ、と手を振った。 「お金は、別に。これもなにかの縁だし」 「え、でも……! 天馬さんの時間を奪っちゃうわけですし、そのぶんお金を支払わないと。だって本当はお仕事ですよね」 「ちゃんとしてるな。報酬は……そうだな、おれと……」  たまに会って、お茶は? と言おうとした天馬に、村岡は身を乗りだした。 「あの……お、おれでよかったら、セックスとか……」 「は?」 「あ、いやすみません! おれ、ケツなら貸せます!」 「……村岡さんって、そういうの抵抗ない人?」  引かれた。天馬の顔と口調でそう思った村岡は慌てた。泣きそうになる。 「す、すみません……おれ、そういうの、あんまり気にしなくて……」  だが、正直だ。もごもごと続ける。 「おれ、セックスするとか、男の人に『奉仕』するとか、それくらいしか存在価値がなくて……」  村岡の言葉に驚いた。凛々しい見た目に反して自己肯定感が低いのか、それとも単にセックスが好きなのだろうか? 天馬は優しく言った。 「そうか。でも、おれにはそういう心配、してくれなくていいから。な? そういうのは気にせず、たまにおれとお茶してくれたらそれでいいよ」 「でも、お茶って……それだけでいいんですか?」 「うん。おれ、元は関東の出身でね。こっちにあんまりお茶したり飲みに行ったりできる友達、いないんだ。寂しくてさ」  思わず素直に言った。  村岡は目を見開いて、こくりとうなずいた。心なしかうれしそうだった。 「じゃあ、お茶しましょう。それで、探すのをお願いしてもいいんですか?」 「うん。というか、それくらいしかできなくてごめん」  本当は、ケツを貸してあげたらいいだけなんだよな……と思う。だが、なかなかそこまで踏み切れない。なにせ会ったばかり、だけでなくそっち方面の才能はないのだ。 「いいんです。気にかけてくださるだけで」  うれしそうな村岡はやっとカフェオレに手を付けた。もうすっかりぬるくなっている。 「ミルクとコーヒーのバランスがちょうどいい」  そう言って笑うと、天馬も笑う。 「そうそう。美味いよな。ちゃんとコーヒーの味がするし、でもまろやかだし」  顔を見合わせて笑った。 「ところで、耳と尻尾はずっとこのままなのか?」  凛々しい表情でカフェオレを飲んでいた顔がぽっと赤くなった。目を伏せる。 「あの……じ、実は、人間に戻る方法があって」 「あ、そんな方法がちゃんとあるんだ」  こくりとうなずき、じっと天馬の目を見る。その訴えかけるような目に、きょとんとした。  村岡は一息に言った。 「運命の人とのキス、です」 「は? ……ん? おれとの?」  こくりとうなずく村岡。手が震えている。 「す、すみませんこんな方法……。でも、もしよかったら、き、キス、させてください」  言葉が尻すぼみになる。天馬は目を瞬き、手は胸ポケットの煙草の箱に這った。とっさに、動揺を喫煙で解消しようとしたのだ。しかし手を寸前で止め、息を吸いこむ。村岡はうつむいていた。 「いいよ。キスしよう」 「えっ……」  がばっと顔を上げた村岡に、天馬は微笑みかけた。 「キスくらい、いいよ」  顔を近づける。村岡はふるふると震えた。テーブルに置かれた天馬の手を握ろうとして、しかしそれはできなかった。同じようにテーブルに手を乗せ、拳を握りしめて、顔を近づける。目を閉じている天馬の顔には匂いたつような色気があって、高貴な王子様に見える。心臓が暴れ出す。そっと天馬の唇に口づけた。  あ、村岡さんの唇、柔らかい。みちるが亡くなって以来七年ぶりのキスに、天馬はそんなことを思った。  帽子をとる。耳は霧散していた。天馬が覗きこむと、尻尾もない。 「戻った、よかった」  ほっとして笑う村岡に、若い子って可愛いな、と思った。  ふと、香ばしいいい香りがした。宮木が白い皿に乗ったトーストを二切れ運んできた。 「これ、サービスよ。台風の日に来てくれたから。苺ジャムトースト」  ふかふかの厚切り食パンに、苺ジャムとバターが塗られている。天馬と村岡は子どものように目を輝かせた。 「ありがとうございます、宮木さん!」 「ふふ、いいのよ。お話弾んでるみたいね」  さっきのキス、見られたかな。おそるおそる老婦人の顔を見た。宮木はピンク色の頬で少女のように微笑んでいる。 「さあ、お二人が帰るとき、わたしもお店を閉めるわね。でも、急かしてるわけじゃないの。ゆっくり食べていってね」 「あ、じゃあおれ、送りますよ。と言っても徒歩ですが」  トーストを手に、天馬が快活に言った。 「風であおられて転んだらいけないし」 「まあ、ありがとう。天馬さんは、お家は少し遠くよね。電車、止まってるんじゃないの?」 「歩いて行ける距離に事務所があるんで大丈夫です。一泊くらいはできるし、そのつもりでしたから」 「そう、よかった。あなたは?」  宮木にまっすぐな目で見つめられて、村岡はこくりとうなずいた。 「おれも、歩いて帰ります」 「村岡さんは家近くなのか?」 「いえ、歩いて二時間くらいです」 「遠っ。なんでこっちまで歩いてきたんだ?」 「ガスが止まりそうで……。そういうのを扱える専門店がこのへんじゃないとなくて」 「まあまあ、大冒険ね」  宮木はそう言って目を瞠っていた。  彼女が「戸締りしに行くわね」と裏口を出ると、天馬はトーストにかぶりついた。手作りのジャムがまた美味い。村岡もはむはむとトーストを食べている。  ふと、尋ねた。 「あの、天馬さん。あなたの『運命の人』は?」  天馬は微笑んだ。 「亡くなった。七年前に」  コーヒーを一口飲み、「これ美味いな」と笑った。  村岡はなにも言えなかった。細められた灰色の瞳は、今でも亡くなった恋人を見つめている。それだけははっきりとわかった。 「なあ、村岡さん」  トーストを咀嚼しながら、天馬が言う。 「この天気じゃ、家帰るの大変だろう? おさまるまで、うちに来ないか?」  村岡が皿から顔を上げる。天馬の目に、また耳が見える。ただし、これは幻視だ。村岡は「散歩行くよ」と言われた犬と同じ顔をしていた。  天馬はにこっと笑った。 「うち、って言っても事務所だけど。でも、雨風はしのげるよ」  村岡は思わず素直に笑っていた。はい、と何度もうなずく。ふと心配になった。 「天馬さん、おれのこと警戒してませんよね?」 「ん? うん。なんか、いい子っぽいし」 「危ないですよ。事件に巻き込まれちゃいますよ」 「はは、おれと同じこと言ってる」  赤くなる村岡に、天馬は真顔で言った。 「まあ、いつの時代にもどの国にも、邪悪な人間っているもんな。でも、おれの人を見る目は、自分で言うのもなんだけどけっこうあてになるよ。きみは悪い人じゃない。きみこそ、おれを信頼してくれるのか?」  耳元で声をひそめる。 「きみのお尻を奪おうと目論んでる男だったらどうするんだ?」  もちろん冗談だ。しかし、村岡はぼっと赤くなった。 「お、おれ……っ、そ、そういうの、慣れてるから……」  そういえば、セックスするくらいしか自分の価値はない、と言っていた。冗談なのか本気なのか、天馬にはわからない。単にそういうことに対するハードルが低いのか。深く考えず、のほほんと返した。 「そんなことじゃ、おれのケツは奪えないぞー」 「そ、そうだった……! が、頑張る!」  きりりとした表情になった村岡に、思わず笑った。  変わった子だと思ったし、性的なことに関するハードルが低いのは、たしかにちょっと気にかかる。だが、それを「価値観の違い」という言葉で処理できてしまうほど、天馬は世慣れていた。  ばたんと音がして裏口が閉まった。宮木の着ている水色のワンピースがところどころ濡れている。 「困ったわねえ、雨が強いわ。そろそろ抜けるとは予報で言っていたけど……」 「早く帰りましょう」  急いで、村岡はトーストを口に押しこんだ。  ちらりと天馬を盗み見る。宮木と楽しそうに冗談を言い合っている。  運命の人は、デカくてゴツくて優しい、親子ほど歳の離れたおじさんだった。しかも、ノンケ。  ケツを奪える気がしなかった。

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