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SS・その後のその後
「佐倉先生!こっちです!」
ガタガタと席を立とうとする俺を目で制して、作家の佐倉瑛人先生はアイスコーヒー片手に向かいの席へと腰掛けた。
相変わらずの白肌を隠す真っ黒な服装に真っ黒な帽子、靴、バッグ
そして真っ黒なマスクを顎にずらして薄い唇を開く
「元気そうだな」
「はい、引き継ぎも無事終わって退職できましたし、今月いっぱいは休暇なので」
本もたくさん読めそうですーーーと片手に持ち上げたのは、もちろん佐倉先生の本
一度読んだものでも好みのものは何度でも楽しめるタチだ
そんな俺の手を払う仕草をして、佐倉先生はストローをくわえながら小さく笑った。
「また読書が楽しめるようになったか」
「……はい。佐倉先生、本当にありがとうございます」
「何回ありがとうって言えば気が済むんだよ」
呆れたように嘆息する佐倉先生
たしかに、もう何度彼に礼を言ったかわからない
でもーーーそれくらい、救われたんだ
昔からずっと大好きだった本に関わる仕事に就けて、本当に幸せだったのも束の間
完全なブラック企業だったその職場に翻弄され身も心も擦り減っていくような日々に、なにもかもうまくできなくなって
大切な恋人を寂しがらせていると自覚しながらその状況を変えられなかった俺に、『転職』の道を選ばせてくれた人
そのうえ転職先まで世話してくれたのだから何度礼を言っても足りないくらいだ
「先生、コーヒー以外になにかいりませんか?というか、もう少し良い店で奢らせてほしいんですけど……」
「今日は打ち合わせじゃないんだから接待しなくていいって言っただろ」
本当は食事をご馳走する予定で時間をもらえないかと誘ったのだけれど、頑としてそれを拒否しセルフのカフェを指定してきた佐倉先生
彼はアイスコーヒー1択なので先に購入しておくと伝えても「氷が溶けたら困る」と許してくれなかった。
クールで無愛想な雰囲気と似つかわしくない、ふわりと甘い優しさを持ち合わせていることはーーー彼と少しでも密接に関わったことがあるものなら誰でも知っている
それに、その甘さは彼の筆にもよく表れているから
「この本、何度読み返しても心があったかくなるから好きです」
「おまえは女子高生か」
「やだな先生。先生の本は大人の女性に大人気なんですよ」
ふん、とそっぽ向く佐倉先生に笑っていたら、不意にその瞳がこちらを向いた。
じっと見つめてくる視線を受け止めてきょとんとまばたいていると
「その様子じゃ、うまくいったみたいだな」
ふっと瞳を細め呟かれた言葉
その意味をはかりかねて、眉を寄せながら聞き返す
「……転職ですか?はい、なんだかんだ順調に」
「違う」
「えっと……」
「あいつだよ。年下の、ルームメイト」
あぁーーーと答えかけてふと疑問が浮かぶ
たしかに佐倉先生には蓮のことを色々話してはいたけれど、あくまで『年下のルームメイト』としてだ
だから復縁したことどころか、浮気や別れたこと、家を出たことなど『恋人』としての2人に起こったことはなに1つ知らないはずで
でも、なんだか今の言い方は……
「えっと、先生、あの」
「ふっ、今思い出しても笑える。ほんとガキくせーのな」
「そ、それはどういうーー」
「別れた相手の居場所聞くために頭下げるなんて俺にはできねぇ」
ーーーーーー?
佐倉先生の言葉がなにひとつ理解できなくて固まってしまう
そんな俺にまだクスクスと笑いながら、先生は数日前に蓮と遭遇したことを教えてくれた。
新しい担当者との打ち合わせで本社へ訪れたら、ロビーの受付で棒立ちしている派手な男がいたと
受付の女性となにか話していたと思ったら突然掴みかかって必死になにか聞いていたと
その時に『晶』という名前が聞こえたから、すぐに気付いたと
「いきなりカウンターに手付いて頭下げ出すから、すげー目立ってた」
「れ、蓮が……?」
「受付も困ってたから俺がかわりに対応してやったんだよ……っていっても、あの日のおまえの予定教えただけだけど。ちゃんと会えたんだろ?」
「あ、えっと……はい、ちょうどこのカフェで。俺が本読んでたら、蓮がーー」
偶然、来たのだと思っていたんだけれど
「じゃああれは、偶然じゃなくて……俺に会いに来てたんだ……」
「会いにというか、必死こいて探してたみたいだけど」
「そもそも不思議に思ってたんです。蓮、俺が退職したこと知ってて……会社知らないはずなのになんでだろうって」
「そんなことも話してなかったのか?」
「……はい。仕事の話、聞きたくないみたいだったので」
「……ほんとガキだな。別れたままの方が良かったんじゃないか?」
「あっ、で、でも!大丈夫です!あの……なんというか」
ありがとうございます……とまた礼を言えば、佐倉先生は苦笑した。
「おまえさ、なんとなく俺の弟に似てるんだよ」
「先生の弟さん、ですか?」
「そう。あいつも不幸体質でな」
「な、なんですかそれ」
「でもなんていうか、勝手に不幸になってんだよな。幸せから逃げようとすんの」
なんだろう、否定したいのになぜかとても理解できてしまう
「でもな、絶対に離したらいけないもんがあるんだ。それはきっと、バカでもわかる」
「バ、バカでも?」
「そう。だろ?」
悪戯な笑みに言葉を返せず見つめていたら、先生は腕時計を見やってから肩を竦めた。
「あぁ、そろそろ行かないと。なんかどうしても確認したいことがあるって呼び出されてんだよ」
「あっ、忙しいところすみませんでした。あの、来月からは」
「あぁ、そういえばおまえに担当してほしいって伝えてるから多分転職早々大変かもしれないけど」
よろしくなと微笑んだ佐倉先生は、俺が礼の言葉を言う前に立ち上がって足早に歩き出してしまった。
その背中に深く頭を下げて、ふぅと息をつきながら今の会話をゆっくりと反芻する
ーーーつまり
あの日蓮とここで再会したのは偶然でもなんでもなくて
普通に「久しぶりじゃん」と笑った蓮は、本当は俺を目指してここに来ていて
どうやって知ったかわからないけれど、俺の職場に行ってまで俺を探してくれていた?
あんな大きなビルの受付で、頭を下げてまでーーー?
「……信じられないな」
佐倉先生が嘘をつくとは思えないけれど、あまりに想像できなくて思わず笑ってしまう
たしかに再会した蓮は最初こそ普通だったものの、追いかけてまで俺を捕まえて「戻ってきて」と言ってくれた。涙まで、流してくれた。蓮の家に帰ってからも「ごめん」とたくさん謝ってくれて、そしてーーー
と淫らな方向に向かいかけた意識をぶんぶんと頭を振って霧散させてから、席を立ちカフェを後にする。
なんにせよ、あの日が偶然じゃなかったことをなんで隠していたのか蓮に聞いてみよう
そういえば今日佐倉先生と会うと言ったらなんだかひどく複雑そうな顔をしていた気がする
バラされるのが嫌だったのかな?ふふ、ちょっとからかってやろう
ひとり笑いながら家へ向かおうとして、そういえばとカフェの隣の本屋へと立ち寄る
挨拶は数日前にしたばかりだから、今日はやめておこう
ちょっとだけ佐倉先生のコーナーを確認しておいて……と目当ての本棚に向かい眺めていると
「す、すみません!」
隣の本棚を整理していた店員に声を掛けられた。
なにかしたかと驚いて見やれば、その人には少し見覚えがあって
「あ、先日レジにいらっしゃった……」
「はい、あの、瀬野晶さんですよね?」
「はい。先日はお仕事中失礼しました」
「いえ!あ、あの、すみません……実はどうしても気になっていて」
「なんですか?」
なにか問題でもあったのだろうか
元バイト先というだけでなく、来月からは仕事上でも関わる予定の取引先だ
改めて向き直りドキドキと言葉を待っていたら、彼はなんとも言いにくそうに躊躇いながらもようやく口を開いた。
「こ、こないだ……会えましたか?」
「……えっと……?」
「あの、派手な髪色の、顔がめちゃくちゃに良い人。し、知り合いですよね?」
派手な髪色の顔がめちゃくちゃに良い人
どう考えても蓮だろう
でもなんで蓮を知っているんだ?
それに今の言い方だと、あの日のことを知っているようだけど……
「す、すみません。立ち入ったことを聞いて」
「あ、いえいえ。ただ、なんで知ってるのかとびっくりして。蓮の知り合いですか?」
「や、えっと……あの方、2回うちに来られたんですよ。瀬野さんを探して」
「2回?」
「はい、1ヶ月くらい前に来られて瀬野さんのことを聞かれたんですけど、その時は誰もわからなくて」
1ヶ月前……あぁ、本当に探してくれていたんだ
たしかに蓮が思い付くのはここくらいかもしれない
思い出の場所とか共通点ってほとんど無いから
「その時の彼、本当にひどく動揺していて……でも知らないものはどうしようもないし。それからもずっと頭に残っていて、そしたらこないだ瀬野さんがご挨拶に来られたから本当にびっくりしました!でも彼の連絡先を聞いていなかったのでどうしたものかと思っていたら」
彼が、駆け込んで来てーーーと言いながら笑う
カフェにいるかもと伝えてくれたのはこの彼だったそうだ
とんでもない勢いで走り出したので、そのあとちゃんと会えたのか気になって……と言うので会えたことを伝えると、満面の笑みで喜んでくれた。
俺と蓮の関係をどう捉えているのかはわからなかったけれど、良かったと心底ホッとしたように呟くので胸が温かくなる
「なんだかご迷惑をおかけして、申し訳ないです」
「いえそんな!ただ、あんなイケメンでもこんなに必死になるんだなって……少し驚きました」
「ふふ、そんなにですか」
「そんなにですよ!もうほんと、凄かったんですから!」
とにかく、安心しました!と笑う彼に改めて礼と今後の挨拶をして、佐倉先生の新刊(来月からお世話になる会社からの出版)を購入し店を出る
ぼんやりと歩きながら思い浮かべる“ほんと、凄かった”らしい『必死な蓮』
うーん、やっぱりあんまりピンとこないな
そもそも蓮ってあまりなにかに執着することないしなぁと考えていたら、ポケットの携帯から振動を感じた。
着信メッセージの相手は、大学の同期で就職先も同じだった水川さんだ
道の端に寄って立ち止まりメッセージを開く
『瀬野君から連絡くるまで待とうと思ったけど、もう我慢できない!さっき佐倉先生にちょっとだけ聞いたよ!蓮君とよりを戻したのね!』
よかった!!という旨のスタンプがぽんぽんと送られてきて、微笑んだのも束の間、メッセージの文を読み返しぎょっとする
“よりを戻した″ってもうなんというか完全にそういう意味だよな?
一応水川さんにも『年下のルームメイト』としか伝えてないはずで。
佐倉先生が不用意にアウティングするとは思えないからーーー
『うん、ありがとう。でもよりを戻すって……』
曖昧に返信すると即座に既読になり返信がきた。
『だって恋人でしょ?』
『なんで?もしかして、蓮がなにか言った?』
『はっきりとは言ってないけど……ただのルームメイトのためにあんなに必死にならないでしょ、普通』
そうだろうなとは思っていたけれど、蓮が頭を下げたというあの日、受付にいたのはやっぱり水川さんだったんだな
それにしても……蓮はいったいどんな様子だったんだろう
これだけいろんな人に言われるってことは、よっぽど“必死″に見えたみたいだ
『なんか、お騒がせしてごめん』
『いいのよ。イケメンに頭下げられるなんて滅多にできる経験じゃないもの!どうしようかとちょっと困ったけど佐倉先生が助けてくれたし』
『水川さんらしいな』
『それにしても、瀬野君の片想いかと思ってたけどすっごく愛されてたのね!本当によかった』
……ん?
俺の片想い……ってどういう意味だ?
『なんで片想い?俺、蓮のことルームメイトって言ってたよな?』
『やだ、やっぱり無意識だったの?瀬野君ね、蓮君の話する時完全に漏れてたわよ』
『なにが』
『恋してるんだなってすぐわかった』
なんてことだ
あくまで年下のルームメイトとして話していたのに、そんなにもバレバレだったなんて
ということは、佐倉先生も蓮の言動で気付いたんじゃなくもっと前からわかっていたとか?
うわ……超恥ずかしい……
ひとり赤面して固まっていたら、続けてしゅぽっとメッセージが入る
『あんなに愛してくれるイケメン、離しちゃダメよ』
立て続けに送られる可愛らしいスタンプたち
ありがとうの意味を込めたスタンプを返して、またゆっくりと歩き出す
まだまだ同性愛というものに対する偏見は根強くて、出来る限り隠した方が2人にとっても周りにとっても良いと思っていた。
いや、今も思っているーーーけれど
佐倉先生も、本屋の彼も、水川さんも
みんな事実を知ってもなにひとつ態度を変えず、なんなら応援までしてくれたわけで
もちろんそんな温かい世界ばかりではないとわかっているけれど……なんだかとても、幸せな気分だ
それにーーー
「晶!」
「蓮?なにしてるの?」
「遅いから、迎えに来た」
向かいからぱたぱたと走ってきた蓮が、はぁと息をつきながら俺の手首を掴む
家から走ってきたのか少し乱れた前髪
掴まれていない方の手でくしゃりと直してやれば、瞳を細めた蓮がぐいぐいと俺を引っ張りながら歩き出した。
「わ、痛いって!引っ張るなよ」
「晶、今までずっと“佐倉先生”といたの?」
「いや、ちょっと本屋寄ってたんだけど……そういえば蓮、佐倉先生と会ったんだって?」
「うん」
「なんで言わなかったんだよ。俺に知られたら困ることでもあった?」
ニヤニヤと揶揄いながら顔を覗き込めば、不意に唇を食まれてぎょっと身体を離す
こんな道端でなにしてんだ!?
「ば、ばか!急になに……」
「晶、あの人と特別な関係だったりしないよね?」
「特別な……?」
佐倉先生の『担当』ではあるけど?と続ければ、なぜか少し安心したように微笑んだ蓮
それでも俺の手を引きながら、数日前と同じように足早に家へと向かう
そういえばあれから実家にも帰れていない
というか、外へ出たのも今日が初めてで、あの日から数日間、ある意味軟禁状態だったりする
なぜ軟禁かというとーーーまぁ、その、ほとんど服を着る暇もないくらいの、あれだったわけで
愛されている実感はこの数日間で少し、いやかなり、なんなら痛いほどに、湧いてはいたのだけれど
なんだか今日の1日で、さらに知ることができた気がする
「なぁ、蓮」
「ん?」
「俺のこと好きか?」
信号待ちで止まった交差点
周りに聞こえないくらいの声で囁いたその言葉に、蓮は少し眉を上げてまばたいてから
「好きじゃないよ」
「え……」
「愛してる」
眩しいほどの笑顔でそう言うと、また俺の唇にキスをした。
どうやら俺は、もっともっと自惚れてもいいみたいだ
「……俺も、愛してる」
唇が離れた瞬間にそれだけ呟いて、微笑む唇をちゅっと啄む
周りがざわめいている気がするけれど、もうこの際どうでもいいや
今はこの幸せな愛に溺れてしまおう
手首を掴む大きな手をほどき、指を絡めて繋ぎなおす
優しく交わる熱に微笑みながら、俺は頭の片隅で両手を合わせた。
佐倉先生、ごめんなさい
せっかくの新刊ですが、しばらく読めそうにありません
来月までには、必ずーーー……
* * * * *
「美奈、どうしたの?ボーッとして」
交差点の一角に陣取ったカフェの2階席
ガラス越しに外を眺めていた美奈に、友人が声を掛ける
「ん、ちょっと知り合い見つけた」
「へぇー友達?」
「まぁね」
コーラをひとくち飲んで、ふふっと笑う美奈
なんか嬉しそうねと首を傾げる友人になんでもないと首を振れば、話題はこれからの予定に変わった。
「とりあえずショッピングでしょー、カラオケでしょーあっ、夜はクラブ行く?」
「クラブはパス」
「なんでー!」
「だから、もうそういうのやめたって言ったでしょ」
「美奈最近ノリ悪いー!あ、あの真面目男子の影響?」
「変な呼び方しないで」
だって〜と言いながら笑い出す友人から視線を逸らし、またコーラをひとくち飲む
何度飲んでも甘すぎて、やっぱりコーラはあまり好きにはなれない
そんな美奈の頰をつんつんとつつきながら
「それにしてもあんな真面目で奥手そうな子が美奈ナンパするなんてビックリよねー」
「ナンパじゃないでしょ」
「ナンパじゃん。まぁ本屋でナンパってのも珍しいと思うけど〜」
友人の言葉に思い出すのは半月ほど前のこと
大学のレポートに必要な参考書を買いに立ち寄った本屋で、探すのを手伝ってもらった店員さんに連絡先を聞かれた。
でもあれは断じてナンパという部類では無いと思う
だって、あんなに顔を真っ赤にして視線を泳がせながら丁寧な口調(詰まりに詰まっていたけど)で「一目惚れしました」なんて言うナンパ普通ないでしょ?
「あれは告白!」
「告白って高校生じゃないんだから……でもなにより意外なのは、美奈がオッケーしたこと!」
「まだオッケーはしてないわよ。友達から始めてるの」
「中学生じゃないんだから!!」
ケラケラと笑い出す友人を睨んでみるけれど、なんだか自分まで可笑しくなってきて
美奈は一緒になって笑ってから、どこか清々しい顔でまた窓の外を見やった。
「いいの。私もちゃんと恋をするって決めたんだから」
交差点にはもう『知り合い』の姿は見えなかったけれど、行き交う人々の顔がいつもより柔らかく見えるのはーーー澄み渡る青空のせいかしら
それとも、自分自身の心が晴れたから?
まぁなんでもいいけど、次のデートでは『真面目な彼』と手を繋いでみようかな
なんてぼんやりと考えながら、美奈はひとり微笑んで最後のコーラを飲み干した。
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