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第6話

 食事が終わってしばらくすると、ほろ酔いの大輔は「もうひとっ風呂浴びてくる」と立ち上がった。タオルと煙草を手に取る。 「大輔さん、酒も入ってるから、長湯しすぎないようにね」  ビールを飲み終えたあと、地酒の飲み比べセットを頼んだ。 「だいじょうぶ、だいじょうぶ。帰りに一本吸ってくる」  上機嫌に笑い、ひらひらと手を振って出ていく。  ひとりで行かせたが、女に捕まる心配はもうなかった。はっきりと拒絶した横顔を思い出し、田辺は小さく息をつく。  携帯電話を引き寄せ、メールを確認する。仕事の連絡はない。  昼間、岡村に電話をかけたついでに、さりげなく岩下夫妻の動向も探っておいたから、うっかり行き合わせる心配もない。  部屋はしんと静まり、じきに布団係の男性がやってきた。  田辺はコタツから出て広縁の椅子へと場所を移す。暖房の効いた本間以外は、足元から冷気が上がってきて寒い。  手際よく布団が用意されるのを眺めながら、田辺はこのあとのことをぼんやりと考えた。  大輔もそのつもりでいるだろう。  セックスすることをわかっていて、旅行に誘ったはずだ。  でも、もしかしたら、と田辺は思う。  しないことが、愛情の証になるかもしれない。  欲しいのは身体だけではないと理解させるきっかけにしたいと思いながら、脳裏で渦を巻く卑猥な妄想も止めきれなかった。  深刻そのものの、重いため息をつく。  その間に布団の準備が終わり、一礼した男性従業員が出ていった。  椅子から立った田辺は、自分のボストンバッグを探った。  コンドーム一箱と、使い切りタイプのローションを取り出し、しゃがみ込んだ姿勢で布団を見つめる。  やるのなら、布団の裏にでも隠しておいた方がいい。しかし、下心のない振りをするなら、このままバッグの奥へ片付けておくべきだ。  「念のため……」  とつぶやきながらも田辺は迷った。  大輔の気持ちがまるで想像できず、のんきに温泉でゆだっているのなら、そのまま眠らせてやりたい気持ちもあった。散々、奪ってきたのだから、少しぐらいは我慢できる。  夜の行為はなくても、朝、ほんの少し早起きをすれば、抱き合うことぐらいはできるだろう。  考えあぐねて立ち上がり、部屋の風呂からバスタオルを取ってきて枕元に投げる。コンドームとローションを布団の下に突っ込んだ。  そのまま煙草を掴んで鍵を持ち、外へ出る。  本館の中にある喫煙室へ向かったが、大輔はまだいなかった。ガラス張りの小部屋はソファセットがふたつ入っていて、広々とした応接室の雰囲気だ。  すでに先客が三人いる。しかし、空気清浄機の性能がよく、煙は少なかった。  適当な席に座り、煙草を取り出して火をつける。ガラスの向こうに大輔が現れ、肩をすくめながら入ってきた。 「ライター、忘れた」 「どうぞ」  くわえ煙草でライターをつけ、隣に座った大輔に火を貸す。 「禁煙しないとなぁ、って思うけど」  煙を吐き出した大輔が顔を歪める。 「吸えないと思うと、欲しくなるよな。おまえは、禁煙しないの? まぁ、嫌味を言ってくる事務職もいないか」 「俺はいつでもやめられる」 「……嘘だろ。みんな、そう言うんだよ」  肩を揺らして笑った大輔は、膝に身体を預けて前のめりになる。ぼんやりとした目で正面を向いた。  さっぱりとした襟足と、肌に張りのある逞しいうなじ。  どこを切り取っても、大輔は凜々しい男性そのものだ。煙草を吸う仕草もどこか雑で、仕事に追われる日常が垣間見える。  すべてを見透かすように眺めながら、田辺は静かに煙を吸い込んだ。  じわじわと込み上げてくる欲情は甘く、心の奥が痺れていくようだ。押せば、簡単に抱ける。  欲望で逃げ道を塞いで、快感を言い訳にしてしまえば、いつものふたりだ。ごく当然のように、セックスは介在している。 「内風呂って、朝晩で男女入れ替わりだっただろ? 明日、早起きして、最後のひとつに入らないとな」   大輔が振り向き、動きを止めた。ハッとしたときには遅く、見つめるだけで欲情していたことがバレてしまう。  田辺は焦らなかった。大輔を見つめて、静かに答える。 「そうだね。朝食はレストランだから、食べたあとに、締めの露天風呂もいいかも」  人が消えていき、ふたりだけが残される。 「……戻るか」  大輔が短くなった煙草を揉み消して立ち上がった。 「見えるところに痕をつけんなよ」  去り際の一言に、田辺は煙草を取り落としかける。あきらめようとしていた願望が一気に溢れ返り、冷静を装って揉み消す煙草で指先を焼きかけた。  それでも、なにくわぬ顔で大輔を追いかける。渡り廊下の途中で立ち止まっているのが見えた。  怒ったように見えるのが、いつもの大輔だ。目つきが悪い。 「寒いけど、雰囲気があっていいよな」  釣灯籠の明かりに浮かんだ冬枯れの庭を眺め、顔を歪めるように苦笑する。その意味を田辺は問わない。  大輔がまた先に歩き出し、背中を見つめながら、少し遅れて追う。  誘われていると、思った。  ぎこちなく、さりげなく、大輔も間合いを計っている。  田辺は、伊豆の岩場を思い出した。足を滑らせたら海に落ちそうな場所で、ひょいひょい下りていく田辺を危ぶんだのは大輔だ。  そういう性分なのだろう。他人の危険に敏感で、放っておけなくて声をかける。  警察官は天職だ。田辺が詐欺師でいるよりもずっと、大輔が警官でいることの方が正しい。  離れのドアの前で待つ大輔に追いつき、田辺がドアを開ける。鍵はひとつしかない。  大輔を先に中へ入れて、施錠した。  セックスがしたいなら、旅行に誘ったりしなくてもいい。ホテルでも、田辺の部屋でも、するに困ることはなかった。  しかし、ふたりはまた旅に出ている。  たった一泊二日だ。観光はろくにせず、移動のドライブと温泉に時間を費やしている。まるで慰安旅行だ。特別に思うことの方がどうにかしている。 「大輔さん」  さっさと入っていく大輔を次の間で捕まえた。襖を開けようとしたままの首筋を腕で抱き寄せ、指先で振り向かせる。  くちびるを重ねると、大輔は黙って目を閉じた。  特別じゃないものが、特別になってしまう。そんなことを、もう何度も経験した。  趣味でもない男を抱き、同じ舎弟分の岡村にできることなら自分にもできると、岩下に認めてもらいたかっただけだ。それも、いまはどうでもいい。  腕の中にいる大輔が男らしくあればあるほどに、逃がしたくなくて、捕まえていたくて、胸の奥が痛くなる。  優しく柔らかく、何度もくちびるをついばみ、這い出してくる舌先にもキスをする。  大輔は知らないだろう。田辺が優しいのは、彼を想うときに胸が痛むからだ。愛情の前に後悔があり、後悔を凌駕する欲望がある。  触れただけで膿んでいきそうな生々しさがあるから、そっと触れる。自分を痛めつけないためだ。すべては田辺の自己満足の上にあり、大輔には我慢を強いている。  本当に想うのなら、手を引くべきだ。  女を愛せる大輔を惑わすような関係は間違っている。 「……っ」  震えた大輔の手が田辺の丹前を掴んだ。酔いの抜けた目に見つめられると、田辺の腰は熱を帯びて痺れる。じんわりとした欲求が吹き溜まり、胸の内がきゅっと痛んだ。  伊豆旅行の夜を思い出そうとした瞬間、大輔の指に頬をなぞられた。 「ちゃんとしたヤツ、しろよ」  焦らすなと言わんばかりに睨まれ、かぶりつくようにくちびるが押し当てられる。とっさに両手で抱き止め、舌先を返した。 「んっ……っ」  ぬるりと触れ合う舌先の感触に、大輔が震えながら身を引く。田辺は首の裏を手で押さえた。引き寄せて逃がさない。  どんなに惑い迷っても、田辺は善良になれなかった。  理性では大輔を苦しめるだけだとわかっている。いまはよくてもいつかきっと、お互いのことを真面目に考えるようになってしまう。  そういう人だ。いい加減にしてみせても、人生に真剣で、世間に対して責任を背負っている。犯罪に手を染める男との恋愛なんて、考えたこともなかっただろう。  それなのに、いまは、男の舌先に口腔内をまさぐられている。喘ぐのをこらえて顔をそらす大輔の舌を、田辺はゆっくりと追いかけた。 「だめ……」  と、ささやきながら、逃がさずに舌を吸い上げる。足を踏み出すと、大輔の股間に触れる。ごりっと硬いものがあり、興奮がわかった。 「無理はさせないから、……安心して、抱かれて」  露天風呂でほかほかに温まっている身体を抱き寄せ直して、布団の敷かれた本間に連れ込んだ。

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