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第1話
■ プロローグ ■
今も時々あの頃の夢を見る――。
まだ軋轢も何もなかった十一年前。倉持(くらもち)健司(けんじ)は瑛凰(えいおう)学園高等部の二年生だった。
瑛凰学園とは、世界屈指の企業グループ、東條(とうじょう)コーポレーションの総帥を育てるために東條一族、本家分家から人材を集め、英才教育を施すために建てられた学園である。一般からの生徒も受け入れており、日本でも有数のエリート校であった。
倉持は両親ともベータのカップルから生まれたアルファである。両親も含め親族中が驚く中、妹もオメガとして生まれ、皆、父方の祖母のアルファ性と、母方の曾祖母のオメガ性が関係しているのではないかと考えた。そして両親は倉持の将来を考え、一般から瑛凰学園へと入学させたのだ。
だが、将来を考えたその選択が、皮肉なことに倉持の人生を波乱なものにするきっかけとなってしまった。
あの時、東條家に関わらなければ、きっと今頃ここにはいない――。
■ Ⅰ ■
ピピピッ……。
短く電子音が鳴った。スマホのアラームだ。倉持はまだ疲れが取れていない躰をどうにか動かし、枕元にあったスマホに手を伸ばしてアラームを消した。
「はぁ……」
この仮眠室で横になったのが一時間半前だ。とりあえず少しは頭がすっきりしたような気がした。
警察庁、バース課、特別管理官。それが今の倉持の身分である。
バース課は、いわゆる警察庁のエリート集団で、バースというデリケートな犯罪を扱う部署だ。その中でも特別管理官というのは、エリートをまとめられるだけの才覚がある者に与えられ、多くの事件の陣頭指揮を執るエリート中のエリートのことである。
管轄は刑事局ではあるが、その特殊性もあり警備局とも連携を図っている。さらに厚生労働省のバース管理局とも繋がっており、警察庁の中でも少し特異な部署である。
裏を返せば、忖度がいろいろと業務の邪魔をし、課員としてはあらゆる部署への気遣いが必要で、何をするにも書類優先とも言われる面倒臭い部署でもあった。
現在バース課には、倉持を含め四人の特別管理官が在籍していた。
昨夜は厚生労働省のバース管理局の特殊部隊と連携を図り、オメガ取引市場を一斉摘発し、一時、大変な騒ぎとなった。しかし報道規制を敷いたお陰もあり、テレビで騒動を放送されることはなく、国民のほとんどが知らない事件となった。だが、国民が知らない事件だとしても、上部に報告をしなければならない書類はたくさんある。倉持も摘発したその足で警察庁へ戻り、書類の山と戦っていた。
そしてさすがに精魂尽き果て、ふらふらになりながら仮眠室のかび臭いベッドで寝たのが一時間半前である。
ただ、その短い間に夢を見たことは覚えていた。十一年前、かつて親友だった男、東條本家の嫡男、東條将臣(まさおみ)を裏切ったあの日の夢だった。
「まったく、しつこい夢だな……」
きっと昨夜の摘発で東條将臣の姿を垣間見てしまったからだろう。
今回の一斉検挙は、実は倉持が仕組んだものだった。自分の権限だけでは管轄が違うバース管理局の特殊部隊を簡単に動かすことはできない。上との連携を密にとり、さらに上層部のくだらないメンツを傷つけないように充分に配慮した形でないと、まず無理であるし、時間もかかる。そこで、将臣を使うことにしたのだ。
最高種であったアルファを凌駕すると言われる新たな種、エクストラ・アルファというバースを持つ彼は、自分の伴侶、アルファオメガの危機を感じた時、バース管理局の特殊部隊を出動させる権限を持っているのだ。なんの根回しもなく、だ。
これを使わない手はない。
さらにちょうど、もう一人の厄介な男からオメガの秘密クラブの垂れ込みがあったのも大きい。
厄介な男――。カーディフ・ラフィータ・ビン・ラム・バルーシュ。アラブの一国サルージュ王国の第三王子のことだ。
乳母が日本人だったということで、日本語も流暢に話せる王子は、世界でも百人程度しかいないとされるエクストラ・アルファの一人である。
希少種のエクストラ・アルファであるのに、倉持に限っていえば、周囲に二人もいて、ある意味、供給過多だ。本来なら最高種であったアルファを、凌駕するような力のあるバースなど、周囲にいないに越したことはないのに、二人もいるとは、自分の運の悪さを呪【のろ】うしかない。
昨夜はそのカーディフに、兄を懲らしめるのにちょうどいいと言われ、彼の兄がオーナーをしている秘密クラブのオメガのSMショーの情報を流してもらったのだ。
そこで倉持は、将臣の特殊部隊招集の権限を使うために、彼のつがい、聖也(せいや)を呼び寄せられないかと、カーディフに提案した。すると、元々将臣や聖也に興味を持っていたカーディフは倉持の願いを二つ返事で了承した。
『お前のあまり嬉しくない過去に深く関わった二人だろう? それは私も一度は会って、話をしてみたかった。いい機会だ。その聖也という男、私が攫ってやろう』
その言い方に嫌な予感しかしなかったが、聖也の身の安全が第一というのもあり、カーディフ自らが聖也を誘い出し、身の安全を約束してくれたことで、渋々承知した。
本音を言えば、さすがにそこまでカーディフに借りを作りたくなかったが、聖也の安全を考えれば、倉持の感情を抑えてでも、彼に頼むのが最善であるのは間違いなく、倉持は仕方なく折れたのだった。
将臣のことがあるので、聖也とも接触を避けていたが、いつも聖也の平穏無事を願っているのは確かだ。もしかして彼の平和をいつか自分が壊してしまう日が来るかもしれないと、思いながらも、だ。
あちこちに矛盾を抱えながら生きているのを今さらながらに感じてしまう。
「今さらだよな、本当に……」
結局、昨夜、聖也を誘拐されたと勘違いした将臣は、倉持の思惑のまま特殊部隊を動かし、一斉検挙となった。
カーディフの情報提供のお陰で、作戦は滞りなく成功し、さらに聖也の安全確保まで彼に任せてしまったことで、思った以上に彼に大きな借りができてしまっている。
そもそも、そんなカーディフに会ったのは去年だった。バース国際会議で偶然彼と話す機会があってから、倉持のどこが気に入ったのか、粉をかけられるようになったのである。
相手にしないほうがいいことはわかっているが、彼の撒く餌があまりにも魅力的で、倉持も渋々彼の手管に嵌まっていた。
縁は切りたいが、情報は欲しい。
なんとも複雑な関係だ。複雑だからこそ、考えるのを後回しにし、とりあえず目の前の事件から片づけている。それが、さらに複雑化していることも理解しているが、どうしようもなかった。
「とにかく今日の十時までには書類を完成させないとな……」
倉持はくしゃくしゃのシャツのままネクタイを締め直し、鏡を見た。
鋭い双眸の下には濃い隈ができている。鼻筋は通っており、きちんと身なりを整えれば、それなりに威厳ある特別管理官に見えるはずだ。
自分にそんな言い訳をしながら、倉持はバース課のあるフロアへと戻ったのだった。
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