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人斬り藤次郎

 (一)  満ちた月が雲に隠れ、ほんの束の間、一切の光なき闇が生まれる。  彼は腰に差している刀を鞘から抜き、闇に乗じて動く。  生まれた闇はほんの束の間。しかし彼にはそれは十分すぎる刻であった。  今宵の、刀の餌食は米問屋の主。  彼はすれ違い様に見事な太刀さばきであっという間に米問屋の主人の息の根を止めた。  力なく横たわる彼からは鮮血が止めどなく流れていく……。   「辻斬りだ! 死人が出たぞ!!」  耳を(つんざ)呼子笛(よびこぶえ)が鳴り響く。  分厚い雲からふたたび月が姿を現す頃には、そこは鮮血で染まっていた。  彼は人斬りだ。  無論、米問屋の主には何の縁も恨みもない。  しかし、主人を妬む者がいた。 「すまないねぇ、あんたを殺すよう俺に命じた主を恨むんだね」  米問屋の主に告げる低い声が静寂の中に漂う……。  彼が懐から取り出した懐紙(かいし)で刀にまとわりついた米問屋の主の鮮血を拭う。  音もなく懐紙が地面に落ちた。  刀身を鞘に収めた彼は腰まである艶やかな漆黒の髪をなびかせ、夜の闇へと優雅に消えていった。  ―人斬り藤次郎・完―

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