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出逢ひ

(二)  藤次郎が銀之助に出会ったのは、三年前――。  藤次郎は武家の出であったが、両親は藤次郎が幼少の頃に流行病にかかり、あっけなく亡くなってしまった。  藤次郎はまだ幼く、家督を継げないとしてお家は断絶し、両親を亡くしてからは遠い親戚に当たる浪人のひとり暮らしをしている男に引き取られ、過ごしていた。しかしその男、これまたひどいもので、親と呼べるほどの甲斐性はなく、飲んだり食ったりの堕落した毎日を送っていた。だから藤次郎は内職をしてその日限りの生活を強いられ、まるで使用人の如く扱き使われ、過ごしていた。  いや、それだけならまだいい方だ。男は、「せっかく母親譲りの器量なのに男では台無しだ。お前が女であったなら、女郎屋にでも入れてやったものを……」と、悪びれもせず、毎日口癖のようにすげなくそう言うのだ。  藤次郎は毎日が屈辱の連続だった。けれども引き取り手もいない藤次郎は、お家再興の伝もなく、この愚かしい男と暮らすことしか生きる方法はなかったのだ。  そんなある日、夜も深まる頃だというのに、飲んだくれの男は何時ものように酒の使い言い渡してきた。  藤次郎は嫌々ながらも、それでも男の言われたとおり、殻になった徳利を持ち、長屋を出た。  何の代わり映えもしない毎日。けれどもその夜は何時もの夜ではなかった。 「おっ? こんな夜更けにいい女――と思ったら男かよ」  旗本風の若侍がすれ違い様に言い寄ってきたのだ。どうやらこの男は相当酔っているらしい。おぼつかない足取りで歩み寄ると虚ろな目で品定めをするような目で藤次郎を見やる。 「…………」  その目がなんとも気持ち悪い。むやみやたらと離すのはかえって相手の気分を逆撫でする。この手の相手には十分すぎるほど見飽きている藤次郎は何も言わず、そのまま通り過ぎようとする。しかし相手はそうはさせてくれなかった。藤次郎の手首が掴まれてしまった。 「何をする、離せ!」  酒に酔っているにしては若侍の力が強い。 「来い。本当に男なのか確かめてやろう」  相手はそう言うと、人気のない場所へと藤次郎を引っ張る。  しかし藤次郎は細身でありながらも腕っ節は強かった。そして相手が酔っていたというのもあって、手首を掴んできた若侍はすげなくすっ転ぶ。 「この野郎、大人しくしてればつけあがりやがって!! 俺は大身旗本の家柄だぞ?」  言い寄ってきたのは若侍の方で、しかも転んだのもおぼつかない足取りだったのが原因である。藤次郎はただ腕を振り解いただけだ。――にも関わらず、相手は顔を真っ赤にして憤怒する。  女のような姿をした藤次郎に負けるのがよほど悔しかったのか、男は鞘から刀を抜き、藤次郎に斬りかかってきた。  藤次郎は強かった。若侍の腕を取ると太刀を奪った。しかしその後がいけなかった。  何分、相手は酒に酔っている。態勢を崩した相手の二の腕を刃物が掠めた。立派な着物の肩口がすっぱりと斬れ、鮮血が滲む。 「っひぃいっ!!」  若侍は血を見るやいなや、みっともない声を上げ、痛みを訴える。なんとも無様な奴だと藤次郎は思った。その矢先だ。 「何事だ」  若侍の声を聞きつけた新たな人物がやって来た。 「……チッ」  藤次郎は下唇を噛む。相手は旗本。自分で大身だと言っている。嘘とも言えるが、しかしたしかに相手の男が着ている着物は立派だ。それに、二本差しもある。自分と身分違いなのは一目瞭然だ。  藤次郎は悪くないにしても、相手は自分の身分をいいことに藤次郎の所為にしてくるに違いない。そして新たにやって来たこの男もまた、自分の身が危ぶまれるようなことはけっしてしないだろうと、藤次郎は思った。   「こいつがいきなり斬りかかってきやがったんだっ!!」  やはりとも言うべきか。自分の身分を良いことに若侍は根も葉もない嘘を連ね、藤次郎を責める。 「身よりはあるか? 名は何という?」  新参者の男が問うてきた。 「…………」  どうせ身分違いの自分は誰も言うことをまともに聞いてくれはしない。そう思った藤次郎は訊ねられても返事ひとつしなかった。  それでもただやられっぱなしでは苛立つ一方だ。だから藤次郎はちょうど旗本の若侍から奪った太刀を、新参者の男目掛けて振り下ろした。  当然、藤次郎には人を殺すつもりはないものの、少しでも相手を傷つけることができたならば少しはこの苛立ちもましになるだろうと思ったのだ。  しかし、男は慣れた調子で藤次郎の腕を掴んだ。 「こいつ、こうやって突然俺の刀を奪って殺そうとしてきたんだ!!」  若侍は尚も嘘を言い放つ。  藤次郎は苛立ち、若侍を睨みつける。同時に、接近した距離にある男の顔がはっきりと見て取れた。  男の片目は深い古傷で閉ざされているが、もう片方の目元は涼しく、十分に魅力的だった。すっと通った鼻筋に薄い唇。遊び人風の長髪は、けれども少しも嫌味がない。広い肩に引き締まった身体は着物を着ていてもわかる。彼には相手が誰であっても魅了する色香があった。  藤次郎は自分の置かれている立場を忘れ、男に釘付けだ。 「二十手前か? まあいい。事情はゆっくり聞くとしよう」  そして男もまた、藤次郎を窺っていたようだ。ぽつりとそう言うと、そのまま藤次郎を引っ張る。  そこで藤次郎は自分の置かれた立場を思い出し、慌てた。 「離せ! 何をするんだよ!!」  藤次郎が男の手を振り解こうとしても存外力が強く、振り解けない。  抵抗する藤次郎は男に引きずられるがまま、その場を後にした。

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