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ウリ専のおれが、ある日出会ったその人は#1

 送迎車の黒のワンボックスカーの中で、村岡征治(むらおかせいじ)はまどろんでいた。  乳白色で透ける素材のマイクロビキニは身につけたまま、上にパーカーを羽織り、ジッパーを上まで上げている。車の中はエアコンが効いていて涼しい。むしろ少し寒かった。  夜の九時過ぎだ。繁華街の真ん中を通っても商業施設はもう閉まっている。あたりは静かで、しっとりとした雰囲気だ。月が明るく輝いている。市街を縦断する道は空いていて、村岡の乗る車も少しスピードが出過ぎている。タクシーが多く、神投(かんなげ)市の中心地にあるJRの駅には、これから帰路というサラリーマンたちの姿が見えた。街路樹が風にざわめき、電線が揺れる。  地方都市の夜だ。 「今日はどうだった? またいじめられたか?」  運転手の畑中(はたなか)が尋ねた。初老の男で、道を覚えるのが上手い。運転も上手かった。節くれだった指を軽くハンドルに添えている。  返事をするのは億劫だったが、村岡は正直に答えた。 「……いじめられました」 「なにをされた?」 「イラマチオ」 「じゃあ、いつものことだな」  体内で放尿されたことは言いたくなかった。きっと蔑まれる。最近、畑中の目つきが嫌だった。  窓ガラスに頭を押しつける。ガラスの硬い感触に、頭をつかむ客の厳つい手を思いだす。  今日も楽な仕事ではなかった。六十分間体を売って、銀行口座に金が貯まる。そのぶん自分が周りの二十四歳と比べて、ずっとずっと年老いてしまった気になる。  村岡は窓ガラスに映る自分の顔を見た。口元についた白い汚れは、客の精液だろうか? ごしごしとぬぐう。肌がひりひりするまで強く。  黒い短髪に、三白眼が目立つ強面の顔。一八一センチの長身で、痩せ型だが筋肉質。威圧感のある見た目なのに、客たちは怯えない。  いや、怯える客もいる。そして怯えた己を恥じるように、村岡に苛烈な仕打ちをするのだ。  それに、強面だが美貌でもある。客たちはみんな、村岡のきれいな顔を汚せることを喜んだ。涙と鼻水と涎れでどろどろに濡れると、あからさまに興奮した。  汚れはとれたようだ。ほっと息をつく。あとは帰るだけだ。なんでこんなことになっちゃったんだろう。  子どものころはディズニーの白雪姫になりたかった。きれいで、優しくて、愛らしくて。七人のこびとたちと戯れながら、運命の人に出会って幸せに暮らす。  憧れからは遠くかけ離れ、今ではドMを謳うウリ専だ。稼ぎはいい。同年代と比べても、圧倒的だった。  唇を噛んで、窓に頭を擦りつける。革を模した黒いシートに手をすべらせて、家に着くまで眠ってしまおうと思った。喉が痛く、声もかすれている。 「辞めないのか?」  畑中が言った。 「あんた、まだ若いし。そんなにつらいなら辞めたらいいんじゃないか?」  村岡は頭を起こし、運転席のヘッドレストを見つめた。 「……そうですね。『運命の人』が現れたら、辞めようかな」 「『運命の人』? そんなもん信じてるのか?」 「……ええ」  ルームミラーに映る畑中はニヤついている。 「へえ。おめでたいねえ。頭のネジが飛んでるんだな。だからこんな仕事も続けられるってわけか」  侮蔑の言葉にも、村岡は怒らなかった。しかし、泣きたくなる。唇をぐっと噛むと、涙が一滴、膝の上の握った拳に落ちた。  ふと、外を見る。さっきから、なにかおかしいと思っていた。村岡はおどおどと畑中の後頭部に言った。 「畑中さん、おれのうちこっちじゃないんですけど」 「あんたが仕事してるあいだに連絡が入った。もう一件、行ってくれってな」 「え……?」  胃が冷える。もう帰れると思っていたのに。体が鉛のように重くなった。 「でも、おれ……もう、疲れてて……」 「オーナーに言えよ。おれは指定された場所に向かうだけだ」  オーナーに歯向かいたくはなかった。その度胸がなかったのだ。もう帰りたい、と泣きそうになって、そんな思いを押し殺す。  どうせまた、酷い目に遭わされるんだ。だったら、もういっそなにもしないでいよう。マグロになろう。  そんなことをしたら不興を買って、もっと酷い目に遭わされるかもしれない。そうは思うが、もうこれ以上笑顔を見せたり、「ご奉仕」するのはむりだった。  もういっそ、死にたかった。  膝の上で拳を握り、背中に定規が入ったみたいに背筋を伸ばしてうつむく。  車は郊外へ向かって進んでいく。国道を通り、大型の電気店やリサイクルショップの前を通り過ぎた。工場の倉庫がちらほら見える。街を照らす明かりがだんだん心細くなっていく。少し山あいに入った、明るい光の中で停まった。  少し郊外にあるラブホテルの前だった。打ちっぱなしのコンクリート、直線的なフォルム、そしてホテルの上部に嵌められた床まである赤い窓ガラスが、郊外といえども都会的な雰囲気だった。デザイナーズの建物といったかんじで、高級レストランのようにも見える。足元がオレンジの明かりで照らされていた。窓にも穏やかなオレンジの明かりが灯っていた。  村岡にとって、ラブホテルはいつも荒野に佇む廃墟だった。 「三一六号室だそうだ。一時間のプランの予定らしい。そのころまた迎えに来る」  畑中に追いだされ、村岡は今日二軒目のホテルに降りた。夜気はむっとして、肌に貼りついてくる。蚊が首筋に留まった。強い風が肌を撫ぜる。  中に入る。無人のシステムの受付だった。もう来ているのだろうか? 表のパネルで見ると、三一六号室は使用中になっている。  のろのろと奥のエレベーターに向かった。  三一六号室は郊外によくあるラブホテルの一室らしく、簡素で、味気なく、清潔さも少し足りなかった。ひなびたその風情に、室内に入った瞬間気が滅入る。右手の壁に幅の広い鏡、左手にキングサイズのベッド。ベッドサイドにはテーブルがあり、目覚まし時計の機能がついたディスプレイが組み込まれている。テーブルの上には電話が置かれていた。一昔前のビジネスホテルのようだ。ローションとコンドームも籠に入れられて並んでいた。カーテンに埃が絡みついている。  天井には鏡。ただ、それ以外に客の興奮を煽りそうなものはない。奥にはクローゼットがある。パステルカラーの、花束の絵が飾られているのが不似合いだ。都会的なホテルの外観にしては、内装はどうにも野暮ったい。  そのまた奥には透明な扉がある。おそらく、浴室に繋がっているのだろう。  さっきの客の仕打ちを思いだし、無意識にトイレの位置を確認しようとしてしまう。浴室の向こう、部屋の最奥にある扉がそうだろう。  開けてみようと近寄った瞬間、その扉が開いて、中から出てきた男にぶつかりそうになった。 「あっ、ごめん!」  男はとっさに村岡の体を抱きとめてくれた。逞しい腕の中で身をよじる。パーカーが捲れあがりそうになり、赤くなった。  どうせこの人にも見せるんだろうけど、恥ずかしい。  マイクロビキニを着た胸元をパーカーの上から押さえ、体を離す。 「お、おれこそ、すみません」  顔を上げる。思わず見惚れていた。  男は背が高く、村岡よりまだ長身の一八八センチだった。厚く逞しい体つきをしている。顔立ちはそれほどハンサムではない。しかし彫りが深く、吸引力があるというのだろうか、成熟した雄の色気を放っていた。小鼻が引き締まっていて、口元も引き締まっていた。しかし意志が強そうな下半分に対し、目は性格を表すように明るく穏やかだった。瞳は日本人には珍しい灰色で、黒髪には白髪が交じっている。四十代の初めのころだろうか。  村岡の好みの顔立ち、体つきだった。 「けがはないですか?」  男は村岡の片手をそっと手のひらに乗せ、尋ねた。お姫様の手に触れる王子様みたいだ、とそのとき思った。村岡はこくこくとうなずく。 「大丈夫です。あの……〈BLUE MUSTANG〉に連絡をくださった方ですか?」  男は日差しのように笑った。 「ええ。きみがセイ君?」  村岡はこくりとうなずいた。 「はい。今夜お相手をさせていただきますセイと申します。チェンジはなさいますか?」  してほしいな、と思いながら尋ねると、男は首を横に振った。 「いや。きみでお願いしたいです。いいかな?」  村岡はまたこくっとうなずいた。 「暑いね」  男はそう言って、ベッドのほうに歩きだした。たしかに、エアコンの効きが悪いのか蒸し暑い。村岡は額の汗をパーカーの手首で拭いた。  男はベッドの上に放られているリモコンで、設定温度を二度下げた。手招きする。村岡は大人しく寄っていった。  男はベッドに腰を下ろした。
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