2 / 3
ウリ専のおれが、ある日出会ったその人は#2
「座ってください」
きょとんとした村岡に向かって、男は再度促した。
「椅子が壊れてるから。ここ、座ってください」
たしかに二脚セットの椅子の片方が壊れている。男はベッドの上の、自分の隣のスペースを叩いた。村岡は困惑しつつ、指定された場所に腰を下ろした。
「おれ、了介(りょうすけ)って言います」
自己紹介する男。こんなことは初めてだ。村岡はぺこりと頭を下げる。
「初めまして」
「初めまして。セイっていうのは、本名ですか?」
口をつぐむ村岡に、了介は慌てて言った。
「いや、ごめん。答えにくいですよね。気にしないで。じゃあ、セイ君。セイ君は、〈BLUE MUSTANG〉は長いですか?」
「一年と半年くらいです」
「本店出勤はある?」
「いえ。いつもホテルを回ってます」
「あからさまなことを訊いて、すみません。……やっぱりセックス担当なんですよね?」
村岡は赤くなった。本店と言って、クラブ〈RED MUSTANG〉に勤めているホストはいる。しかし、村岡は〈BLUE MUSTANG〉で働いている。連絡を受け、客が待つホテルに向かい、セックスして金をもらう。それが仕事だ。ゲイやバイの人間に体を売る、いわゆる性風俗メインの「ウリ専」である。〈BLUE〉と〈RED〉を掛け持ちしている者もいる。そういう人間は、だいたいセックスがメインの〈BLUE〉から、〈RED〉へと比重を移していく。
「お、おれは、お客さんとセックスすることでお金をもらっています。ホストみたいなことはできません。しゃべるのも上手くないし、愛想もないし、笑顔が素敵でもないし」
「なるほど。……〈RED〉に移りたい気持ちはありますか?」
村岡はにわかに緊張した。もしかして、これは面接試験なのだろうか? 〈BLUE〉から〈RED〉へ移るための。この人は店が派遣した面接官なのか? 思わずガチガチになる。了介の顔も上手く見られない。
それでも、正直に言った。
「お、おれ……〈BLUE〉は、つらいことも多いけど。でも、セックス、好きだし……」
「あなたのポスター、ネットで見ましたよ。『ドMです。物のように扱ってくれるご主人様を探しています』。……酷い目に遭わされることもあるのでは?」
了介の顔が本当に心配しているように見えて、村岡は思わず目に涙を浮かべていた。拳をぎゅっと握る。
「は、はい……。ひ、酷いことをされることもあります。今日も……」
「なにをされたんですか?」
「……あの……」
赤くなってうつむく。しかし、言葉は出ない。了介は静かに言った。
「そうか。つらかったですね」
「……はい」
低く穏やかな声が、まるで鎮痛剤のように心に沁みた。顔を上げ、目を細めて笑った。
「ありがとうございます。仕事だから、って思ってるけど……。ときどき、とてもつらくて。死にたいなあって思ったりもするんです」
しばしの間。すぐに我に返って青くなった。口が滑った。了介の眉間には皺が刻まれている。
「酷いな……」
暗い声にびくっとする。了介を見つめると、彼は険しい顔だった。
「あなたにそんなつらい思いをさせているのは、酷いですよ。辞めようとは思わないんですか? 生活のため?」
「あ……」
ふるっと震えた。優しい言葉が、侮蔑と恥辱で傷だらけの心にひりひりと染みる。
了介の顔を見つめて、緩んだ笑顔を浮かべた。
「いえ、あの。おれ、さっきも言いましたがセックスが好きで……。元カレにも褒められたし。たしかに酷い目に遭うこともあるけど、おれ、セックスするくらいしか特技とか、人に誇れるものがなくて」
了介は真剣に聞いている。
「あの……それに、もし『運命の人』が現れたら、って思って。この仕事を続けていると、いつか『運命の人』に会えるんじゃないか、って……。もし『運命の人』が現れたら、おれ、この仕事辞めようって……思ってるんです……」
言葉が尻すぼみになっていく。耳まで赤くなるのを抑えられなかった。
畑中のように馬鹿にしてくる相手なら、こちらもそのつもりで、ある意味気楽に言うことができる。しかし、了介は真剣に聞いてくれている。そんな相手の前で、「運命の人」は恥ずかしい。
「へえ。おめでたいねえ。頭のネジが飛んでるんだな。だからこんな仕事も続けられるってわけか」
畑中の言葉が脳裏に甦る。この人にも、頭がおかしいって思われるのか。しかたないよな、という諦めと共に胸が苦しくなった。
しかし、了介は嗤わなかった。「そうか」と言った。
「セイ君の『運命の人』、見つかるといいですね」
「あ……」
鼻水をすすり、了介の顔を見つめ、すぐにうつむく。
「『運命の人』ってなかなか出会えないけど、でも、おれも出会ったことがあるんですよ」
村岡はうつむいたまま涙をぬぐった。顔を上げる。
「りょ、了介さんも、運命の人に出会ったんですね。だったら、おれも出会えるかな」
「出会えるといいですね」
了介が大きな手で頭を撫でた。村岡の顔が緩む。全身が脱力した。了介は手を離し、ささやいた。
「馬鹿にする人もいるかもしれないけど、おれは『運命の人』、いると思いますよ」
「でも、全員にはいないですよね? ずっと一人で生きる人もいるし。おれにはいないかもしれないな……」
「それは、わからないけど。『運命の人』に出会ったらどうしますか?」
村岡は顔を上げ、ふわっと笑った。
「ずっと探してました、これからもずっと好きです、って言います」
「可愛い」
了介が笑うと、村岡は赤くなった。
「意外だな。写真で見たセイ君はとても凛々しかった。眼光鋭くて。でも、こんなに可愛いなんて」
さらに真っ赤になる。あわあわと首を横に振った。
「お、おれ、別に可愛くなんて……!」
自分が可愛くないことを、いやというほど知っているのだ。村岡の憧れは白雪姫だ。彼女のように可憐で美しい顔とは天と地ほどもかけ離れている。いや、あんなに可愛い顔じゃなくてもいい。せめて、もっと女っぽい顔だったら。そんなことを思っている。
そして村岡は自分の強面のせいで、男たちの征服欲が掻き立てられていることに気がついていない。
「いや、可愛いですよ。でも、すみません。こんなこと言ってると、まるで口説いているみたいだ」
真面目な顔の了介に、村岡はぽかんとした。口説いてるわけじゃないのか?
この人なにしに来たんだろう、という疑問がようやく村岡の頭に湧いた。
ともだちにシェアしよう!