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ウリ専のおれが、ある日出会ったその人は#3
「ところで、あなたにお願いがあるんですが」
改まった了介の言葉に、はっとする。そうだ。やっぱりこの人も、セックスが目的なんだ。
酷いことするのかな。そう思うと胸が苦しくなった。優しいこの人に、ずっと優しいままでいてほしかった。豹変するのが怖かった。
それでも、了介の顔を見つめる。
「はい。なんでもお申し付けください」
オーナーからの言いつけの通り奴隷っぽさ全開で、媚びた顔で促す。これまでの客ならこれで落ちるはずだった。
了介は引き締まった顔を少し緩め、「あの、ですね」と言った。
「これからしばらくのあいだ……そうだな、一週間くらい、おれをお客さんにしてくれませんか?」
「一週間……ですか? はい、できると思います。ただ、他のお客様の予定も入っているので……」
「むりは言わないよ。その、先約のお客さんが終わったあとでも、前でも、どちらでもいい。おれの話し相手になってくれませんか?」
「話し相手?」
村岡はまたきょとんとした。
「あの……セックスは?」
「セックスはしなくていいよ。おれ、こう見えても……って、たぶん思ってるとおりだと思うけど、四十三歳なんですよね。積極的にセックスしたいっていう時代は過ぎてるし、どっちかというと枯れ気味なんです」
「え……? で、でも……」
「それから、お金はちゃんと払うから、心配しないで。プラン料金、きっちり払うから」
「で、でも……」
こんなとき、どうしていいかわからない。村岡は必死に言い募った。
「だ、だめです。キスすらしてないのに……」
黙ったまま、了介は村岡の腕をぐいっと引いた。倒れこんできた体を胸で受け止め、唇にそっと唇を押しつける。
村岡の頬が染まる。そのまま三秒。了介は体を離した。優しくて物足りない。それにも関わらず、逞しい腕の中のあたたかさとキスしたときの少しかさついた唇は、村岡の心を淡いピンクに染めあげていた。
了介は柔らかに微笑んだ。
「キス、しました。これで気にしないでくれますか?」
口をぱくぱくさせる村岡の赤い顔を、了介は黙って見ていた。百戦錬磨のウリ専で、性的なことには慣れっこになっていると思い込んでいたが、そうではないらしい。やっぱり先入観を持ってはいけないな、と思う。
ここまで素直に内面を表す顔は、了介にとっては懐かしいものだった。束の間、亡くなった恋人のことを思った。
腕時計を見る。
「まだあと十五分はある。あとの十五分は休んでください。おれに気にせず」
「でも……やっぱり……」
「真面目なんですね。ほんとに気にしないで。あなたとなにもしなかったこと、お店の人には言いませんから。あなたも言わないでくれますか?」
村岡はこくっとうなずいた。
了介は床に置いた黒いトートバッグの中に手を突っ込んだ。しばらくごそごそと探ったあと、缶コーヒーを二本取りだした。
「コーヒー飲みませんか? ブラック? カフェオレ? 差し入れは禁止されてますか?」
「あ……差し入れ、大丈夫です。じゃ、じゃあ、ブラックを」
「安心してください」と了介が言う。
「それ、おかしなものは入ってないから。エッチな漫画とか、不届き者はそういうのに入れてたりしますよね。媚薬とか、睡眠薬とか」
「……了介さんを、信用します」
缶を持ったままつぶやくと、了介は笑った。うれしそうに。
「ありがとう」
そう言ってカフェオレを飲む。村岡も一口飲んだ。
「セイ君。きみに信頼してもらえるように、名字を教えるよ」
「名字……」
そういえば、了介は下の名前だ。
「いいですよ。おれも本名教えてないから」
「あなたは本当にしっかりしている」
了介の眼差しは優しかった。
「あなたの本名を聞くつもりはない。でも、おれの名字を教えます。迷惑ですか?」
「いいえ」
わずかに身を乗りだすと、了介はバッグの中からノートとペンを取りだした。書き終えると、ノートを破って渡した。
「天馬(てんま)、了介……さん」
「それ、おれの名前です。おれの名前は、お店の人には言わないで」
ここまでいろいろ隠し事をしていて特殊なお願いをしてくる客なので、不思議だった。しかし、悪い人だというかんじもどうしてもしない。
おれは単純なのかな。優しそうな顔にたぶらかされてるのかな。そうも思う。
もしかしたら、ライバル店の調査が入っているのかもしれない、とふと思った。もしくは、マルサ……とか? 客のふりをして調査に入る、という話を聞いたことがある。うちの店、脱税してたんだろうか?
不穏な想像がぐるぐると頭の中を回る。だがひとまず、名前が書かれた紙を四つに折って、パーカーのポケットに入れた。
「わかりました。言いません。誰にも」
ありがとう、と天馬は微笑んだ。その日差しのような笑顔に、村岡は涙がこぼれそうになった。裂けた心の傷が日差しであたためられ、ふやけていく。
この人にこれから先、一週間会える。それがうれしかった。
しばらく、黙ってコーヒーを飲んだ。
飲みながら、お互いに好きな本や音楽の話をした。特に、本の話で盛り上がる。二人ともミステリーが好きで、最近出た国内外のミステリーだけでなく黄金期と言われた時代のものにまで話題は及んだ。さらに、天馬が愛読しているロマンチックなファンタジーを村岡が知っていて、ひとしきり盛り上がった。この人意外とロマンチックな人なんだ、と村岡はうれしくなる。互いに知らない本も教えあった。
詳しいんですね、と感心する天馬に照れくさくなった。本好きが高じて、大学時代に図書館司書の資格をとった村岡である。現在は、その資格を活かせてはいないが。
話を聞くのが上手い天馬につられて、ついしゃべりすぎていた。人とまともな会話をしたのは久しぶりだと思った。喉の痛みや声のかすれもましになっている。
これまで付き合ってきた男たちの話も、気がつけばしていた。誰ともあまりうまくいかなかったと村岡が言ったら、「相性があるから」と天馬が言った。
その一言に、なんだか心が軽くなる。ずっと自分が悪いと思ってきたのだ。
コーヒーを飲み干すと、天馬は腰を上げた。
「ありがとう。話せて楽しかったです。迎えはくるのかな?」
村岡がうなずくと、「気をつけて帰ってくださいね」と言った。
天馬が出ていき、扉が閉まる。村岡はナイトテーブルの時計を見た。ちょうど一時間経っている。
使われなかったコンドームを見て、体がふわふわと浮いているような、そんな気分になった。
そのあと迎えがきた。運転手はまた畑中だ。
「どうだった?」
質問され、「いつも通りです」と答える。
今でもまだ夢を見ているようだ。
このときになってやっと、天馬が十九歳も年上だと思い至った。
息子みたいに思ってくれたのかな。
暗い夜道を眺めながら思った。
ぼろアパートに帰宅してシャワーをしたあと、村岡は頭を拭きながらスマートフォンをいじった。ふと思い立って、「天馬了介」を検索してみる。
ヒットがあった。検索エンジンが弾き出した項目を読んで、愕然とする。
天馬了介は私立探偵だったのだ。
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