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君に力はない 1
何事にも事前準備が重要である。
特に、俺のような石橋を叩いて叩いて叩きすぎるタイプの人間には。
ませガキ中学生から逃げた際、たった数分程度の全力疾走で脇腹を痛めるほどの基礎体力の低下と日頃の運動不足を自覚した俺は、その日以来、テスト勉強と七夕祭りの事前準備とは別に、秘密の特訓を開始した。
といっても召集日は今週土曜。
たかだか一週間でやれることなどたかが知れている。でも、やらないよりはマシだ。
まずは学園内に併設されたジムで軽い走り込みを続けた。
もともと足は速い方だ。体力も落ちているとはいえ並みよりはある。素早い動きと反射が俺の武器。
肝心の喧嘩の腕に関してはまあ、久方ぶりとあって心許ないが、柔軟や腹筋程度なら毎日最低限しているし、身体の動かし方についてはさほど鈍っていないと思いたい。
あとは夜の環境でもすぐ対応できるよう、電気を落とした寝室で就寝前にひたすらイメトレ。そして十分な睡眠。
振り返れば一体何の修行かと問いたくなるような涙ぐましい努力にも思えるだろうが、俺は至って大真面目である。ただし、ほかの生徒会役員にバレようものなら登校拒否になる自信はある。
「……あ、いたいた」
そして早くも金曜日を迎え、現在地は屋上。以前貰ったスペアキーで施錠し、探し人に近付く。
日陰で涼むのは真っ黒の髪に真っ黒な眼を持つ元ルームメイト。紘野くん。
その端正な顔は今、屋上庭園内の人目につかない場所で壁に寄りかかり、目を閉じて、俺が入ってきても微動だにしない。
「紘野」
「……」
「ひーろーの。起きてんだろ」
「……何」
壁に手をつき、上からのぞき込むように見下ろす。目を開けることなく、言語さえ必要最低限しか発しないスタンスが相変わらずのドライ対応。
もう夏だからな。暑いの嫌いだもんなお前。寒いのも嫌いだもんなお前。よく今まで生きてこれましたね。
しかしそんなことはさて置いて、俺の用件だ。
「つかぬことをお聞きしますが、紘野くん」
「あ?」
「お借りしたいものがあるのですが」
「金か」
「違えわ」
「リボンタイか」
「あれ元々俺の。盗んだのお前。覚えてんなら早く返せ」
「じゃあ何だ」
「無視かよ………お前、あの黒いパーカーまだ持ってる? フードついてるやつ」
紘野の部屋のクローゼットを頭に思い浮かべながら尋ねる。
こいつはファッションに頓着も興味もないけど、持ってる服は趣味と質がいい。本人は感覚で選んでるらしいが、それも生まれもったセンスなんだろう。
まあ、ツラがいいから何着てもだいたい似合うけども。
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