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「……いえ。問題、ありません」  クラン先輩の手を取らずに自力で立ち上がる。  親切心から来る純粋な厚意だとはわかっている。今はオカルト研究部の部長も後ろにいて、一対一でもなければ完全なる密室でもない。  そうとわかっていても、どうしてもその手を取れなかった。  クラン先輩の反応はといえば、俺の失礼とも取れる態度を受けても特に気を悪くした様子はない。  むしろ心底心配そうな表情で顔を覗き込まれ、足が半歩後ろに後退する。  碧水晶の美しいひとみが、まっすぐ俺を見つめていた。 「ならいいけど……すごく、顔色が悪いよ、君。本当に、平気?」  平気なわけがない。  ないけれど、平気じゃないことを認めることの方が、今の俺には余程しんどい。  これにしっかりと目を合わせて頷いた。それ以上を追求される前に「部屋を片付けたらすぐに帰る」との旨を伝える。  兎に角今は、一人になりたかった。 「……なるべく早く帰るんだよ? ここ、けっこう危ないから」 「はい。ありがとう、ございます」  ここで食い下がるタイプの相手じゃなくて良かったと胸を撫で下ろしながらも、立ち去る背中へ深く頭を下げ、完全に足音が聞こえなくなってからゆっくりと身体を起こした。  誰もいなくなった準備室。  その隅、戸棚の傍まで蹴飛ばした小箱の元へのろのろと近付く。  しゃがみこみ、散乱した小袋のひとつに手を伸ばしたものの、ぽろり、指の隙間からこぼれ落ちてしまった。何度やっても同じ。上手く力が入らず、掴み損ねる。 「くそ……」  手の震えが、止まらない。  指の節が白くなるほどぐっと強く握り拳を作って、指先の痙攣を必死に押し留める。  動揺、混乱、慚愧、恐怖心。色々な感情が綯い交ぜになって、頭の中がぐちゃぐちゃだ。  やめろと言いたくても声が出なかった。  力では歯が立たなかった。  自分の意志で自分の身体を自由に動かせないことが悔しくて、この上ないほど恐ろしかった。  二葉先輩から受けた指摘のひとつひとつが自分の考えの甘さを浮き彫りにするようで、恥ずかしかった。情けなかった。  くしゃ、と前髪を掴んで顔を伏せる。  硬く眼を閉じた暗闇の中、悪い方向にばかり気持ちが引き摺られていく。  同性に迫られて怯える、この反応は、俺にとっての『正常』だ。  そうでなくてはならないと言ってもいい。  身体が拒否反応を示している。  手の震えはまぎれもない恐怖。浮かぶ鳥肌はまぎれもない拒絶。  怖かった。そして嫌悪した。  同性愛などこの学園に来て見慣れたものだったのに、今さら。  "偏見"なんて───当の昔に克服できたと、思っていたのに。 「最悪……」    瞬間、あの背広が脳裏に甦る。  朝霧とかじかむ指。  佇む己の白い足先。  振り返らないあの背中。  幼き日の苦き悔恨。  嬲られた耳を擦る。濡れた感覚が未だ残っているようで、ぶるりと芯から震えた。  学園に居てもどこか他人事だった同性愛のリアルを生々しく刻み込まれたかのような、そんな不快感。  諸悪の原因が消えていった正方形の畳を見て、苦々しく舌を打つ。 「何考えてんだ、あの人……」  おかげで、嫌な残像(モノ)を思い出してしまった。  

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