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第28話
とろん、とした眼差しで、希望はライの広い背中を見つめていた。
たっぷりと可愛がられて愛された身体はまだ火照っている。この気怠さは嫌いじゃない。
ベッドと布団の暖かさと愛しい人の体温と気配を感じて、このままゆっくり沈んでいきそうだ。
それでもライを見ていたくて、希望はじっとライを見つめていた。
ただただ優しくて甘やかしてくれるライさんは怖かった。
俺が怒らせたことは間違いないのに、ライさんは優しく丁寧に勉強を教えてくれた。
それが不思議で、何を企んでいるんだろう? とずっと考えてた。
こうやってどろどろに甘やかして、普通の社会に戻れなくしようとしているのかも。
俺のこと飼うとか、首輪とか、郊外の一軒家とか言ってるから、閉じ込めようとしてるし。
どうして優しくしてくれるの? いつものライさんじゃないみたい。
怖くて、ずっと怯えながら、必死に勉強した。
でも、違ったのかな。
ライさんは、頑張ってる俺を応援してくれてただけなのかもしれない。
……いや、うん、それは絶対ない。
でも、あの時俺が、ライさんのいつもと違う服装にめろめろになっちゃったり、眼鏡かけさせて写真撮ってはしゃいじゃったりしてたのが悪かったんだと思う。
受験勉強への真剣さ、集中力を少し欠いていたような気がする。気が緩んでいた、というか。
もともと『年上の恋人に勉強教えてもらうのって、なんかイイなぁ♡』なんて、下心みえみえだったのも良くなかった。今思えばすごくふざけてる。とても良くないことだ。
この件に関しては猛烈に反省しています。
だから、そんな俺に気合いを入れる為に、ライさんは『進学か飼われるか、選べ』って言ったのかもしれない。
首輪も、檻も鎖も、郊外の庭付き一軒家も、怖かったことは全部、ライさんなりの喝ってやつだったのかも。
そうだよ、常識的に考えれば、人間を飼うなんてそんなこと、できるはずが……。
……ない、とは言い切れないんだよなぁ……。だって、ライさんだもん。
でも、本当は俺、ちょっとだけ。ほんのちょ――――っとだけだけど。
ライさんになら、飼われてもいいかな、って思ってるよ。
こういう時のライさんはとても甘くて優しかった。
どろどろに甘やかしてくれて、めろめろに優しくして、俺をどうしようもなくダメにしてしまうことに、本気のライさんだ。
確かに、凄まじい破壊力だった。
危なく蕩けてしまいそうだったけど、何とか尊厳を守り抜いた。
けれど、本当は。
ずっといっしょにいられるなら。
ライさんがこんなに甘く優しくしてくれるなら。
身を委ねてしまってもいいかもしれない。
俺は歌えるならどこでも大丈夫。どこでも歌える。
ライさんが連れて行ってくれるならどこへでも、連れて行ってほしい。
だから、一生大事にして、可愛がってくれるなら、ずっとそばにいてくれるなら、ペットでもいいかなぁ。
……なーんて、ちょっとだけ、思うけど。
やっぱり、それはダメだ。
ライさん、すぐ飽きそうだから。
俺が一人で生きていかれなくなるくらいにめろめろどろどろになって、元に戻れなくなったところで捨てられてしまう気がする。ライさんは意地悪だから。
それはいやだなぁ。
悲しいし、寂しい。
優しく甘やかすのは時々でいいから、できるだけ長く、ライさんと一緒にいたい。
その為にも、俺はちゃんと自立して生きていかないといけないんだ。
進学とか、就職とか、進む道は何でもいい。
ただ、自分で決めた道を、しっかりと歩めるようにしてないとだめだ。
いつかライさんがいなくなってしまっても、ちゃんと生きていけるように。
自分で考えて、道を決めて、自分の意志で、歩んでいけるように。
進学じゃなくて、仕事一本にしてもよかったけど、海外の音楽史の勉強もしたかったし、留学もしてみたいから、大学への進学を選んだ。
歌手の仕事は続けていくつもり。俺はどこででも、一人でも歌えるけど、今は誰かが俺の歌を必要としてくれるから、みんなに歌が届きやすいように、芸能界で歌ってようと決めている。
俺はこの先も、会いたい人も好きな人もやりたいことも見てみたいものもいっぱいあるんだ。
だから、ライさんのペットになるのは、遠慮しておきたいよね。
飼うっていっても、ライさんのことだから、俺の好きなところに連れて行ってくれるだろうし、好きなことをさせてくれると思う。
甘く見てるわけじゃないよ。でも、ライさんはきっと、そう。
俺が明るくて暖かい場所で好きなように生きていても、どこかで見ていてくれる。暗くて冷たいどこかで、じっとこっちを見つめていてくれる。
だけど、ライさんは頭がおかしいからね。
例えば『お散歩』で首輪とリードとかつけてきそう。そんなのは嫌だ。
ライさんはそういうの、恥ずかしがらないで、平気な顔してやる男なんだ。頭おかしいから。
俺は、そういうのちょっと恥ずかしい。
そんなの、みんなに見られたくない。
そういう姿は、ライさんの前だけにしておきたいの。
だって、そんな恥ずかしい俺は、ライさんだけの俺だもん。
今日だって、そうだ。
ほんの数時間前、久しぶりにライさんに触られて、気持ちよくって、とてもじゃないけど、ライさん以外には見せられないような姿を晒してしまった。
いや、今思い出したらライさんの前でも十分恥ずかしい。
いっぱいしてぇ、なんて強請って縋って、甘えた声で媚びて締め付けて。
ライさんにえっちなことしてもらえない間一人でいっぱいしちゃったのも、全部白状してしまった。欲しくて欲しくてしかたなかった、とバラしてしまった。
なんて破廉恥なんだ。はずかしい。
ううっ。ああっ。
「さっきからなに考え込んでんの?」
「ぎゃあ!」
希望が顔を上げると、ライが希望を覗き込んでいた。
仰向けで寝転んでいる希望の隣で、肘をついて訝しげに眺めている。
希望は目をぱちくりさせた。
「お、起きてたの!?」
「こっちの台詞だよ。魘されてんのかと思った」
「え?」
もしかして、心配して……?
「面白いから見てた」
「だと思ったんだよね! くそがっ!」
「くそがって言うんじゃねぇよ」
希望は一瞬でも高鳴ってしまった胸を殴り、ときめきを叩き潰した。
意地悪なライと、迂闊な恋心に、希望は頬を膨らませて、怒りを主張している。
ライは膨らんだ希望の頬を、むにむにと潰して遊んだ。
「どんなこと考えて悶えてたの?」
「もっ、悶えてない……。なんでもない……」
ぷしゅう、と空気と怒りを抜いて、希望はライから目を逸らした。
布団と少し被って、ライの視線から逃れようともぞもぞ動いている。
「ふーん……」
ライがそれだけ呟くと、ベッドサイドでごそごそと動く気配を感じた。布団の中に隠れてしまった希望には、何をしているのかわからない。
こそり、と顔を覗かせた希望を見つけて、ライがニッ、と笑う。
「ほらこれ、お前が好きなヤツ」
ライは眼鏡をかけて希望に見せた。
ひゃぁ――――ん♡♡♡
希望は思わず出てきてしまった。
服装も髪型も整えられていた前回とは違って、今のライは前髪が下りて、上半身も露わになっている。
えっちだぁっ! と希望は瞳を輝かせて、うっとりと頬を染めてライを見つめた。
露骨な希望の反応に、ライは鼻で笑っている。
「何に興奮してんだよ、ヘンターイ」
ライはけらけら、と楽しそうに、希望をからかうように笑っている。
希望は、心外だ、と言わんばかりにむぅっと唇を尖らせた。
「変態じゃないもん……。好きな人がいつもと雰囲気が違うカッコしてたらときめいちゃうもん……。恋してるんだもん……」
「理解しがてねぇな」
ライが鼻で笑うので、希望は自分の恋心が踏み躙られたような気がして、キッと強く睨んだ。
「そんなはずない! ライさんだって、俺がメガネかけて髪おろしてたの可愛いって思ったでしょ! ……思わないか、ごめんなさい」
「ああ、可愛いと思った」
「え?」
自分で自分を『可愛い』と言ってしまったことと、ライがそんなものに興味を持つはずがないことに気付いて落ち込んだが、ライの言葉で浮上する。
「『大人しくて清楚な格好して反省してます、健気で可愛いでしょ』ってアピールが鬱陶しくて、すげぇ浅はかで愚かで可愛いなって」
「チッ!!」
「舌打ちすんじゃねぇよ」
希望はふんっ、とそっぽを向いて、また舌打ちをした。ライさんはこれだからダメなんだ、まったく信じられない、可愛いなら可愛いだけでいいじゃん、バカ、スケベ、とぶつぶつと文句を言っている。
やさぐれた様子の希望を眺めて、ライは「褒めたのに」と思った。
それでも希望はちらっ、とライを見て、きゅんと胸をときめかせて頬を染める。
ライは「怒ったり文句言ったりしてたのに、なんなんだよこいつ」と思ったが、そういえば眼鏡をかけたままだったことに気付いて、また笑った。
「そんなにこれが好きなら、このまましてやろうか?」
「……!! ……ちっ、ちがう! そういうのじゃない!」
ライが希望の肩を抑えて、覆い被さろうとするが、希望は慌てて押し返した。
「なんで? 好きなんだろ、これ」
「好きだけどそうじゃないもん! これはもっと純粋な恋心のときめきで」
「でも一瞬悩んでなかった?」
「……しっしない!!」
「あっそ」
ライはあっさりと希望の上から退いた。希望の隣で横になると、興味を失ったように無造作に眼鏡を放ってしまう。
ライは遊ぶものが無くなって、つまらなそうだ。
希望はふと思い出したように起き上がって、ライを見下ろした。
「あの、ライさん……」
「あ?」
「勉強、教えてくれてありがとう」
ライは希望を見たが、急になんだ、と言わんばかりに眉を寄せている。
「ライさん教えるの上手だったし、模擬試験も課題も作ってくれたし、厳しいけど丁寧に教えてくれたから、なんとか合格できた。俺、文句いっぱい言っちゃったけど、本当に感謝してるんだよ?」
改めて感謝を言葉で伝えると少し照れ臭かった。はにかんだように微笑む希望を、ライはじっと見つめている。
「それに、途中でライさんが俺のこと飼うとかなんとか、脅して気合い入れてくれたから最後まで頑張れたところもあるし……。ちょっと怖かったけど、でも」
「脅し? なにが?」
「え?」
ライが不思議そうに首を傾げている。それを見て、希望もきょとん、として首を傾げた。
「……進学か、飼われるか選べっていう、あれは……」
希望がぽそり、と呟いたが、それ以上は出てこなかった。
ライはじぃ、と希望を見つめている。表情らしい表情はなく、瞳も暗く、少し覗き込もうにも真っ暗で、それ以上深くは入り込ませない。
希望は思わず、余計なことを言わないようにとぎゅっと口を結んだ。じわり、と冷や汗が滲む。
しばらくの沈黙の後、ライはやっと笑った。
「……そんなわけないだろ?」
ライの言葉に希望はぱっと重圧から解放された。
ほっと胸を撫で下ろし、表情を明るくして、口を開いてしまう。
「うん! そうだよね! ライさんったら首輪どれがいい? とか訊いてくるし、檻とか鎖のカタログ持ってたから俺びっくりしちゃったよ! 郊外に家建てるとか言い出すし、俺ほんとに……」
希望は安堵のあまり、ぺらぺらと言葉を紡いでいたが、ふとやめる。
ライはじっと希望を見つめていた。深淵のような瞳を細めて、微笑んでいる。
「脅すわけないだろ、俺が。可愛いお前を」
そう言って、ライは笑っている。
希望は息を飲んだ。
「……うん」
少し遅れて、希望はゆっくりと頷く。
ああ……。
やっぱりあれ、脅しじゃなかったんだぁ……。そっかぁ……。
……あぶなかった……。
希望の心臓がドッドッドッ、と大きく胸を叩いている。
希望の身体が強張り、動けずにいると、ライが優しく背中を撫でた。
「もう寝たら?」
ライは先ほどとは違い、柔らかい笑みを浮かべている。大きな手で促されるように、優しく撫でられて、希望は横になった。
撫でる手が大きくて暖かくて、ほっとしてしまう。
誤魔化されているような気がして、希望はじっとライを見つめた。
ライが気付いて、首を傾げる。
「ライさん、何で勉強教えてくれたの……?」
「ん?」
「……俺のこと飼うって、脅しじゃなかったんでしょ……? なんでちゃんと勉強教えてくれたの? 意地悪もされたけど……でも、合格しちゃったし、留学もするから……」
「そんなこと気にしてたの?」
ライは、はっ、とこぼすように笑った。希望の頬を指先ですりすり、と撫でる。
「そんなのいいから、さっさと寝ろよ。疲れてんだろ?」
優しく触れる指先と、甘く響く低い声が心地よくて、希望はふわふわと微睡む。
「ごちゃごちゃと考えすぎなんだよ、お前は。俺といる時は何も気にしなくていいよ」
「んぅ……でも……」
「お前が合格しようが、どこへ行こうが、俺には関係ないから」
……んん??
前にも聞いた気がする台詞に、希望は心臓がきゅっと掴まれる。
思わず重くなっていた瞼をこじ開けて、ライを見つめた。
「あ、あの……?」
「ああ、そういえば、花と植物のカタログ見た?」
「……え?」
「お前が気に入りそうなの取り寄せといたんだ。どうだった?」
ライもまた、希望を見つめる。希望と、ライの視線が交錯する。
カタログは確かにあった。希望もそれを見たのは間違いないけれど、ライには黙っていたはずだ。
希望は身動ぎひとつできずに、ライをじっと見つめていた。
「ずっと部屋の中だけじゃ、お前も退屈だろ? やっぱり庭はあった方がいいよな?」
ライは希望を見つめて、愛おしそうに微笑む。
覗き込むまい、としていた深淵の奥では、去って行ったはずの怪物がまだこちらを覗いていた。
……あれぇ?
もしかして、俺の戦いはまだはじまったばかりなのかな?
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