4 / 30

第4話

 体を洗ってさっぱりしたら、モヤモヤした気持ちも少し晴れた。服を着るか、と見るといつの間にか回収されていて、代わりにユウがここに寝泊りする時に着させてもらっているゆったりした服と、タオルが用意されていた。ものぐさでボケっとしているのに、ユウに対しては世話焼きなのだ。苦笑しながら体を拭いて服を着る。上から被って腰巻をするだけの、暗い橙色の衣類はこの辺りでは珍しいものだ。忘れないようにペンダントも身に着けた。  リビングに戻ると、シャンティはボンヤリと釜を眺めているだけで何もしていなかった。とはいえ、サボっているわけではない。先ほどまで床で調合していた薬は沢山の瓶や袋に入れられ、机の上に並べられているから、ひと段落したのだろう。薬瓶は深い紺色をしていて、中に入った液体や粉が不思議ときらきら光っている。まるで夜空を閉じ込めたようだ、とユウは感じた。 「シャンティ、出たよ」  声をかけると、彼はのろりとユウを見て、柔らかく微笑んだ。 「服は洗濯をしておきました」 「ありがと。飯は有りそう?」 「ああ……食事、ですか。……困りました、貴方に半年前のパンを食べさせるわけにはいきませんね」  シャンティはそう言って食器棚に目をやる。埃をかぶったそこにどれほど前から手をつけていないのやら。その棚の中にユウのための食材も保管されているのは知っていたが、とてもじゃないが食欲はわかなかった。 「いいよ、持って来てるから」  そう言って寝室に戻る。どうせシャンティの家に来てもまともな食事は摂れない。彼らときたら、たまに精力が補えればそれでいいと思っているからろくな物を食べないし、故に人間にとって大切な食事の文化に興味が無い。鞄からパンや干し肉、飲み水を取り出して戻る。そういえば、リビングの匂いはすっかり落ち着いていた。  硬い丸パンを少しちぎって、「ん」とシャンティに差し出す。シャンティはしばらくぼんやりとそれを見返してから、「私には不要です」と呟いた。 「貴方がお食べになってください」 「何度も言ってるだろ? 一人で飯食うの、やなんだよ」 「何度も言っているはずですよ。私はあまり食事は好きでは……」 「俺と食べるのは好きだって言ってたじゃん」 「……」  はぁ、と一つ溜息を吐いて、シャンティはパンの欠片を受け取ると、それを口に含んだ。シャンティはそれをユウの三倍は時間をかけて食べていた。  日が暮れるといよいよ森も小屋の中も暗黒に満たされる。慣れてもユウはこの森の夜が恐ろしい。シャンティの守りの魔法のおかげで野生動物も近寄っては来ないらしいが、それでもだ。人間は無力で、だからこそこの闇が、森が、得体の知れないエルフが怖いのだろう。  釜の液体はできあがって、明日の朝、瓶に移すと言って今日の仕事は終わったようだ。寝室に二人で入っても、シャンティはまだ机に向かってごそごそと帳簿を見ていた。明日の朝に取る薬草もあるようだ。そんな姿を、ユウはベッドに腰掛けて見ている。  一通り確認が終わった後で、シャンティは机の上にあった瓶に手を伸ばす。僅かな液体の入ったソレを、おもむろに飲み干して、それから彼はユウの隣へとやって来た。  ユウはその液体が何か知っている。いや、正確には知らない。ただ、それがシャンティにとって何なのかは理解しているつもりだ。軽く言えばアルコール。主観的に言えば精神安定剤。悪く言えば麻薬だ。  シャンティはゆっくりとした動作でユウのそばに腰掛けて、同じほどのろのろと、ユウの頬に触れた。長くて細い指はしなやかで、優しくユウを撫でる。まるで赤子にでも触れるかのように、慎重に、愛しげに。  間近に迫った顔は本当に美しい。褐色の肌はランプの明かりで照らされて妙に淫靡に見える。長い睫毛も、気怠げな雰囲気も、全てがユウの胸を高鳴らせた。 「……旅は、どうでしたか?」  にも関わらず、シャンティの口から漏れたのは、この半年を振り返らせるものだった。ユウは大人しくシャンティの触りたいように触らせてやりながら、「そうだなあ」と答えた。 「……やっぱり、何も残ってなかったよ」  ユウはこの半年の事を思い返した。  ユウが旅に出る事を決めたのは、自分が20歳という節目を迎えたからだった。孤児となってから流浪を続けて来たが、幼い頃に滅んだ生家を探すことにしたのだ。  ユウの生家は、ここから遠く離れた小さな村に有った。微かな記憶しか残っていないそこを探せたのは、シャンティの協力が有ったからだ。  何故なら、数奇なことにユウとシャンティは同郷だった。この森にやってくる百年程前まで、シャンティはユウの生まれた村に長く住んでいたのだ。そしてユウの祖先とシャンティは深い付き合いだったので、村を出る時に形見の品を残して行った。それが、ユウが父親から譲り受けた唯一の物である、真鍮のペンダントだ。  何か困ったことが有ったら、このペンダントが守り導いてくれる。父がそう言っていたのを微かに覚えている。そしてこのペンダントは、シャンティの元へとユウを導いてくれた。もっとも、シャンティとの距離は遠すぎて、出会うまでには10年以上の年月を要してしまったのだが。  ユウがその村に戻る事にしたのは、自分の出生を振り返ってけじめをつけたかったのもあるし、もしかしたらシャンティの思い出の品などが残っているかもしれない、と考えたからだった。  結論から言ってしまえば、十数年前に焼かれた村には僅かな瓦礫しか残っておらず、生家はおろか一族の墓さえ何処にあるのかわからなかった。当然、シャンティの土産になるようなものも無く、散り散りになった親族の行方もわからない。  結果的に、もはやユウだけが形見であることが確認されたのだった。 「……そう、ですか……」  シャンティはユウを愛しげに撫でながら、僅かに目を伏せる。そうした仕草をする時、シャンティが何を考えているか、ユウは知っているから少し胸が痛む。  シャンティはかつて、ユウの先祖を愛した。その愛情がどれほど深いものだったか、ユウには感じとれる。例えばこうして愛しげに撫でられている時、ユウは自分のはるか向こうにいる、シャンティが愛した人の存在を感じるのだ。  シャンティは自分を好いている。それは明らかだ。しかし、その理由の一つに、過去の誰かの血を継いでいるから、という事実が存在している。それをひしひしと感じる。だから、ユウは時折モヤモヤとした気持ちになるのだ。  シャンティが薬に溺れてまで何を考えないようにしているのか、それを知りたいような、知りたくないような。今は、今ぐらいは自分を見て欲しい、という気持ちが湧いて、シャンティの手を握り返す。彼の紫の瞳と視線が合った。それは薬のせいか、僅かに潤んで揺れている。その瞳の深い色に引き寄せられるように、ユウは彼に口付け、その細い腰を抱いて、ゆっくりと寝台に横たえた。

ともだちにシェアしよう!