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第3話

 シャンティの小屋のすぐ裏には小川が流れている。人里離れた森の奥だから清らかだ。それを木のバケツで掬って、小屋の中へと運び入れる。いかにも怪しげな魔法使いが煮込んでいそうな大きな釜に水をある程度流し込んだところで、釜戸に薪を押し込み、シャンティが用意してくれた何やら赤い液体の入った小瓶を開けて、中身を薪に振りかける。それから火打ち石で種火を起こすと、あっという間に火は薪に燃え移ってしまう。  その爆発的な燃え方が、いつもおっかない。あのボケっとしたシャンティがこんなことをしていたら、そのうち薪と一緒に炭になってしまうのではないかと心配になるから、ユウがこの家を訪れた時ぐらいはいつもしてやっていた。  それからも何度か小川を往復して、釜を半分ほど水で満たしたところで、今度は湯浴みの小部屋に入る。古びた大きな桶が置かれているだけのその小部屋は、シャンティに言わせれば風呂場だ。なんでもエルフは人間と違って、代謝がとてつもなく悪い。人間の何倍も生きる彼らは、人間の何倍も鈍感であり、清潔だ。食事も殆ど摂らないし、風呂にも滅多に入らないがいつでもシャンティは綺麗でいい匂いがする。若い故に毎日湯浴みをしないといけないユウは時々それを羨ましく思った。  木桶に水を流し込んで、風呂場の隅に置いてある箱から、紐が繋がった宝石を取り出し、桶に放り込む。こうすると木桶の水がちょうどいい温度の湯になる。理屈は知らない。ユウは魔法学にも薬草学にも興味が無かった。しかし便利なものは使うだけだ。  まだシャンティは戻っていなかったので、馬小屋に馬の様子を見に行く。小屋の周りではせっせと木の枝が小人のような姿になって、馬の餌になりそうな草をかき集めていた。彼らはシャンティの使い魔のようなもので、ドライアドという。木の精霊の名を冠しているが、それが本当は何なのか、ユウはよく知らない。もし木の精霊なら、そんなものをこき使ってシャンティにバチが当たらないか心配なぐらいだ。  馬はドライアドを恐れはしないようで、連れて来た時とは違って穏やかに過ごしていた。括り付けていた革の鞄を外してやりながら、「一晩ここで我慢してくれな」とよく撫でてやって、小屋に戻る。  鞄を持ってシャンティの寝室へと戻る。薄暗い部屋の壁につけられたランプを適当にいじり回していると、そのうち明かりが灯る。とにかく、ユウはこの家の仕組みについて全くわからないが、触っていればそのうち思い通りになるのは理解していた。  鞄を床に置いて、寝室を振り返る。いつもどおりの散らかり具合だ。エルフは神聖で美しく穏やかで変わっている、というのが一般的なイメージだが、シャンティはユウに言わせれば、ボケボケのものぐさで適当だし気怠げだ。暗い色の家具が多いその部屋は、お世辞にも神秘だけを感じさせるものではない。  寝台は暗い色のシーツとかけるばかりの布しかなくそれも綺麗に畳むでなく、抜け出したままの姿を保っている。本棚には本がしまってあるが、読んだ形跡もなく埃が積もっていた。床には薬の瓶や調合道具が転がっているし、大きな机の上はその惨状を更に広げたものになっていて、椅子の前だけがきれいに何も無い。突っ伏して眠る時に、机の上の物を強引に寄せたか、落としたかしたのだろう。  ユウは溜息を吐いて、床の物をとりあえず机の上に戻しておいた。以前ユウが怒って作った棚は、有るばかりで整頓には利用されていないようだ。いや、こうしてユウが来る度に戻すから、使ってはいるのだが。肝心のシャンティがこれなのだから、仕方ない。  しばらく整頓をしてすごし、疲れたのでリビングに戻ると、いつの間にか戻って来ていたシャンティがテーブルの上いっぱいに薬草を広げていた。それを選別しながら、釜の中にポイポイと放り込んでいる。リビングには薬草の煮込まれた何とも言えない匂いと蒸気が充満していた。 「シャンティ、なんか手伝うことある?」  声をかけると、シャンティは選別の手を止めないまま「そうですねえ」と首を傾げた。 「大抵のことはドライアドに頼めますし……。湯船は用意されましたか?」 「うん、しといた」 「では、薪を割って頂けますか。怪我をしないよう、くれぐれも気を付けて下さい。人間は斧で簡単に斬れてしまいますから、昔、とある男が……」 「それはもう聞いたって。どれぐらいかかりそう?」  またシャンティの心配性からくる、「昔斧で死んだ男の話」が始まりそうになって、ユウは言葉を遮った。シャンティは別段気にした様子もなく「そうですねえ」と話を切り替えてくれた。 「貴方が手伝ってくれたおかげで、明日の昼には間に合うでしょう」  シャンティは柔らかに微笑んだ。先ほどと違い灯りのある部屋では、シャンティの髪は漆黒ではなく、少しだけ明るいのが分かる。深いダークブラウンの長い髪に、枯れ草がついているからそれを苦笑しながら取ってやって、ユウは小屋を出た。  ドライアドや魔法にできないことはあまり無い。けれど火を熾すのや、水を扱うのはドライアドが嫌がる。植物の本能なのかもしれない。だからシャンティがやらなければいけない。薪割りをシャンティはあまりしたがらない。彼は重労働を嫌ったし、魔法でやろうともあまりしなかった。本人曰く、「老人には荷が重い」らしい。エルフが老人だなんて、ユウは聞いたことがなかった。  薪割り場の側には斧が置かれている。近くには倒木の切れ端などが転がされていて、コレを割れということなのだろう。斧を手に取って薪を割る準備にかかっていると、近くにいたドライアドが恐る恐るといった動きでこちらを見ている。別にお前らを砕きゃしねえよ、と苦笑して、ユウは薪割りを始めた。  無心で薪を斧で割りながら、ユウはシャンティのことを考える。  シャンティはこの森に一人で暮らすエルフだ。この地方は大陸全体から見れば辺境で、エルフの姿自体が珍しい。遥か東の国では、エルフは今や人間の敵だとか、奴隷になっているとも聞いた。しかし、この辺りではまだ、エルフは「森の知恵者」とか「精霊の使い」とか呼ばれている。  エルフの特徴はその人間より長い耳と、独特のフワリとした捉え所の無い雰囲気だ。いつも人間とは違う物を見て、違う音を聞いているような気がする。強い生命力で長生きをしているから、人間より知恵や知識が多い。魔法や医学の知識が豊富な代わりに、人間には少々馴染めない。人間は彼らの技術や知恵が欲しいから、彼らに対価を払う。金銭や、人間の作る布や物資を。エルフ達はそれを表情も変えず受け取って、人間の求める知恵や薬を与える。  思えば、彼らにとって人間などが作るものにどれほどの価値が有るのかはわからない。だがエルフは大抵の場合人間に寛容で、穏やかに接する。  シャンティもその一人だ。彼はユウに対して、深い愛情を注いでいた。それには特別な理由も有る。ユウだけがこの家に辿り着ける理由でもあった。  薪の山ができる頃には、汗だくのへとへとになっていた。はあはあと息をしながら、地面に座り込む。息を整えながらふと見上げると、小屋のそばに佇む大樹が目に入った。  その樹は不思議な、というより、少々不気味な形をしていた。まるで地面に膝を着いて、顔を手で覆い、泣いているような形をしているのだ。けれど、それを怖いとは不思議と感じない。物悲しい気持ちが沸き起こって、寄り添いたくなる衝動に駆られてしまうが。  少し休んで息も落ち着いた頃、物音に振り返ると、ドライアドがせっせと薪を薪置き場に運んでいたから、ユウは任せて風呂場へ向かうことにした。  リビングの匂いは草の匂いではなく薬品の匂いに変わっていた。窓が無いから篭って仕方ない。床でシャンティが粉にした薬草を調合しているのが目に入った。 「風呂、浴びる」  そう言うと、「どうぞ」とそれだけの返事。ユウはそのまま風呂場に向かって、さっさと服を脱ぐ。代わりの服やタオルを用意し忘れたのに気付いたが、まあシャンティの前ならどれだけ自堕落にしても怒られはしないだろう。  裸になりながら、胸に下がったペンダントに手をかける。真鍮でできたそのシンプルなペンダントには、何か読めない文字が刻まれているだけだ。だから金目の物にも見えず、今日まで無事手元に有る。これが、シャンティとの繋がりでもあった。これが有るから、シャンティの元に来れるし、彼に愛される。  ユウは少しだけモヤモヤした気持ちを振り払うようにペンダントを外すと、湯浴みをする事にした。  

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