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第7話 シャンティと香油

 ユウは革の鞄を背負って、街のパン屋を目指し軽い足取りで歩いていた。  シャンティから受け取った薬を無事酒場のマスターに届けて、沢山の謝礼を受け取ったから、ユウはしばらく食うに困らない。ところが、シャンティとの物流が回復したと知るや否や、注文が殺到したものだから、ユウは1週間と待たずにシャンティの所へ再び通うことになってしまった。  馬に荷物を預けるのは大層楽だったので、謝礼金の一部で馬を借りる事にした。そして、シャンティの家で食べる食事を用意してから旅立とうと、ユウはパン屋に向かっている。  どうせシャンティの家に行ったところで、食べ物など無いわけで。ひとまず一食分の食糧は確保してから家に向かわないといけない。袋に入った硬貨を鳴らしながら歩いていると、ふいに鮮やかな色が目に入って、ユウは通りの片隅に目をやった。  そう栄えてはいないこの街にも、時折遠方から行商がやってくる。物珍しさから買う者もいるから、大通りに商品を広げていたりするのだが。ユウが目をやった先にあったのは、シャンティの家にある、くすんだ橙色の布をベースにして、複雑な紋様を描いたものと同じような商品だった。懐を漁ると、シャンティにもらった袋が出てくる。やはり、よく似ている。ユウは思わずその店に近づいた。  店主は初老の男で、ユウと同じくとても白い肌で、瞳は赤い色をしていた。もしかして、と尋ねてみると、やはりユウの生家の辺りの出身だそうだ。滅んだ村の話はそれなりに知れているらしく、店主はユウの村のことを知っていた。  しかしやはり、ユウの他の生存者は散り散りになってもう何処にいるかもわからないらしい。何しろ十数年前のことだ。こうして巡り合えただけでも幸運だろう。店主にこの布は何かと尋ねると、その地方で特産だった織物のようだ。今はあまり人気が無いが、こうして辺境の地方を訪れると、その鮮やかな色彩や珍しさから手に取ってくれる人はいるそうで、彼はこの布を売りながら各地を渡り歩いているそうだ。  ユウはその商品の中から一枚、薄手のショールを手に取った。暗い色の橙色は茶色にも近く、シャンティの褐色の肌によく馴染むだろうと思った。彼が日頃羽織っているものによく似ていたが、少し色合いが違う。これをくれよ、と言って懐から硬貨を出そうと、シャンティがくれた袋ごと出すと、店主は驚いた顔をしていた。 「そいつはすごい。随分と年代物だねえ。もうその染料は使われてないんだよ。材料が手に入らなくなってね」 「そうなのか。道理でちょっと色合いが違うと思った」 「似たようなものが作れないか何十年も職人が試行錯誤してるが、再現はできなくてね。いいものだ、大事に使っておくれよ」  購入の意思を伝えたショールの値段を聞いて、随分高いと思ったが、半年も寂しい思いをしただろうシャンティへの贈り物だと思って支払った。彼は喜んでくれるだろうか。またあのぼんやりした顔で流されるだけだろうか。少し苦笑いしてショールを受け取ると、ユウは足早にパン屋へと向かった。  深い森は木々の枝に覆われていて、ちょっとした雨の影響ならば受けにくい。だが土砂降りともなると話は別だ。整備されていないぬかるんだ地面は歩きにくいし、葉が一度受けた雨粒は大きく容赦がない。一応革のコートを羽織ってはいるが、ここまで降るとあまり効果は無くて、ユウは馬を引っ張ってできる限り足早にシャンティの家へと向かった。  折角買ったショールやパンが濡れてはいけないと、大事に抱えているものだから歩きにくくて仕方ない。枯れ葉や草に足を取られて何度も転びかけながら、森の奥へと進む。ようやくシャンティの小屋が見える頃には既に濡れ鼠で、ユウはとりあえず鞄をシャンティの家に放り込んで、馬小屋へ走った。  馬を括り付けていると、ガサガサ音がする。見れば馬小屋の中でドライアド達が雨宿りをしていた。お前らも雨は嫌なのか? とユウは首を傾げながら、また小走りにシャンティの家に戻る。少し考えて、コートとブーツを脱いで外に放り出したまま中に入った。 「シャンティ、悪いんだけど、靴とコート……シャンティ?」  リビングに入って声をかけたが、誰もいない。ドライアドが動いていたということは、恐らくシャンティは起きているのだろうが。ずぶ濡れのままで部屋を徘徊するのは気が引けて、とりあえず全裸になったほうがまだましかも、と風呂場に向かった。  僅かな灯りが照らすばかりの風呂場には、湯桶が置いてある。その傍に、裸のシャンティが座っていた。褐色の背中に、黒に近いダークブラウンの長い髪がしっとりと濡れて絡みついている。ユウはしばらく状況が呑み込めず固まっていたが、やがてのろりと顔を上げたシャンティと目が合ったものだから、ようやく「あっ」と声を出した。 「ご、ごめん、風呂入ってたのか」  慌ててシャンティの裸体から目を反らしたが、シャンティのほうはいつものようにぼんやりと「来ていたのですね」と気にした風もなく呟いた。 「め、珍しいな、お前が風呂なんて」 「急な雨に降られたものですから。……ユウも濡れていますね、一緒に、」 「お、俺はここで服だけ脱ぐから! いつもの服とタオル、借りていいか?」 「ええ、どうぞ……」  一緒に風呂だなんて、とんでもない。ユウは大慌てで濡れた服を脱ぎ捨てると、風呂場を出た。どうせドライアドだかそれ以外の使い魔なのだか知らないが、ユウの脱ぎ散らしたものはいつの間にか洗濯されて乾いているのが常だった。  いつもの棚からタオルと服を引っ張り出して、雨に濡れた体を拭いていると、存外早くシャンティが風呂場から出て来た。ところが、シャンティときたら長い髪も拭かずに出て来たものだから、床にボタボタと水が滴って、ユウが転がり込んできた時よりも酷いことになっている。 「うっわ、シャンティ!」 「ユウ、貴方も濡れているなら湯を、」 「シャンティちょっとお前、ほら! 拭いて!」  慌てて新しいタオルをシャンティの顏に押し付けたが、「ユウ、風邪をひきますよ」とシャンティとの会話が成立しないし彼は何もしなかったものだから、結局ユウがわしゃわしゃとシャンティの髪をタオルで乾かす羽目になった。 「シャンティはもっとさ、自分のことにも気を遣ってくれよ」 「私は別に風邪は引きませんし、この家の床が濡れてもそのうち乾きます。ですが貴方は、」 「はいはい、人間はか弱いか弱い。風呂に入ればいいんだろ、わかったよ、でもちゃんと自分で髪を乾かしてくれって。その……そうだ、俺、今晩ここに泊まるだろ? 部屋やベッドが濡れてたら不衛生だ、か弱い人間は病気にかかるかもしれない。な?」 「……」  シャンティはユウのタオルに包まれたまましばらくぼんやりしていたが、ややして「それは困ります」と自らの手で髪を拭き始めた。  過去のシャンティの愛した人が、どんな死に方をしたのだか、ユウは知らない。シャンティが昔話をあまりしたがらないからだ。けれど、過剰なまでにユウを甘やかし、心配し、世話をしようとするから、きっと呆気なく死んだのだろうし、それを深く悲しんだのだろう。  シャンティはよく、人間はか弱い、脆い、寿命が短いと言ってユウを護ろうとする。ユウはもう20歳であり立派な大人なのに、シャンティは幼児のように愛しているのだ。もっとも、幼児は初対面の相手と性交したりしないだろうが。初めて会った夜のことを思い出して、ユウはいつも溜息を吐いてしまう。少々事情が複雑だったとはいえ、ユウはシャンティの事を初対面で抱いてしまったのだった。

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