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第8話

 軽く髪を洗って、風呂場を出ると、寝室に向かう。シャンティは珍しく寝台に転がっていて、その褐色の身体に香油を塗っているようだった。薄衣だけを纏い、長い四肢をさらけ出して塗り込んでいるものだから、相変わらず目に入れただけで胸が高鳴ってしまう。ユウは僅かに視線はそらしたまま、シャンティのそばへ向かった。 「珍しいな、シャンティが自分に塗ってるの」  およそ彼は自分の事に無頓着が過ぎる。長い髪も、整えたり切ったりが面倒で伸ばしっぱなしにしているだけだし、緩く三つ編みにしているのはあくまで作業の邪魔になるからだと以前言っていた。それが証拠に、丁寧とは言い難い三つ編みからは髪の毛が零れていて、結んだばかりだろうに乱れがある。もっとも、その悪くいってしまえば雑な雰囲気が、シャンティの醸し出す色香と相まって、余計に蠱惑的なのだが。 「貴方の柔肌に傷などついたら大変ですから」  だから、手入れしているということか。ユウはむず痒い思いがした。柔肌なんて言われるのは少女達だし、そうでなければ赤子だ。ユウはもう20歳でとうに成人してから5年も経っているわけで、それなのにそんな扱いを受けるのはなんとも恥ずかしい。それに、先程のユウの発言を真に受けているらしいシャンティにも少し申し訳ない。 「シャンティ、俺、」 「ユウ」  かけた言葉は、名を呼ばれた事で途切れてしまった。 「貴方も」  手招きされて、何のことかと眉を寄せる。「さあ」と香油で濡れた手を見せられて、察した。塗ってくれる、ということなのだろう。ユウは困ってしまった。何度かシャンティに香油を塗られたことがあるが、アレはなんというか、若いユウには少々、刺激が強い。 「い、いいよ、俺は別に」 「ここにいらっしゃい」 「あの、……わ、悪かったよ、俺はお前が心配するほどヤワな体じゃないし、そんなにしてくれなくても、」 「ユウ」  シャンティはユウの言葉など聞いていないように、手を広げる。ユウは髪をぐしゃぐしゃと掻いてから、「お、お手柔らかに」と呟いて、シャンティのそばに身を寄せた。  シャンティの細長くてしなやかな指が、ユウの全身を愛していく。ユウはそれを大人しく受け入れながら、裸で寝台にうつ伏せている。  心地良くなる香油の匂いが睡魔を呼び寄せないこともない。しかし、シャンティのゆっくりとした指の動きが、その睡魔を何処かに追いやってしまうから、ユウはムズムズとした落ち着かなさを感じる。  シャンティはきっと、そんなつもりでしているわけではないのだ。ただユウを愛でたいだけ。愛し子を労わりたいだけなのだ。問題はその愛し子とは、会う度に体を重ねているということで。ユウは何も感じないわけにはいかないのだ。それがわかっているのか否か、シャンティは優しくユウの全身をくまなく撫で、愛していく。 「……シャ、シャンティ、もういいから……」  どうにも耐え難くなって体を起こしても、むずがる子供をあしらうようにまた寝台に沈められて、愛される。うう〜、と呻いて身を捩っていると、足にまで触れてきたから「うわ!」と身を引いて逃げた。 「シャンティ、ほんとに、ほんとにもういいからっ」 「くすぐったいのですか?」 「そりゃそうだろっ、足はダメだっ。それに、こんなに入念に塗らなくたって、俺は怪我なんてしないし……」  シャンティの手から身を守るように縮こまっていると、彼はいつものとろりとした表情のまま、「ですが」とユウに手を伸ばしてくる。それを振り解くほど、ユウは彼を拒みたくもない、けれどくすぐったいのも勘弁だ。その手が優しく頬に触れてきただけだから、ユウは逃げはしなかった。その指が、ユウの顔の傷をなぞっている。 「人の肌は柔らかく、傷付くと痕が残ってしまいます。それは浅かれ深かれ、生涯残り続けて、いずれは老いと死を招く……」  ユウの顔や体についた無数の傷跡のことを言っているのだ。ユウはまた困ってしまった。  エルフの体はとてつもなく代謝が悪い。なのに何故だか、異常な程に再生力が強い。シャンティも長い人生の間には色々有ったと言っていた。一度、シャンティはボンヤリしているから火や刃物を扱わせるのは危なっかしいとからかったのだが、その時のシャンティの言葉がこうだ。 「痛いのは好きではないですけど、全身が燃えた時も、斧で脚を切り落としてしまった時も、三日もあれば治りましたよ」  それを聞いてから、シャンティの所に来た時は、できるだけ危ない事はさせないように手伝い始めた。  そんなものだから、シャンティはユウの体が脆い事をとても心配する。しかしユウに言わせれば、シャンティのほうが異常なのだ。僻地の人間にとってエルフは未知の多い隣人のままで、とりわけこの男は常に酔っているものだから、ますますわけがわからない。 「シャンティ、あのさ……」  シャンティの手に自分の手を重ねる。その手が何人の愛し子を撫でて、そして失ってきたのか、ユウは知らない。その度にどれほど彼の心が痛んだのか、どれほど苦しんだのかも。  今どれほど、シャンティがユウを慈しんでいるのかも。 「……シャンティには信じられないかもしれないけど、俺はさ、赤ちゃんなんかに比べたらずっと丈夫だよ、刃物の扱いもわかるし、火だって使いこなせる。まだ30年ぐらいは普通に生きてるだろうし、……10年ぐらいはそんな、歳も取らないと思うし……」  言っていて自信が無くなってきた。シャンティの案じる通り、人は簡単に死ぬ。昨日まで元気だった人が事故で亡くなったり、流行り病で命を落とす。それがいつなのか、遠い空の神様だけは知っているらしいが、ユウにもシャンティにもそれがいつかはわからない。シャンティが過剰なまでに心配してくるのも、無理はない。それでも、それでもだ。 「……心配なの、わかるよ。でもどうしたってその時は来るんだ……。なら、今を大事にするしかないんじゃないかな……」 「……ええ、……そう、……そうですね」  シャンティは意外なことにすんなりとその言葉を受け入れた。彼を見ると、深い紫の瞳が愛しげにユウを見つめている。 「今、この時を愛しましょう、ユウ……」  ゆっくりと、ユウの唇にシャンティが口付ける。思わず目を閉じて受け入れた。柔らかな唇が触れ、それから促すように舌が唇の隙間をなぞる。ユウは一瞬戸惑ったが、それでもやはり抗いきれずに口内を開け渡して、シャンティの体を抱いた。

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