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第11話
エルフはおっかなかったが、親切に湯桶に湯まで用意してくれた彼を、悪くは思えなかった。急にやって来て雨宿りさせてほしいという人間に、普通ここまでしてくれるだろうか。手早く体を温めて風呂場を出ると、服は洗濯されているらしく、見当たらなかった。
どころか、エルフの姿も見えない。裸のままで放ったらかしにされてしまい困惑していると、少ししてエルフが奥から出て来た。
先程まで寝起きのようだった髪は少し整えられて、ゆるい三つ編みになっている。そのせいで、エルフ特有の長い耳が見える。着ているものも先程までとは変わって、少し清潔そうになっていた。相変わらず、くすんだ橙に刺繍飾りのついた服なのだが、不気味さは格段に減っている。
「ああ、ごめんなさい、待たせてしまいましたね」
貴方が着れそうな服を探していたんです。エルフはそう言って、何枚かの服をユウに手渡した。その時、ユウの胸元を見ていたので、やはり品定めをしているのかと思ったが、どうもペンダントを見ているようだった。
金目の物じゃないんだけどな。ユウは少し怯えながらも、手渡された服を羽織る。エルフが着ているものと似た色合いの、ゆったりした部屋着は着心地が良くて、なんだかいい匂いもした。
「すいません、迷惑かけて」
「いいんですよ、……お名前を、伺っても?」
「あ、ユウって言います」
「ユウ……、ファミリーネームなどは?」
「あー、実は俺、なんていうか孤児って奴で……小さい頃に親と死に別れたから、あんまり覚えてなくて……」
「……サディア、ではないですか?」
「えっ」
エルフの言葉にユウは心の底から驚いた。彼に人の心を読む力が有るのかと思った程だ。サディアという響きには記憶が有る。長い間「孤児のユウ」だったから、その名で呼ぶ者など誰もいなかったけれど。
「……名乗り遅れました。私の名前は、シャンティ・ハルトといいます。お気軽にシャンティと呼んでください。丁寧に喋る必要もありませんよ」
「や……でも、その、……シャンティ……が、丁寧なのに……」
「私はこれがもう染み付いているのです、気にしないで下さい。それより……私の名前に聞き覚えは有りませんか?」
急に何を言い出すのだろう、このエルフは。聞き覚えなどは有るはずがない。素直に無いと伝えたが、シャンティは「そうですか」と頷いただけで、その時は会話を打ち切った。
「……貴方は人間だから、食事が必要ですよね」
ドライアド達に果物でも取ってもらいましょうか。でもこの雨では……。シャンティはブツブツと何事か呟きながら、一度小屋を出て行ってしまった。なんともマイペースな家主だ。ユウはどうしていいか分からず、リビングに突っ立ったまま部屋を見渡す。
だいぶこの暗さにも慣れてきたから部屋の中が見えるようになっていた。薄気味悪かった台所のような場所には大きな釜が置いてある。恐る恐る中を覗き込んでも、何も入っていなかった。見たところあまり使っていないようでもある。
周りには何か粉や液体の入った瓶が沢山並んでいたが、正体はわからない。壁には草花が逆さに吊られていて、乾燥させているのだとは思ったが、その量が尋常ではない。食べ物らしいものも無いし、エルフは何を食べて生きているんだろう、とユウは首を傾げた。
エルフという生き物は、この辺境の地では珍しいものだ。昔は人間によくしてくれていたから出会う事も多かったらしい。近頃はエルフの姿はめっきり減っていて、しかも会えたとして彼らは人間に優しくても、あまり深く交流しようとはしないから、やはりよくわからないままなのだ。
それにしても、ドライアドとはなんだろう? 森の精霊がそんな名前だったような気もするが、実在するなんて聞いた事もない。他に住んでいる者がいるんだろうか、と思ったが、そういう気配もない。何もかも、わからないままだ。
ユウがこれからどうしたものか考えていると、ふいにシャンティが小屋に戻ってきた。濡れていないので雨は止んだのかと思ったが、直後鳴り響いた雷にその考えごと首を引っ込めることになった。
「ずいぶん酷い雨です。ドライアドはみんな、やる気がなくて。困りました。……夕食を用意してあげられません」
「ああ大丈夫、いざって時のために携帯食は持って来てるんで……」
おかまいなく、と慌てて言うと、シャンティはユウを見つめてきた。睫毛の長い、とろりとした紫の瞳が何事か思案するように揺れている。
「……ユウ、では、……貴方の寝床を用意します。ここでゆっくりくつろいでいてください」
「ああ、いや、悪いよ、俺は床ででも寝るから」
「いいえ、いいえ。人間はか弱い生き物です。ちゃんと寝台で寝なければ、体は軋み歪んで風邪も引きます。最悪そのまま死ぬことだって……」
またブツブツと呟きながら、シャンティはカーテンで隠されていた奥の部屋へと行ってしまった。エルフってのは随分世話焼きで、心配性で、マイペースなんだなとユウは思いながら、ぼんやりと立ち尽くしていた。
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