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第12話

 ユウはそれからもしばらく落ち着かなかったが、やがてその環境にも慣れてくる。小屋の中は不思議な光る鉱石で僅かに照らされ、なんとも言えず心地の良い香りで満たされている。ユウは椅子に腰掛けて、のんびりとくつろぎはじめた。一向に部屋の整理からシャンティが戻って来ないせいでもある。  年季の入った木のテーブルの上には、ユウの鞄が置いてある。中を漁って、水と携帯食の干し肉や硬いパンを取り出した。腹が減ってきたが、家主に黙って食べるのも失礼だろうとユウは食べ物には手をつけず、水だけを飲んだ。  またしばらく何もせずにぼんやり過ごす。小屋の屋根を叩く雨の音と、隣の部屋からゴソゴソと何かしている音がするばかりで、退屈なことこの上無い。もしやこのまま帰ってこないのではないかと思うほど待ち、うとうとしてきた頃にシャンティは戻ってきた。 「少しはマシになったと思います。……ユウ、食事はいいのですか?」  また髪が乱れているシャンティが、ユウの手元にあるパンを見て尋ねた。もしや食欲が無いとか、熱が有るとか、と心配し始めたので、ユウは慌てて首を振る。 「いや、シャンティに断りなく食べたらいけないと思って」 「私に? どうして」 「どうしてって……言われると困るけど……」 「どうぞ、召し上がって下さい。人間はすぐ飢えて栄養失調をきたし、最悪死んでしまいます」  どうにも心配性が過ぎる。それじゃあ失礼して、と呟いて、パンをちぎって食べた。実に硬い。長い時間をかけて咀嚼している間、シャンティがじっとこちらを見つめているものだから気まずくなって、ユウはパンをちぎってシャンティに差し出した。 「……?」 「どうぞ」  シャンティも食べたいのかと思って差し出した手前、引っ込みがつかない。しかしシャンティの心持ちは違ったようで、彼は困惑しながら「ありがとう」と受け取って、そのまま手に持っていた。そしてまたユウを見つめている。 「……シャンティ、その、そんなに見つめられると、食べにくい……」 「ああ、ごめんなさい。そうでしたね。人間から離れて久しくて……」  そう言いながらシャンティは机の下から埃のかぶった椅子を引っ張り出した。何をするのかと思うと、埃を落としてから、ユウの隣に腰掛けただけだ。それが人間との食事時間の共有、ということらしい。  よくわからないが、シャンティが寄り添おうとしてくれていることだけはわかる。ユウはひとまず納得してパンをかじる事にした。 「……ユウ、貴方のことですが」 「俺のこと?」 「孤児だと言っていましたね。どうしてそんな事に?」 「あー……なんか、戦争? みたいなことがあったらしくて……。俺の住んでた村、巻き込まれちゃって、俺の家族も死んだり散り散りになったりで、気が付いたら孤児だった……みたいな感じらしい。俺も小さくてよく覚えてないんだ」  わかるのはこのペンダントぐらい。ユウが胸のペンダントを見せて言うと、シャンティもそれを長い時間見つめてから、ポツリと呟いた。 「青白い壁の多い村でしたね」 「ん」 「荒野にあって、海のように美しい村でした。沢山の民家が、空よりも深い青をしていて、壁や窓には色とりどりの布が掛けられ、それは華やかな街並みで。中心地ではバザーが開かれて、沢山の行商で賑わったものです……」  ユウはその風景をありありと、まるで見たように想像することができた。賑わう人の波、喧騒の音、スパイスの山から漂う刺激的な香り、暑いものの清々しい空気まで、何もかもを。  それが想像ではなく、記憶だと理解するのに少しの時間がかかった。 「なんで……」  それはユウでさえ記憶の片隅に追いやって、忘れていた記憶だ。何もかもが鮮やかな村で、大陸を横断する行商達は皆立ち寄り一時の休息を楽しんでいた。生活は穏やかで、ユウは両親や兄弟と共に毎日を当たり前のように楽しんでいた筈だ。  その街並みが、燃えている。 「……なんで、」  その言葉が何に向けられたものなのか、ユウはわからなかった。その代わりに、シャンティが静かに言葉を紡ぐ。 「ユウ、私は貴方と同じ村の出身です」 「え……」 「突然のことで驚くと思いますが、そのペンダントを、貴方のご先祖に贈ったのは私です。その模様には祈りがこめられています。持ち主を末長く護り、もしも困った事があれば、私の元へと導くようにと……」  私がこんなに遠くに来てしまったから、貴方をペンダントが導くまでに、随分時間がかかってしまったんですね。  シャンティの言葉に、ユウはただ目を丸くしていた。  シャンティの話はこうだ。  シャンティは元々ユウの生まれ故郷に住んでいた。そこで長い間暮らしていたが、事情があって遠く離れたこの森の中へ移り住んだ。どれ程の年月が過ぎたのかわからないが、村を出る時、それまで懇意にしていた人間に祈りのペンダントを贈り、代々子に受け継がせて欲しいとお願いしたのだという。  ユウはペンダントを受け継ぎ、孤児となり困窮した。明日も見えない暮らしの中、何処かに止まるでもなく荷運びの仕事をしながら、じわりじわりとシャンティの元へと流れていき、遂にペンダントはその役目を果たした、と言うのだ。 「そんな……そんな、信じられないよ、急に、そんな」  ユウは困惑して首を振った。そんな事が有るだろうか。自分の先祖がエルフと仲良くしていたなんて知らないし、ましてやそのエルフに守ってもらう為に、自分が無意識にここに連れて来られていたなど。 「そうでしょうね、人間にはにわかには信じられないかもしれません。ですが、この世界には精霊や魔法の力が満ちていて、それは貴方達人間にも影響を及ぼすのです」 「でも……でも、俺は、別に、助けて欲しいなんて……もう立派な大人だ、一人で生きていける。だから、シャンティの言う事が本当だとしても、もう助けはいらないよ」  シャンティは少し思案するように黙っていたが、ややして「そうですか」と頷いた。 「なら、その過保護なペンダントが貴方を護ろうとしたのでしょう。どちらにしろ、貴方に会えて良かったと私は思っていますよ、ユウ。貴方のご先祖様とは本当に……本当に懇意にしていたのです。あの人の血が絶えず、ここにまだ存在する事を、私は心から喜んでいます。生きていてくれてありがとう、ユウ。これまできっと大変だったのでしょう。ごめんなさい、貴方を守れず……」 「いや、だってシャンティも事情があって村を離れたんだろ? シャンティには何にも責任無いよ、気にしないで」  生きていることに感謝されるなんて初めてで、むず痒い。ユウは髪を掻いて誤魔化した。  確かにこれまでの人生は楽ではなかった。物心ついた時には孤児院でひもじい思いをしていた。神様というものを崇拝する一方で、今日の食事を得る為に盗みを働かなくてはいけなかった。大人は子供を守ったりはせず、罰と称して育ての親も盗みの対象もユウを殴ったし、もっとおぞましいこともされた。金をくれるという女や男に全身を撫でまわされて、夜通し罪を重ねさせられた。それにはほとほと嫌気がさして、そういう対象にならない為に顔や体にわざと怪我を作ったほどだ。  体格が整ってくると荷運びの仕事を始めて、それで生活は随分マシになったと思う。もちろん、食べていくので精一杯なのは変わらなかったが、少なくともただ食い物にされる子供ではなくなった。仕事は選べたし、食事もとれた。一人で生きていけると思っていたし、今回ここに来たのも、自力で新たな販路を作ろうとしたからであって、庇護を求めてのことではない。  それを伝えると、シャンティは目を伏せて、静かに「ごめんなさい」とまた呟くのだ。 「なんで謝るの、シャンティは何も……」 「私が村を離れていなければ、貴方を守れたかもしれません……」 「そんな、もし、の話をしても仕方ないよ。だからもう気にしないで。それより、シャンティも良かったじゃん、仲良かった人の子孫に会えたんだし……」 「ええ、そう、そうです、ああ、ユウ。本当にありがとう、生きていてくれて……」  シャンティがふんわりと微笑む。それはあまり記憶にも残っていない母のような優しいもので、ユウはまたむず痒くなってしまった。  時間の感覚は無かったが、二人は長い時間話し込んだ。やがて眠気を覚えたユウは、シャンティの寝室と思わしき、片付けたとは思えないほど散らかった部屋に招かれて、そのとりあえず寝られるようになった寝台で眠るように促された。  でも、シャンティは? 瞼が落ちてくるのに逆らいながら尋ねると、「エルフは寝ても寝なくても同じなのです」とよくわからない答えがあったので、ユウは諦めて睡魔に身を任せる事にした。

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