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第4話
「――は、こりゃ又なんともご立派なお住まいで! 確か財閥だったな、お前の家」
自宅マンションに着き、エレベーターで自室のある最上階 へと向かう途中で、ニヤリと横目に視線をくれながら氷川がそんなことを訊いてくる。こうして並んで立つとやはり彼の方が上背があるようだ。思っていたよりも長身なのか、十センチ程は違う感じがする。
ああ、記憶は確かというか変わっていないというか、不思議な懐かしさがこみ上げる気がしていた。
「ふん、よくまあそんな細けえこと覚えてんよなー? そーゆーお前んちは香港マフィアだっけ?」
「――?」
何を言っているんだといった表情で、氷川がこちらに視線をよこす。
「だってそういう噂だったぜ? あの頃、お前らんトコと小競り合いンなる度にそんな話が持ち上がってよー? けど、桃稜の氷川んちはヤクザだかマフィアだからっつって、いっつも苦水すすらされてた。桃稜の奴らに手ぇ出すと終いにゃ氷川が出てきて殺されちまうーとかさ、そんな噂で持ちきりだったのよぉ」
まだ呂律の回らない口ぶりで大きなゼスチャーまで付けながらそういう冰に、氷川は呆れたように眉をしかめてみせた。
「確かに香港にも社はあるけどよ。俺ん家の稼業はホテル経営だ」
「えっ、マジっ!?」
「ああ、”マジ”だ。お前ん家とも顔見知りなんじゃねえか? よくそうやって親父に釘刺されてた。高坊ん時は俺も結構好き勝手やってたからな。けど隣の楼蘭学園の雪吹君とは問題起こすんじゃねえって親父がな、口酸っぱく言ってたのを思い出す。要は親父らは懇意にしてたってことなんだろうが――。だが俺とお前は隣校で番張り合っていがみ合いの仲だのって噂だったからな。青春もいいが大人の世界に悪影響及ぼすなってさ、よく嫌味を言われたもんだ」
そんなことは知らなかった。
自分には正反対な性質の優等生の兄がいたせいか、それとも父親自身が大らかな性質だったのか、そんな話は聞いたことがない。
自身の素行が悪くて担任から苦言を申し立てられたこともあったようだが、その時でさえ説教を食らった覚えがない。
今にして思えば大雑把で雄大な父であったということだろうか。ともかく氷川のせいで懐かしいことが一気に思い出されて、何となく微笑ましい気分にさせられていた。
つい半日前に恋人に三行半を突きつけられた苦い事実でさえ、今は遠い昔の出来事のようにさえ思えて、酷く不思議な心地がしていた。
◇ ◇ ◇
「あーあ、酷え汚れ……! さっきは暗くて気が付かなかったけど……一張羅が台無しじゃねえかよ……。この服、結構気に入ってたのによー」
蛍光灯の下でよくよく見れば、白い麻のスーツのどこそこが泥やら沁みやらで真っ黒に擦れている。
「氷川、お前の車も汚しちまったんじゃねえか? 悪かったな……」
「そんなことは気にするな」
「ああ……うん。済まねえ……。つかさ、ちっとシャワー浴びてきてい? その間、お前ビールでも飲んでてくれよ。すぐだから!」
リビングの一画に設えられたミニバーのようなスペースを指差して、そのまま風呂場へと急ぐ。いろいろと親切にしてくれた氷川を待たせてはさすがに申し訳ない、そう思ってザッと身体を洗い流すと、冰は早々と彼の待つリビングへと戻った。
「おう、お待たせ! 酒、好きなの見つかったか?」
濡れた髪をワサワサとタオルで掻き上げながら、身体もよく拭かず状態で冰は微笑んだ。
「ああ、冷蔵庫に入ってたのを勝手に貰ってる。それよりお前、何つーカッコしてんだ……」
そう言われてふと足下を見やれば、歩く側からボタボタと滴が床に跡を付けていることに気付いて冰は苦笑した。
「あー、お前待たせちゃ悪りィと思って急いで出てきたもんで!」
「は、そりゃどうも。それにしてもお前、身体くらい拭けっての。さっきっから水が落ちまくってんぜ?」
「あー、いーのいーの。これ着てりゃ勝手に吸うからよ」
バスローブの襟元をクイクイと引っ張りながらソファへと腰を下ろす。
「そういや思い出した。前にそーゆーの信じられねえとかって、女に引かれたことあったな」
ふと、思い出したように氷川がそう言って瞳をゆるめた。
「そーゆーの?」
「風呂上がってロクに身体拭かねえで部屋ン中歩き回ってたんだ。そうしたら、床が濡れるとかってうるせーこと言うからよ。ちょっと面倒臭そうなツラしたら怒っちまってな」
「マジかよ? 付き合ってる女に?」
「ああ。それがきっかけで別れ話まで持ち出しやがった。だらしねえ男は趣味じゃねえとか抜かしやがってな。今考えりゃ、何だったんだって思うぜ」
「は、マジで? お前が? 女にー? ははは、そいつぁー愉快!」
濡れた髪の滴を拭いながら、冰は冷やかしたっぷりといった調子で、腹を抱えて大笑いをしてみせた。そんな様子に、氷川の方はかなりバツの悪い思いだったのだろうか、
「……てめっ、久し振りにバラすぞ!」
そう言って少々大袈裟に片眉をしかめる。
「お! いーぜ? 何ならやっちゃう?」
クイクイと手招きで挑発をするような仕草をし合い、そんなお互いがやはり懐かしく思えて、二人は同時に噴出すと、ゲラゲラと可笑しそうに笑い声を上げ合った。
「はは、うそウソ、冗談よ! もう高坊じゃねんだから、そーゆーの勘弁してー!」
「――は、バカか、てめえは」
突如タイムスリップをしたような再会に、何だか気分が若返ったようで新鮮だ。氷川も冰も胸中は一緒だといったふうにして、どちらからともなくニヤッと口角を上げて微笑み合った。
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