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第2話

「橋口、どうだ、進捗は」 引継に追われる柾に声をかけたのは、史の後に人事部の部長になった上田だった。部の中でも最年長の、理解ある上司。 「すいません、あと少しで…ご迷惑おかけします」 勢い余って史との関係を打ち明けた時、目を丸くして煙草を取り落とした上田だったが、意外にもその後、彼は優しく柾の肩を叩いた。 『三澤くんが君を選んだなら、頑張れ』 上田は、史の別れた妻のことを知っていた。性癖については何も知らなかったようだが、史の性格や不器用さを察して、ひっそりとサポートしてくれる存在だったようだ。柾が無断欠勤したことについてはなかなか許してもらえなかったが、ほとぼりが冷めて打ち明けると、上田は穏やかにこう言った。 『お前も、三澤くんも生きづらい世の中だろうが、二人ならそれも少しは軽減するだろう。うまくやれよ』 柾は深々と頭を下げた。 もしこの人がいなかったら、史もこの会社で生きていくことは辛かっただろう。自分も、転勤ではなく、クビにされる可能性の方が高かったに違いない。 感謝の念で最後まで引き継ぎの仕事を終え、柾は人事部を出た。 エレベーターを降りたとき、柾の足が止まった。 入り口の自動ドアの前に、同期入社の社員が立っていた。 営業部の田宮。唯一、高校も大学も一緒の友人だった。 「橋口!」 「田宮?」 「待ってたんだよ、ちょっとつき合え」 田宮は強引に柾の腕を引っ張ってビルを出た。どこ行くんだよ、と聞くと、田宮はにっと笑って送別会、と言った。 送別会と言って連れて行かれた居酒屋で、田宮は柾とビールジョッキを合わせた。 「何で転勤になったこと言わないんだよ」 「いや…急だったからさ」 「自分から頼みこんだって、マジ?」 「……まあ、うん」 焼き鳥の串をぐいっと真横に引っ張りながら、田宮は柾をじっと見た。 気まずさに柾はジョッキをあおった。 橋口さあ、と田宮は次の焼き鳥を口に運びながら尋ねた。 「やっぱ、あれ、本当なの、噂」 「…噂…って」 「三澤部長…あ、前部長か」 人の口には戸を立てられない。上田にしか詳細は伝えていないが、史が旅立つ日に会社を飛び出したことや、二人が本部のある喫煙室でよく会っていたこと、吉木湊斗が史を会議室に監禁したことなど、よく考えれば話題に上る可能性などいくらでもあった。 この田宮は勘がよく、柾の性癖については、学生時代から言わなくてもわかっているような雰囲気があった。 「……本当だよ」 「そっか……そうだったか。俺、噂聞くより、本人から聞いて、ちゃんと送り出したかったからさ」 「……ありがとう。噂って、そうとうやばいの」 「う~~~~ん………」 「あ、やばいんだ」 「まあ、そうだな。かなり尾ひれは付いてんだろうけどな」 田宮によると、史、柾が同性愛者であること、史に振られた柾が北海道まで押し掛けていく説、史が関係を持った人間が社内にかなりいるという説、史の元妻、野瀬燿子との離婚の原因を作ったのが柾だという説、燿子の義弟の湊斗と史が結託して離婚にもちこんだ、という説など、あることないことがごちゃまぜになって社内を駆けめぐっているらしい。 「橋口の、その、恋愛の嗜好については何となくわかってたけど。噂でごちゃごちゃ言われてるのは、本当なのか?」 「90%は嘘だよ。俺が…追っかけていったのは本当だけど」 「振られたのか?」 「振られてねーよ」 「三澤部長もそっちなのか」 「カミングアウトしてないけどな。うっかり俺が…言っちゃった」 「マジで?お前そりゃ、かなりうっかりだよ」 「うん…許してもらえたけど、多分」 「じゃあ、離婚の原因がお前だとか、そういうのは嘘なんだな?」 「嘘だよ。そもそも離婚してから俺が配属されたし。…あのさ、田宮」 「ん?」 「その…ちかしさん…三澤部長と関係した人がいるって…どこから…」 田宮は腕を組んで、少し考えた。 「どこからっていうのはわかんねえな…まあだいたい、噂ってのは女子の口から広まんだろ。三澤部長に振られた女子社員が腹いせに、とか、そのあたりじゃないかと思うけどな」 「そっか……」 よく考えれば、過去に闇を持つ史の、燿子と結婚していた時期より前のことは柾は何も知らない。これからゆっくり知っていけばいいと思っていたが、史が素直に話してくれるとは考えづらい。 何も考えずに追いかけて、勝手に北海道転勤を申し出て、本人に相談もなく上司につき合っていることまで打ち明けてしまった。 どう考えても迷惑極まりない。 柾はごつんとテーブルに額をぶつけた。 「どうした橋口、もう酔った?」 「いや……絶賛自己嫌悪中……」 「ん~…まあ確かに反省するべき部分はあるだろうけど、そもそもは部長が一緒に来ないかって言ってくれたんだろ?」 「うん…でも、まさかその日に飛んでくるとは思わなかったって言われたな…」 「それは部長に激しく同意する」 「だよな…部長のことよく知らないで、勝手にいろいろ決めて、どう考えても迷惑だよな」 「でもさ」 田宮はテーブルに身を乗り出して、真顔で言った。 「もし迷惑なら、転勤することだって反対されるんじゃねーの?今でも待ってるんだろ?むこうで」 「うん……」 「そんな心配なら電話とかメールとかすればいいじゃん」 「…するけど、向こうからは来ない…連絡するの俺ばっか」 「お前JKか!むこう年上の男だろ?仕事の準備もあるしそりゃ来ねーだろうよ」 「だよな…」 ため息をついて顔を伏せた柾をつつきながら、田宮は明るい声を出した。 「とりあえず心配しすぎだって!何も気にしてないかもしれないぞ?だし、三澤部長のこと何も知らないったって、つき合ってまだ日も浅いんだから当然……あっ」 話の途中で田宮が言葉を切った。何かを思いついた顔をして柾に笑いかける。 「何だよ?」 「橋口……三澤部長の過去、知りたい?」 「え?」

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