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第3話
「三澤さん、飲んでますかぁ」
「ありがとうございます、いただいてます」
金曜日の夜、早速歓迎会が開かれた。
おそらく東京でのポストと、上田がこちらの上司に前もって話をつけてくれていたらしく、同僚達は皆、温かく迎えてくれた。
「優秀な方が来てくれて、これでうちも安心だなあ」
「何ですか、僕たちじゃ安心できなかったんですかぁ」
「そりゃあ、ねえ」
どっと笑い声が上がった。
松原という新しい上司は、上田よりもさらに年上の、恰幅のいい男だった。明るくおおらかで、彼の雰囲気で部署の仕事がスムーズに進んでいるように見えた。部下達の年齢はばらばらで、史より若い者が多かった。
ビールを注いでくれた女子社員は、20代なかばくらいだろうか、と史は思った。
彼女は注ぎ終わると、もじもじしながら史の顔を見つめた。それに気づいた同じぐらいの年代の男性社員が冷やかしの声を上げる。
「伊藤ちゃん、三澤さん狙ってんの?ちょと早くない?」
「そんなんじゃないですう」
「いい男だもんなあ」
そんなことありませんよ、と話を合わせてにっこり笑い、史はビールをあおった。
本来こういう席が史は苦手だったが、自分で生き直すと決めてやってきた土地で温かく迎えられたことが嬉しかった。
同じ部署の人間は史のほかに8人。にぎやかに飲み食いする中に、ひとりだけ眼光の鋭い男が混じっていた。
トイレに立った史が戻ろうとした店の廊下に、まるで待ちかまえていたようにその男は立っていた。
「白崎さん…でしたか」
覚えたばかりの名前を言うと、その男、白崎 充(しらさきみつる)は口だけで冷たい笑顔を作った。
「もう覚えて下さって光栄です。どうです、うちの部は」
「みなさんに良くしていただいて、助かっています」
白崎は史より少し目線が高い。身長は柾と同じくらいで、体格はかなり大きい。スポーツをしていたような、がっちりとした肩周り。
腕を組んで、壁に寄りかかっているが、明らかに史を威圧している。
「三澤さん、ちょっとお伺いしても?」
「なんでしょう」
「来週明けから営業に配属される橋口さん…東京で同じ人事部だったとか」
「…ええ、そうですが」
白崎はわざとらしく間を開けて、横目で史を見ながら言った。
「こんな中途半端な時期に同じ部署からふたり、北海道に配属されるなんて珍しいですね」
「…社の方針でしょう」
「本当に?」
(こいつ、何をどこまで知っている?)
壁から身体を離して、白崎は史の前に立ちはだかった。対峙すると白崎の大きな体格がよくわかる。ぞくりと悪寒が走った。
「何がおっしゃりたいんですか」
「いやね……間違いだったら申し訳ないんですけど」
白崎が不自然に近づき、史の顔の横でささやいた。
「お二人は、特別な関係なんじゃないかと思いましてね」
どう返すか逡巡し、史は笑顔を作った。そして冷静に答えた。
「その話は……仕事に関係ありますか?」
白崎は一瞬真顔になり、しかしすぐに破顔した。
「否定も肯定もされないと…?」
「失礼します」
横をすり抜けようとした史の手を、白崎の野太い腕が捕らえた。
(またか)
この白崎が、史と同じセクシュアリティだということはすぐに気づいた。ただの興味本位なのか、何か下心があるのか、そこまでは見抜けないが危険なのは確かだった。
20代の頃から、こんなことの繰り返しばかり。邪な目をした男は幾度となく見てきたし、どうあしらえばいいのかもわかっている。
しかしまだ赴任先で最初の一週間。すぐそばでは何も知らない同僚達が楽しく飲んでいる。場を壊すわけにはいかない。
「離していただけますか」
史の言葉には応えず、白崎はにやりと笑っただけだった。そして史を引き寄せた。腰を撫で、その手を太腿に滑らせる。
史は身じろぎもせず、白崎を冷たい目で見上げた。挑発に乗ってはいけない。何も感じていないようにやりすごすのが得策だ。
その時ちょうど、史にビールを注いでくれた伊藤可奈子が、座敷の襖を開けて顔を出した。
「白崎さん、三澤さん、そろそろラストオーダーですって」
白崎はぱっと明るい表情をつくって振り返り、今いく、と答えた。
史の手を離すと、もう一度にやりと笑って白崎は同僚たちの席に戻っていった。
ひとりになって、史は白崎に捕まれた手首を見た。
痣になっていた。思っていたより強く捕まれていたらしい。
(またこれか…もういい加減にしてくれ)
史はもう一度トイレにもどり、洗面所の蛇口をひねった。勢いよく飛び出す水をすくって、乱暴に顔を洗った。濡れた手で首筋をごしごし擦る。ワイシャツのボタンは一番上までしっかり留めてある。自分にしかわからない程度の甘い香り。
普通に生活していたらほとんど気づかれないこの香りに反応したのは、ただ一人だけ。
柾。
そういえば、今日はまだ連絡がない。
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