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第4話
「おい、三澤部長の過去ってなんだよ?」
「飲みながら話そうぜ、ほらここ」
ドアを押して田宮が先に店に入った。そのあとについて足を踏み入れた柾は、思わず息を飲んだ。
「田宮、おい、ここ……」
「大丈夫、ミックスバーだから、俺でもイケんの。お前は平気だろ?」
「平気だけど…なんでここで話すんだよ」
「いーからいーから」
田宮が柾を連れてきたのは、ゲイ寄りのミックスバーだった。
柾は初めて来たはずの場所に、既視感を感じた。
数年前、吉木湊斗とつき合っていたときに、彼がダンサーとして働いていたバーに踊りを見に行った記憶がある。
当時は彼に夢中で、店の名前も覚えていないし、内装も記憶にない。
それでもなぜか、うっすらと覚えているような、そんな気がした。
男同士の客が多い中、たまに女性客もいる。田宮と柾は恋人同士に見えるのかもしれない。そう見られることを田宮は嫌がるそぶりもない。
広めの店内は、ボックス席がほとんど埋まっていた。
カウンターに座ると、背の高い、やたら顔の整った50代くらいのセクシーな男が、いらっしゃい、と柾に声をかけた。彼が、この店のママらしい。
黒いTシャツに、シルバーの長い髪。女装はしていない。が、口調はオネエだった。
「あらめずらしい、宮ちゃんのオトモダチ?」
ママの問いかけに田宮は嬉しそうに答えた。常連なのか、どうやら、宮ちゃんと呼ばれているらしい。
「こいつ、転勤決まったんだよね。で、送別会」
「送別会がこんな店でいいの?っていうか、お兄さんはノンケ、じゃないわよね?」
柾を見て、ママはにっこり笑った。そうっすね、と柾は笑いながら答えた。
ゲイではあるが、柾はこういう店が苦手だった。ごくたまに行くことはあっても、新しい店を開拓するタイプではなかった。
「お兄さん、ゆっくりしていってね」
ママは柾と田宮の前にビールを置いて、新しく入ってきた客と話し始めた。
「三澤部長さ…バーテンやってたらしいよ。10年くらい前だけど上司の友達が、ゲイバーで働いてるのを見たって」
田宮の言葉に、柾は目を丸くした。
想像もしていなかった。柾が初めて出会った史は、すでに巨大財閥の娘を恋人に持ち、仕事の出来るエリート社員だった。
自分のセクシュアリティを隠して生きていた史に、そんな時期があったとは。
「人は見かけによらないってことだよな…あんな真面目そうな人がさ」
田宮の言葉に、史とつきあうことになるまでの日々が蘇る。
真面目に見える顔の裏には、史が長年悩んできた、あの香りがある。
普通に暮らしたくても、身体に邪魔されて苦しんできた過去。その史が、水商売をしていたとしたら、辛くなかったのだろうか。ゲイバーは、酒を飲むだけではなく、一晩の相手を探すためにやってくる客も多い。
若き日の史にも、そんなことがあったのだろうか。
バーテンダーなら声をかけられても断れたのだろうか。
それとも。
考えれば考えるほど、柾は史の過去に嫉妬するばかりだった。
「こちら辛気くさい顔しちゃって。グラス空いてるわよ」
ママがカウンターに戻って来ていた。柾はあわててビールをもう一杯頼むと、田宮が話し出した。
「ママ、こいつの話聞いてやってよ、恋バナ」
「いいわよん。お兄さん、何悩んでるの?」
ママにばちん、とウインクされ、柾は怯んだ。メイクをしているわけでもない、素顔の男にしては、かなり美形の部類だ。あまりにもきれいな顔というのは、間近で見つめられると照れ臭くなるのだと、柾は知った。
柾が黙っていると、勝手に田宮が解説する。
「恋人の気持ちがわからないんだってさ~?どこまで踏み込んでいいのかわからなくて、さっきから落ち込んじゃってさあ」
「ふうん……、恋人は、どんな男なの?」
ママのグレーがかった瞳が、柾を射る。柾は、ぽつりぽつり話し始めた。
「…で、明日、その転勤先に、追いかけて行っちゃうと」
「そっすね…」
「今時の子にしちゃあやるじゃないの。たいした行動力ね。で、何が問題?ハッピーエンドじゃないの?」
「……本当に大丈夫かなって…迷惑かなとか思うんすよね」
うつむいた柾の頭に、ママが煙草の煙を盛大に吹きかけた。横で田宮がせき込む。柾は煙の中でママを見上げた。
「待ってくれてるんなら、行きゃいいじゃないの。だめならとっくの間に来ないでって言われてるわよ。…ちょっと、いい?坊や」
いつのまにか、「お兄さん」から「坊や」に格下げされていた。
ママが柾の額を人差し指で押しながら、顔を近づける。
「あたしたちみたいな人間はね。好きになった相手と末永く幸せに生きていく、ってことが実は一番難しいの。だから、お互いに一緒にいたくて、大きな問題がないなら、ごちゃごちゃ言わないでとっとと行きなさい。でないと、どっか行っちゃうかもしれないわよ?彼氏、いい男なんでしょ?」
「めちゃめちゃいい…男です……」
「あらやだっ、ちょっと宮ちゃん、この子泣いてる!」
柾の顔の下に水たまりを見つけて、田宮が爆笑した。ママは笑いながら、柾の肩を何度も優しく叩いた。
泣いて、笑って、飲んで、柾は後半、記憶があやふやだった。田宮が支払いを済ます間、柾はソファで半分眠っていた。
「明日朝の便で発つんでしょ?この子、大丈夫?」
ママが楽しそうに田宮に聞いた。田宮は笑いながら柾を抱き起こして答える。
「恋人に会うためなんだから、何とか起きるって」
「転勤って、どこなの?」
「北海道だって。寒いんだろうな~」
「……北海道……」
柾と田宮はタクシーに乗り込んだ。
ミックスバー「真珠」のママ、皆川弘海は煙草を咥えたまま、車が見えなくなるまで店の前に立っていた。
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