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第6話
「橋口くん」
翌週から柾が配属された営業部。最初に声をかけてきたのは、持田という男だった。やたら明るく人当たりが良く、かつ、すぐに柾は自分と同じ匂いがすることを読みとった。
「持田さん、お疲れさまです」
「お疲れさま。良かったら昼飯一緒にどう?」
「ありがとうございます」
持田に誘われるまま社食に向かった。味が良くて低価格の社員食堂で、八割の社員が利用するという。空いた席に持田と向かい合って座ると、遠くに史と同僚らしき男の姿が見えた。
土曜の昼に北海道に到着して、日曜の夜までの一日半、柾はことあるごとに史にまとわりつき、何度も身体を重ねた。
(まだ怒ってるかな…)
あまりにも柾が何度も求めすぎて、日曜の夜には史に本気で怒られた。柾自身、衝動が抑えきれないことなど今までなかった。どちらかというと淡泊で、求められたら応える程度だった。
それが史を前にすると、止められない。おそらく今夜も。
今朝は一緒に家を出たが、東京とは違ってこちらでは部署が別だ。上司と部下でもなく、そもそも社内で会うことも少なくなる。だからこそ食堂で見つけたとき、柾は思わず史を目で追ってしまったのだ。
「橋口くんさあ…自分でこっち来たいって直談判したってほんと?」
持田はもぐもぐしながら、急に確信に触れてきた。こういうときの為に準備してきた理由を、なるべくもっともらしく柾は言った。
「そうなんですよ、父が体調崩してて、札幌の病院にいるんで。母もいないんで、俺が看ることになって」
母がいないのは事実だ。柾が中学生の頃に離婚している。父は確かに入院しているが札幌ではない。心の中で父に謝りつつ、柾はそれらしい表情を作った。
持田はうんうんとうなづきながら聞き、口の中のメンチカツを飲み込んで言った。
「そうなんだ、大変だね。じゃあ、あの噂はデマかあ」
喉にハンバーグが詰まりそうになったのを必死に飲み込み柾は聞き返した。平静を装うため、水を喉に流し込む。
「噂…ってなんすか?」
上田しか知らない詳細と、東京で流れたデマの数々。それが赴任一日目で遠く北海道支社まで届いているのか?柾は脇の下にじっとりと冷たい汗をかいた。
持田があたりをきょろきょろと見回した。口の横に掌を立てて、持田は柾にこう言った。
「人事に先週来た、三澤さんと橋口くんが、ただらなぬ関係ってやつ」
「…は?」
「気を悪くさせちゃったらごめん。……っていうか、先に言えばよかった…橋口くん、そっちの人だよね?」
「………」
柾が黙っていぶかしげな表情をしていると、持田は話の内容に不似合いな笑顔を作った。
「俺、お仲間なんだよね。だから安心していいよ」
(こいつは…何のつもりだ?)
赴任するなり同じ性癖の人間に声をかけられること自体、滅多にない。というより少しおかしい。
だいたいこういうことは、距離が近くなって信頼出来る相手じゃないとカムアウトなどできない。たとえ距離が縮まっても、関係が壊れるのを恐れて言い出さない人間の方がずっと多い。
受け入れられるより偏見の目を向けられることの方が多いからだ。
「で、どうなの?」
「俺、今日初日なんですけど、何でそんなこと聞かれてるんですかね」
「えっと……」
持田はぽりぽりと頭を掻いた。そしてにかっと笑って答えた。
「単純に……気に入ったっていうか、タイプ…?」
「……はい?」
「だから、橋口くんが……フリーだったらいいなって、そういう願望?」
柾は箸が落ちた音で我に返った。本当に漫画のようなことがあるんだ、と持田の顔をまじまじ見てしまった。
一目惚れなど、したことはあってもされたことはない。
そして同時に、史とのことを言うべきではないと直感で感じた。
「三澤さんとは…何でもないです。それに、今は新しい仕事で一杯で、そういうことはちょっと……」
「だよね!初日にそんなこと言われても困るよね、ごめんごめん」
「……すみません」
「いいのいいの、それより仕事で困ったことがあったら何でも言ってよ。少しは助けられると思うし…友達としてさ」
(めんどくさい人に捕まったな…)
一方的にまくしたてた持田と別れて、柾は喫煙室に向かった。
喫煙室、と聞くといろいろ思い出す。そして煙草でも吸わないと、起きたことの整理がつかない。
引き戸を開けると、煙たい空気が籠もっていて視界が悪い。中には四人の先客がいた。
入り口の近くの壁に寄りかかって煙草に火をつけた。大きく吸い込んで、煙を吐き出した時、どこからか刺すような視線を感じた。
喫煙室の一番奥から、その視線は注がれていた。
眼光の鋭い、体格のいい男。少しきつそうなスーツが、筋肉質な身体を無駄にアピールしている。腕を組み、眉根を寄せて、柾を見ている。
赴任したばかりの柾に、もちろん覚えはない。持田といい、この不躾な視線といい、今日は一体なんなんだ。
柾がその視線を無視して、一本煙草を吸い終わる頃、その男も灰皿に吸い殻を押しつけた。柾が喫煙室を出ようとするより早く、男は出口に向かった。
柾は男がゆっくりと歩いて前を通り過ぎるのを待った。
と、男が足を止め、柾が首から下げたIDカードを一瞥した。柾の名前を確認すると、ふいと顔を背けて男は喫煙室を出て行った。
そのあとに続いてにぎやかに三人の男たちが出て行った。
言葉に言い表せられない嫌な予感を振り払うように、柾は早足で営業部に戻った。
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