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第14話
翌日の終業間近、史が受けた一本の電話。
「人事部、三澤です」
「…もしもし」
たっぷりと間を取る。声に覚えがある気がしたが、顔が思い浮かばない。
「三澤さん、初めまして。僕、営業部の持田といいます」
昨日の過呼吸を思い出して、一瞬息苦しくなる。史は落ち着いて息を吸って、吐き出した。
真っ向勝負のつもりか。いい度胸だ。受けて立ってやる。
「どういったご用件でしょうか」
「社内電話で申し訳ないです。お話したいのはちょっと個人的なことなので、よろしければ直接お会いできませんか?」
社内電話で、と自分で言っておきながら会いたいとは不躾な男だ。
業務時間内なら、側に柾がいるのではないか。携帯電話を取り出して、メール画面を呼び出す。
「直接…ですか?」
「ええ。電話だとちょっとお話しづらいので」
「……どちらで?」
「お時間は取らせませんので、そうですね…17:30にメインロビーはいかがです?」
人の行き来の多いところなら、感情的にならずに済むと踏んだのか。要するにそういう話をするつもりなのだろう。史は舌打ちしたいのを抑えて、冷静に答えた。
「わかりました」
「お待ちしてます」
受け答えがやたら明るく余計に腹立たしい。電話を切ってすぐに、史は柾にメッセージを打った。
『持田から電話あって、17:30にロビーで会う』
無意識に持田、と呼び捨てにしているあたり、我ながら相当頭にきているんだな、と史は思う。
送ったメッセージにはまだ既読がつかない。が、今日は確かに携帯を持ったのを、家を出るときにお互い確認している。
何を話すというのか。
噂の真相でも聞き出そうというのか。
それとも、柾が外泊した時のことを詳しく伝えようとでもいうのか。
どちらにしても気分の悪いことには違いない。
ロビーには、少し早く着いた。
退社する人間と、ビルに戻ってくる人間が賑やかに行き交う。
柾に送ったメッセージは、まだ既読がつかない。忙しくしているのかもしれない。
持田に対して多少の不安はあるものの、相手が白崎ではないので大丈夫だろう、と史は自分に言い聞かせた。
そう言えば、史は持田の顔をしっかり見たことがない。
おそらく向こうは、わかっているのだろうが。
「三澤さん」
背後から、まるで以前から知っているくらいの明るさで呼ばれる。振り返ったそこには、柾と同じくらいの上背のある、にこやかな青年が立っていた。年齢は史と同じくらいだと聞いていたが、ずいぶん若く見える。
「はじめまして。営業部の持田です。お待たせしました」
「いえ、私も今来たところです」
史はビジネスライクに、私、と答えた。あえて握手は求めなかった。
持田の、目だけが笑っていない作り笑顔が気持ち悪かった。
「私に話したいことというのは?」
さっさと終わらせたい。史はすぐに本題を切り出した。持田は予想していたのか、スーツの胸ポケットから携帯を出した。
そして、液晶画面を史に向かって差し出し、言った。
「昨日、見かけてしまいまして」
持田の携帯電話に映し出されていたのは、過呼吸を起こして倒れた史を支える柾の背中。
絶句する史の前で、持田の指が画面をスライドさせる。
そのあと柾が史を抱えて資料室に入っていく様子、回復して、それぞれが時間差で出て行く様子、史の後ろ姿を心配そうに見送る柾の姿までを、持田は丁寧に史に見せた。
柾が体調の悪い友人を介抱していただけ、とは言えない距離の近さがしっかり映っていた。
「初対面なのにいきなりすみません。でも…橋口くんから聞いてますよね?僕のこと」
「……どういうおつもりですか」
「まず、噂が本当だったんですね、という確認をさせていただこうと思いまして。これは、言い逃れできるレベルじゃありませんよね?」
画面から持田の顔に視線を移して、史は冷ややかに言った。
「どういう噂が流れているのか存じ上げませんが、何か業務に差し障りがありますか?営業部に苦情でも?」
史は両手をスラックスのポケットに突っ込んだ。
業務中に、史はこういう仕草はしない。冷たい表情のせいか威圧感があるからやめた方がいいと、かつての同僚に言われたことがある。
今はまさに、それを活用するときだ。
「そうおっしゃるだろうと思いました。業務は関係ありません。ごく個人的なことです」
持田は携帯をスーツの胸に仕舞い、声のトーンも落とさずに言った。
「三澤さんと橋口くんは、恋人関係ですか。それともセフレ?」
幸い、ロビーを行き交う人々はそれぞれの行き先に急いでいて、会話に聞き耳を立てる人間はいない。
黙った史に、持田の笑顔が消えた。
「そんなんじゃない、とは言える状況じゃありませんよ、三澤さん」
「……なぜ、初対面のあなたにプライベートなことを言わなければなりませんか?」
「その、プライベートなことを知りたいからです。先週末、橋口くんと飲みに行きまして…三澤さんとの関係について聞いてみたんですが、きっぱり否定されました」
柾は嘘がつけない。思っていることが表情に出る。それがいいところでもあり、欠点でもある。
持田に問いつめられて、必死に隠したに違いなかった。
「じゃあ大丈夫かなって部屋に誘ったんですけど。次に会ったら、やっぱり好きな人がいるから忘れてくれって言われちゃって…ひどいと思いません?」
「……私に何を言わせたいんです」
「会社に隠して、問いつめられても認めない……でも、二人は密かに愛し合ってました、とか…虫唾が走るんですよ」
持田の顔が歪む。
この仄暗い表情に覚えがある。最もやっかいな、裏表の激しいタイプ。
史は思い出した。
この男、白崎と似ている。
持田はおもむろにスーツの前ボタンを開けた。そして言った。
「見覚えありません?これ」
濃紺のタイと白地にストライプが入ったワイシャツ。その下のライトグレーのスラックスのウエストに巻かれた黒いベルトに見覚えがあった。
朝帰りした柾のウエストには、ベルトがなかった。
持田は、挑戦的に微笑んだ。
「僕、橋口くんがどストライクなんですよね。三澤さんが、橋口くんとのことを飽くまでも認めないなら、本気で奪いに行っても構いませんか?」
史の冷ややかな視線を避けもせず、持田は言った。史が答えずにいると、ふっと笑って、それじゃあ、と背中を向けた。
史は頭の中でぷつり、となにかが千切れた音を聞いた。
「……誰が、認めないと言った?」
持田が足を止めた。そして満面の笑顔で振り返った。
「認めるんですか?」
「……何を考えてるんだか知らないが」
史は口調が強くなるのを止められなかった。本当なら襟首をつかみ上げてやりたいところだ。
持田に一歩近づく。
「そんなに奪いたいなら、やってみろ」
「いいんですか?」
「……選ぶのは俺じゃない」
「選ばれる自信があるってことですか。流石ですね」
「これで話が終わりなら、失礼する」
「……楽しみにしてますよ、三澤さん」
持田は、口の端を吊り上げて不気味に笑った。
史は、持田と逆方向に歩き出した。
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