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第15話
『持田から電話あって、17:30にロビーで会う』
そっけないメッセージだが、それが史の精一杯だと柾は知っている。
無駄なことを書かない、絵文字も使わない、恋人に送っているとは到底思えないビジネスライクなメッセージ。
その中に、柾にしかわからない史の不器用な愛情がある。
一日外回りだった柾のスケジュールを知っていて、持田は史を呼び出したのだろう。
メッセージに気づいたのは、17:45だった。直帰の予定を取りやめて、急いで会社に戻る。
何を言うつもりなのか。
これ以上邪魔をされるのはごめんだ。たとえ持田と直接対決することになっても、史との関係には立ち入れさせない。
会社の前でタクシーを降り、ロビーに向かって走り出した途端、柾は何かに顔面から激突した。
「すいませ…」
鼻を押さえながら謝った柾の目に飛び込んできたのは、いつかの喫煙室で不躾な視線を寄越した男だった。
謝ったというのに微動だにせず、むしろ不機嫌な様子で柾を睨みつける。
こんな男にかまっている暇はないと柾は会釈をして歩きだそうとした。
「あんた、営業の橋口くんだろ」
初めて言葉を交わす相手に「あんた」はないだろうと思いながら、柾は立ち止まった。その男は愛想笑いもせず柾を見ている。
あの史だって、初対面の相手にはもう少し柔らかい顔をするよな、と考えてはっとする。
「そうですが、今急いでいるので」
男の胸から下がるIDカードがちらりと視界に入った。
人事部。史の同僚。
嫌な予感しかしない。
間髪入れずに、男はずいと携帯電話の画面を柾の目の前に突き出した。
そこに映し出された画像に、柾は呼吸が止まった。
昨日の自分と、史。
過呼吸を起こした史を資料室に運ぶ姿。
写真に撮られていたなんて気づかなかったし、そもそもこの知らない男がどうしてこれを持っているのか。
わけがわからない。冷静に考えようにも、心臓が早くてうまく考えられない。
男が言った。
「この人の男か、あんた」
「……すみませんが、名前も存じ上げない方に答える義務はないかと」
「人事の白崎」
どこまでも失礼な男に、うっかり柾はつかまってしまっていた。
こいつが、史を。
ただでさえ苛ついていたところに、名前を知って柾は押さえられない衝動が沸き上がるのを感じた。
「……人事部の白崎さん、申し訳ないですが急いでいます。急いでいなかったとしても、個人的なことを答える義務はないと思いますので」
「札幌まで追いかけてきたらしいな」
「失礼します」
「ここは東京と違って、あっという間に噂が広がるんだよ。ホモとか、そういうやつが」
あえて差別用語を使うところに白崎の薄汚い性格がにじみ出ていた。
この場を立ち去るのを諦め、柾は言った。
「噂でしたら聞いています。ですが、その写真は体調を崩した三澤さんにたまたま会っただけで、関係ありません」
「……噂については否定しないのか?それじゃ認めたも同然だぞ」
史はカムアウトに反対していた。しかしこれはもう、露見したも同然だ。
「業務に支障はきたしていません。どのように推測されようと構いませんが、このように失礼な言われ方をしたことについては、忘れるつもりはありませんので」
口調を荒げずに、相手を威圧するやり方は、史に教えて貰った。果たして威圧できているのかはわからないが、柾は今度こそこの場を立ち去ろうとした。
「あんたにゃ無理だよ。手に負える相手じゃない」
柾は知らずに舌打ちした。怒りは最高潮に達していた。
「……は?」
口調を荒げない作戦はどこかへ行ってしまった。もとより白崎は初めから威圧的で、柾がどれほど冷静を装っても通用する相手ではなかった。
「東京に居たんなら聞いたことあるだろ?三澤晃史の華やかな男性遍歴」
頭の中のぶつり、とキレる音と同時に、柾は白崎の胸ぐらを掴んだ。
札幌に移る時点で、史、と名前を戻している。晃史という名前を知っているということが、柾の気持ちをざわめかせた。
体格のいい白崎はびくともしないが、流石に目を見開いて驚いた顔をしている。
「……いい加減にしろっ…」
「やっと本性を現したか」
「…それ以上言ったらぶっ飛ばす」
白崎は柾の手を掴んで、乱暴に振りほどいた。柾と白崎は仁王立ちでしばらく睨み合った。
「そのぐらい本気になってくれたほうが面白い。俺は難攻不落の城を落とすのが好きでね。せいぜい頑張って守ってくれ、将軍」
殴ろうと振りかざした柾の拳を白崎が真っ直ぐに掌で受け止めた。
白崎を改めて睨みつけ、止められた手を払い落として、柾は背を向けた。白崎の視線を背中に感じながら、早足でロビーに向かう。
時刻は18:00を過ぎていた。
ロビーには、史の姿はなかった。
柾のスーツの中で、携帯の呼び出し音がなった。マナーモードにしておくのを忘れていた。
液晶画面に表示された名前に、わたわたしながらタップする。
「はいっ、もしもしっ」
『柾?』
「はい!史さん、今、どこですかっ?無事ですかっ?」
『……大丈夫。これから帰るところなんだけど…』
すべてを聞かなくても、口調と間で、史が何を言いたいのか柾にはわかる。話すテンポが少しゆっくりで、家に居るときに近い。すぐに答えた。
「裏の通用口で待ってます!」
『……うん。15分後には…行くから』
電話を切って、ほっと胸をなで下ろした。持田が何をしたかは帰ってから聞かなくてはならないが、声の感じではとりあえずは大丈夫そうだ。
しかし、いつも別々に帰るようにしていたが、史から誘いがあったということは、多少の不安があるのかもしれない。
柾は急いで、通用口に向かった。
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