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第16話

「あの……どこ行くんですか?」 史は待ち合わせ場所につくなり、家とは反対方向に歩き出した。柾はあわてて後をついて行きながら尋ねた。 「買い物」 「え?あ、今日の夕食分だったらストックが…」 「違う」 「え?あの、史さん?待って待って」 史は必死に追いつこうとする柾の顔を見ないようにしていた。馬鹿げていると思う。こんなことをしなくても、柾は変わらず自分だけを見つめていてくれるのに。 「何を買うんですか?史さんが買い物に行きたいなんて珍し……」 「ベルト」 「べルト?」 「一本、失くしてるだろ」 柾が、あっ、と言って立ち止まった。史も立ち止まり、振り返った。 背中を丸めて下を向いた柾に史は近づいた。情けない顔をして、柾は史を見つめ返した。 史は言った。 「持田に会ったよ」 柾のしゅんとした顔がとたんに緊張して、ぐっと瞼が開いた。 「柾の忘れたベルト、わざわざ締めて来て、僕に見せてきた」 「な…っ、え…っえ?!」 ああいう奴は、どうすれば一番相手の気持ちを逆撫で出来るかをよく知っている。そして、残念なことにそれが史には見事に効いていた。 「か、返してもらいます!明日必ず…」 「捨てろ」 「え?」 柾は目を丸くしたり青くなったり面白いくらいに表情がころころ変わる。史の横にぴったり寄り添って、今にも腕を絡めそうな勢いだ。 「新しいのを、僕が買う」 「え、あの、そんな、悪いです、大丈夫です」 「悪くない。僕が買いたいから買うんだ」 「でも、家に何本かありますし、買わなくても」 「いいから!」 思わず大きな声が出て、史は口を押さえた。もう少しうまく言えないものかと、自分が嫌になる。柾相手だと、調子が狂う。 ぼそりと史は呟いた。 「……嫌なんだ。そんなことと思うかもしれないが、あいつが勝手にお前のものを締めてたのが、腹が立って仕方がない」 柾をお前、なんて呼んだことはなかった。 単純に、持田が柾のベルトをしていたのが嫌だっただけじゃない。 史は、知らない男が、柾に触れたのがずっと許せなかった。 柾の頬がじんわり緩んだ。嬉しそうな柾から史は目を逸らして続けた。 「……笑うな。わかったら黙ってついてこい。ブランド物だろうと何だろうと構わない、好きなのを買ってやる」 史は嫌な言い方をしてしまったことを後悔した。しかし柾は気にする風もなく、歩き出そうとした史の手を掴んだ。腕ではなく、手を。 史は焦って、おい、と口走った。 大の男がふたり、手をつないで歩くなんてありえない。 「史さん」 「柾、手、離せ…」 「これ、欲しいです。…買うんじゃなくて」 柾は史を引き寄せて、史のウエストに触れた。正確には、史のその日締めていたベルトを。 「柾…?」 「これがいいです…史さんが今締めているやつ」 「これ…でいいのか?それほど良い物じゃないけど…」 「はい。俺の史さんが、身につけているものが欲しいです」 俺の、という言葉に火照る顔の熱さを感じたが早いか、史は柾に手を引かれて無理矢理歩かされていた。歩く、というより走っていると見える早さだ。 「おいっ…柾、ちょっと…」 「帰りますよっ」 「わ、わかったから、そんなに急がなくても…」 「急ぐんです!史さんが悪いんですからね!」 「悪いって…」 「可愛いこと言うからです!そのベルト、今すぐ外したくなったじゃないですか!」 「馬…馬鹿!」 柾は史の手を引き止まることなく家まで走った。 玄関に飛び込んだ史は、ひどく息が切れていた。膝を押さえて柾を見上げると、同じく息をが上がった柾が微笑んでいた。 「ノンストップで走るとか……本当に、何考えて…」 抗議を無視して柾は史をベッドに引っ張っていき、当然のように組み敷いた。そしてまだ呼吸が荒いその首筋に顔を埋めた。唇をつけると、史があわててもがく。 「スーツを脱ぐ時間ぐらいくれ…」 「ここまで我慢したことを誉めて欲しいぐらいですよ」 「そんなこと言って、いつも…こうやってなしくずしに…」 「今日は史さんが悪いんですよ……可愛いから」 史は柾の体を押し返した。が、すぐに柾がこらえきれない、と言いたげな切ない顔を史に近づける。全身の血液が顔に向かって集合する。史は言った。 「可愛いって…馬鹿言うな」 「可愛いですよ…史さんが知らないだけで」 柾は史に口づけた。髪を撫で、腰を抱き寄せる。 抵抗していた史の、腕の力が抜ける。そして、史の方からも柾の肩に腕を回す。 史は柾に口づけを返した。柾のネクタイの結び目を引っ張って、解く。 珍しい史の行動に、柾が目を丸くした。ネクタイが解けると、しゅるりと首の後ろから抜き取り、史はそれを床に放り投げた。 ボタンをもどかしそうに開けると、史は柾の鎖骨に唇を寄せた。軽く歯を立てられて、柾は焦った。 「ち…かしさん?」 「持田が、君を僕から奪うそうだ」 「はっ?!」 「だから…僕のものだっていう印をつける」 そう言うと、史は改めて柾の首筋を強く引き寄せて、唇をつけた。柾は目を見開いて、恋人の頭を抱きしめた。こんな史を、見たことはなかった。 柾の身体に食い込むほど爪を立て、瞼を閉じて甘噛みする史は、柾には怒っているようにさえ見えた。 「史さん…」 「……独占欲が強いと言っただろう」 「はい」 「もう、誰にも触らせるつもりないからな」 「……はいっ…」 柾は史のネクタイを緩め、ワイシャツの前をすべて開けた。 柾の舌の熱さに、史の上半身が鞭で打たれたように弾ける。史の漏れる吐息を聞いて、柾は言った。 「……俺も……今日、白崎さんに…会いました」 「え……」 「史さんを……落としてみせる……みたいなこと、言われました」 史の答えを聞かずに柾は唇を合わせた。睫が触れるほどの距離で、目を離さないで柾は言った。 「俺も痕つけたい…見えるところに、たくさん」 「……いいよ」 「えっ」 「え?」 「本当に…?」 「つけたいんだろ?」 柾は口づけしながら、不器用な手つきで史の服を全て取り去った。

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