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第3話
「ここか……」
後日、俺はマンションの前に立っていた。
マンションのエントランスで打ち合わせするスペースがあるので、と伝えられてはいたのだが、思っていた以上に豪華なタワマンだ。平日昼なので、そこまで人もおらず、駅直結のマンションロビーの中を覗き込むと、そこにはカナデ先生がいて、中から扉を開けてくれる。
「本日はよろしくお願いします」
「こんにちは」
穏やかな笑みで俺を迎え入れてくれるカナデ先生は、コミケ会場と見た時とは違い、かなり爽やかで、かつ、やはりかなりの美形だった。あの暑くるしい戦場の中でも「うわ」とその美形ぶりに驚いたものだが、こうやって普通にカジュアルな格好をしていると芸能人のように目立つ気さえする。
「別に俺の部屋まで上がってもいいんですけど、猫がいるのでどうかなと思って。アレルギーとか大丈夫ですか?俺に毛がついちゃってるかも」
「全然!猫めちゃくちゃ好きです!実家でも犬猫飼ってますし」
「えっ、そうなんだ。いいな。俺も犬猫で飼いたかったんだけどね。相性がどうなるか気になっちゃって、先に猫買っちゃったから無理かなあ……」
そんな話をしながら、先生はこっちとってるんで、とマンションロビーの奥にあるデスクに俺を連れて行ってくれる。そこはいくつかのテーブルがあり、簡単な打ち合わせやワークスペースになっているようだった。
「ずっと部屋にこもりきりなんで、打ち合わせぐらいはここで……カフェとかでもよかったんですけど、俺、結構雑音でしんどくなる時があるので。ここまで来てもらってすみません」
「いえ!嬉しいです」
前のめり気味に全てを返していると、カナデ先生がふっと笑う。
「日下部さん、どの作家さんにもそんな感じ?出版には少し珍しい感じですね。特にこっち系のレーベルだと。いや、まあ、俺、BLはあんまり縁がないけどさ」
「周りは女性が多いですからね……珍しいとは思います」
「まあ、そうでしょうね。T出版さんの最近のだと……どのあたりの担当につかれてるんですか?」
「このオメガバースシリーズと……」
「ああ、これ!独自設定入ってて面白かったな」
「読んでくださってたんですか!あと、この獣人ものとかも」
「これ、広告で気になってたんすよねー引きが上手いなって思って」
そんな世間話から話をしていると、あ、そうだ、コーヒーあるんで、とカナデ先生がマンションの受付のようなところ(コンシェルジュがいるらしい)にコーヒーを頼んでくれた。それを飲みながら、この状況にふと我にかえる。
(なんか別世界の人だなー)
カナデ先生は商業はあまり受けないらしい……と聞いていた。
百合関連の出版が商業ではあまりメジャーでないのもあるが、基本的には同人誌で全て出版している。たまにキャラクターデザインやカラーイラスト系の仕事はしているようだが、夏冬のコミケにて長編個人誌を出版してくれるので、基本的にはそれに集中しているようだ。なので、出版関連のコネでも営業かけるの難しいと思うよ、と言われていた。なので、俺は今とても緊張している。
(だが!しかし!どうしても、カナデ先生の描くBLが読んでみたい!)
これは俺の願望でもあるが、きっと世間だってカナデ先生の描くBLの世界を見てみたいはずだ!なぜか俺はそんなことを思いつつ、信念と野望と欲望のために、かなりの気合を入れてここに座っている。
「で。お話なのですが」
「はい、金銭面の条件はこのあたりに記載しているのですが……」
「お金の話の前に、ちょっと聞いておいて欲しいことがありまして」
「あ、はい!なんでしょうかっ?」
前のめりにそれを聞くと、またカナデ先生はクスクス笑って、いや、多分無理かもしれないんですけど、と俺に言う。
「絵柄を変えさせてください」
「……はい?」
「この前もお伝えした通り、俺の読者さんには一定数BL嫌いがいるんですね。まあ、俺はツメアマなので日下部さんにはバレちゃったわけですけど。なので、ちょっと同じ名前・同じ絵柄で別ジャンルを描くわけにはいきません。俺はこっちの活動も続けたいので」
「なるほど。それはそうですよね……」
確かに。俺は漫画全部が好きなので、ジャンルは完全なる雑食だが、世間にはカップリングと同様に趣向固定の読者もたくさんいるわけで。特にカナデ先生は創作同人という世界を活動の場としているので、作家本人についているファンも多い。俺をはじめとする熱狂的カナデファンの中には、もちろんそういう人もたくさんいるはずだ。
愛するカナデ先生の活動の邪魔はしたくない。しかし、カナデ先生のBLを読んでみたい!
そのせめぎあいの中、そもそも絵柄を変えることなど可能なのか?と思ってしまった。その思考を読んだのか、カナデ先生が、タブレットでこういう感じなんですけどね、と俺にその画面を見せる。
「これ………」
「絵柄が全然違うでしょ?もう随分前の作品ですが、俺、一応BLも書いたことがありまして……」
「こ、これは……20XX年●●夏号、特集「夏の悪戯」掲載の読み切りではないですか!?」
「……え?」
俺はそのタブレットの中の漫画を知っていた。俺がすらすらと雑誌名を答えたのに、カナデ先生はキョトンとして、そうですけど……と答える。
「……は、羽瀬カオルさんって、カナデ先生だったんですか……?」
そう告げると、カナデ先生は、そうです、と苦く笑った。
やっぱりカナデ先生は、俺の「神」だったらしい。
その漫画は……俺がBLにはまったきっかけとなったものだったのだ。
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