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第4話
「おおお、お邪魔します!」
「はい、どうぞ。すみません。散らかってますけどー」
「いえ!」
めちゃくちゃ綺麗ですけど……と突っ込まずにはいられない。何度かまだアナログ原稿の作家さんの家に上がったことがあるが、こんなに綺麗な漫画家の部屋があるだろうか?
「仕事部屋と書斎が続きなので……物が多くてすんませんね」
「は、入ってもいいんですか!?」
「どうぞー」
打ち合わせで衝撃の事実を知ってしまった俺がキモチワルイオタク全開で話していると、雑誌休刊で掲載の叶わなかったもう一作のBLの存在を知ることとなった。当時はアナログ原稿だったから、原稿ありますよ、の言葉に泣いて訴えそうになっていると、カナデ先生は俺を部屋に上げてくれることになったのだ。
「あ、ミウ。お客さんだから」
足元に毛並みの整った黒猫がいた。警戒しているようなそぶりを見せる猫だったが、あまりに愛らしい目元に思わず目元が緩む。ミャアと鳴いたその声があまりにか細くて、うわあと声が出た。
「め、めちゃくちゃ可愛い……」
「人見知りするから手出すと危ないっすよー」
「わかってます!うわー……超可愛いっすね。女の子ですか?」
「そうそう。俺が一人暮らしし始めてから飼ったから、姉貴たちにもなかなか馴染まなくてねー。まあ、今はしゃあなしって感じだけど。この家の主だと自分で思ってるから」
そんな話をしながら、こっちですとリビングを抜けて部屋に案内される。ってか、この家、何部屋あるんだ?
「う、わー!」
「ちょうどカラーの仕事終わったところで、空いてる時期なんで……やっと夏コミも終わったし」
「お疲れ様でした!」
部屋にはディスプレイが二つと液タブが配置された作業机、そして、あの、あれだ。高い椅子!そして、その奥にスライドドアが二つあり、一つは寝室、一つは書斎につながっていた。
「アナログ時代の原稿、このへんに……ああ、あった」
「!!」
俺が部屋に圧倒されていると、カナデ先生が「これ」と茶封筒を渡してくれた。俺は震える手でその紐を解き、中の原稿を取り出す。
(な、生原稿……!しかも、アナログ……っ)
「BLで同人にしても良かったんだけど、その翌年から百合が軌道にのっちゃって。まあ、今思い返してみても拙いんですけど」
「……」
カナデ先生の言葉を横に聞きつつも、その場で正座して読み始めてしまった。ここ座ったら?とも言われた気がするが、もう移動する気にはなれない。紙面にしか思考がいかない。
「……まあ、俺のBLはそんな感じです」
俺の手が最終ページにかかっても、何度もまた1枚目に戻るので、いい加減焦れたのだろう、どうっすかねーとカナデ先生は俺に聞いてきた。
「いや、素晴らしいです……BLにはまった時のことを思い出しました……っ」
「まあ、あの作品もテイストはそれと同じ感じですからね」
「あっちは夏という「一夏の」感で感動したのですが、この冬テーマのものも素晴らしく……なんとも言えない、この寒さからくる人肌恋しさというか、それでいて、少年の気恥ずかしさも表現されており……!」
自分から出てくる言葉にハッとして見上げると、カナデ先生が自分のデスクチェアに座りながら、面白そうに俺を眺めていた。思わず、すみません!と立ち上がって原稿と封筒を返す。
「つい……つい、一読者としての感想を!」
「いや、嬉しいっすよ。結局出してない原稿っすからね。まあ、これ使うわけにはいかないけど。コマ割りも絵も古すぎるし。けど、絵柄や頭身はこっちに寄せて書きます。顔とかも」
そこまで言ったカナデ先生は、そっちどうぞ、と俺に壁沿いのソファーを勧めた。そして、俺の隣に座ると、率直に聞きますが、とその原稿たちをまためくった。
「この絵柄だと古すぎるんで、それこそ、さっき見せてもらったオメガバースみたいな……目元に特徴ある感じには修正します。ただ、顔面バランスはこれベースか今書いてる男性向けじゃないと手が遅くなるので。それでどうでしょう?」
「とてもいいと思います!俺、いや、私はこの絵柄もすごく好きなんですけど……」
「でも、今の俺のくせもまだ残ってるんで。ちょっと模索させてください」
そこまで言ってから、カナデ先生は、あと……と付け足した。
「これじゃ、今の誌面には載せられないですよね?」
「え?」
「エロないんで」
「あー……」
俺はしっかりと読後感に浸っていたのだが、確かに二作ともR18シーンがなかった。少年から青年にかけての変化、心情のやりとり。少し不思議な体験……そんなストーリーにグッと惹かれていたのだけれど。いや、もともとカナデ先生は百合でもそういうシーンはほぼ書かないので、なくても編集部内では俺が通す!という勢いでいたのだが、レーベル上、R18がないのはなかなか厳しいのも事実。
「なくても大丈夫なようにできるとは思うのですが、うちのレーベルの読者層がR18を期待しているのは確かでして……」
「そうですよね。まあ、T出版さんはそこまで汁ダク感はないかもしれませんけど。最近のBL広告見てもすごいなって思うし。それはTLもか」
「すみません……」
「いやー、実はそこがネックなんすよ。俺、この二作書いたときにも、どーしてもエロシーンかけなくて。まあ、当時はそこまでBL読んでなかったからっていうのもあるかもしれませんが。なんかね、自分が男だからかなー。ファンタジー感にどうしても筆止まっちゃってなー」
「えっ、そうだったんですか……」
「女体は、まあ、俺らからしたらファンタジーだから。逆に書けたというか。まあ、俺は心情変化やモノローグ描きたかったから当時は良かったんだけど……当時の担当にもシーン入れられないかって言われてたし、俺以外はそこそこそういうシーンあったからね。まあ、今ほどエロエロじゃないけどさ」
「そうですね。確かに……」
俺がBL漫画に出会ったのは入院中の病院でだった。野球の試合で大きな怪我をしてしまい、入院・リハビリ中、よく談話室に行っていた。そこでは病院から提供されている本以外に入院患者が置いていった本なども自由にやりとりできるようになっていた。まあ、簡単なリサイクルスペースのようなものだ。たまたま手に取った漫画雑誌をいくつか病室に持って帰って読んでみたら、少女漫画だと思っていたそれは季刊のBLアンソロジーだったのだ。最初から嫌悪感はなく「あ、クラスの女子がきゃあきゃあ回し読みしてたようなやつか?」ってなぐらいの知識はあったし、母親が少女漫画が好きだったから、それと同じ感じで適当な箇所から読んでみた。……それが、羽瀬カオル先生の読み切り。カナデ先生が昔書いたBLだった。短い読み切りだったが、繊細な心情の揺れ動きがちょっとしたエピソードで丁寧に描かれていて、今の彼の作風にも通じるとこ路がある。何よりもモノローグの言葉の使い方が素晴らしかった。……そこまでの共通点があって、どうして気づかなかったのだろう。絵柄があまりに違うので仕方がないといえばそうなのだが、確かに語感やリズムには共通しているところがあり、気づけなかった自分を恥じた。
(いや、しかし……こんなところで神と神が一致するなんて……!これは運命としか思えない!俺は何としてもカナデ先生にBLを描いていただきたい……!)
エロシーンの有無は無しで通せるように企画を練りますので!と言おうとした瞬間、日下部さんってさあ、とカナデ先生が俺を覗き込んでくる。
「腐男子だよね?」
「はい?はい!そうです!立派に腐ってます!」
食い気味に答えると、カナデ先生はふっと笑って、俺の顔を覗き込み、
(いや、近っ!?)
え?と思った瞬間には、そのまま唇を奪われていた。
呆然としている俺に向かって、ねえ、とカナデ先生は笑う。
「じゃあさ、男としたこと、ある?」
その質問の答えのように、ミウがか細く、ミャアーと鳴いた。
***
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