13 / 13
きみはけだもの#3
その日の夜、村瀬は九時前に帰宅した。
顔色が悪かった。唇を結んでいる。怖いくらいだ。出迎えた坂木が心配そうに顔を覗きこんだ。
「お帰り、せいちゃん。疲れたのか? 顔が怖い」
「ちょっと、いろいろありまして」
「晩ごはんは冷やし中華だよ。あ、それから、実は今日、城島さんと藤堂さんがうちに着て……」
かっ、と村瀬が目を見開く。坂木の肩をつかんで揺さぶった。
「なにかされましたか? 大丈夫ですか、倫太郎さん!」
「だ、大丈夫」
がくがくと揺さぶられつつも、坂木は空元気を出して笑った。
「きみのお父さんの居場所を知らないか、って訊かれて。知らないって答えた。城島さんは、お父さんに一年前になにか頼み事をしてたらしいんだ。イギリスで。そして、組員にならないかと誘ってるって。でも、お父さんは行方をくらませてる。居場所がわかったら教えてほしいけど、急ぐことじゃないからって言って、帰っていったよ」
「そうですか」
村瀬の顔に表情はなかった。口の端で笑う。
「急ぐことじゃないというのは嘘ですよ。逃げられて、あしらわれて、面子が立たないに違いない。だが、父は姿をくらませるのが上手いから」
それから玄関に佇んだまま、坂木の目を見つめてこう言った。
「今日、父に会いました」
「え……!?」
「仕事中、父から電話が掛かってきたんです。『おまえの仕事が終わってから会えないか』って」
「せいちゃんの連絡先は知らないって言ってたけど」
「ええ。だから出向先の警察署に掛けてきたんです」
呆れたように笑った。顔が苦しそうに、わずかに歪んだ。
「さっき、会ってきました。たいしたことは話しませんでしたが。……ただ、母が死んだことに触れて、『死んで悲しくないか?』と訊かれました。おれが黙っていると、『おまえは昔から冷血だったな』と」
「せいちゃんは悲しんでるんだ。お父さんはなにも知らないんだよ。そんな人の言うこと、気にしないほうがいい」
怒りをあらわにする坂木に、村瀬の顔の強張りが少しだけとれた。まっすぐに坂木を見る。
「ありがとう、倫太郎さん。……おれ、父から電話が掛かってきたあと、リッチモンド警部と県警に連絡しました。おれの周りに張っていれば、父を捕まえることができると。おれと別れたあと、おそらく父は捕まったでしょう。任意で事情を聞かれることになるはずです」
表情のない顔で笑う。
その顔を見ていることが、坂木はつらくてたまらなかった。
村瀬の体を抱き寄せる。
「っ……」
一度、腕の中で身をよじり、痩せた体は大人しくなった。坂木がぎゅっと抱きしめる。
「そうか。せいちゃんは、よく頑張ったよ」
「……はい」
「身内を警察に引き渡すこと、つらいことなのに、よく頑張った」
腕の中で村瀬がかすかに笑った。
「あの……倫太郎さん」
「ん?」
村瀬は一見、文脈とは関係ないことを言った。
「城島は、元警察官です」
「え……!? そうだったのか。あ、そういえばせいちゃん、前おれが『刑事やってたら清らかな路を歩けるな』って言ったとき、『刑事にもいろいろいますけどね』って言ったのは、城島さんのことを指してたのか」
「ええ。組織犯罪対策部の、マル暴の刑事でした。もう五十年は前の話です。闇と闘う刑事だったのに、いつのまにか闇に引きずり込まれたんです。おれは、そんなふうになりたくない。自分の闇を見つめて、闇を殺して、闇に侵されない刑事になりたかった。だから、父が闇の人間であることも許せない。自らの闇を御せない人間はクズです。おまけに、母を殺した。おれは、父を滅ぼすつもりです」
村瀬の顎が震えている。坂木が強く抱き寄せた。
「お母さんの敵討ち? それとも、『皆殺しの天使』としての意地か?」
「おれは多くの人間を法的に殺してきました。そいつらを殺す闘いは、自分の闇を殺す闘いでもあった。倫太郎さん、おれ……」
体を離し、坂木の目を見つめる。騎士の目は潤んでいる。それでも、眼差しは鋭く強い。
「おれ、倫太郎さんに、その闘いを見届けてほしいんです。かまわないでしょうか」
「ああ。せいちゃんの闘う姿、見届けるよ」
強面が緩む。坂木の両手を握って笑った。
この子は、考えてないんだな。お父さんになんらかの罪があるとわかったら、自分の立場も危うくなることを。いや、わかっていて、闘うというのか。
死を覚悟で敵に突っ込んでいく天使の雄々しく痛々しい姿が坂木の胸を打つ。支えてやりたいと思う。悲壮な姿が美しくて、頭を撫でたくなる。
「よしよし。疲れただろ。ゆっくりごはん食べような」
なでなで、と頭を撫でると、村瀬は顔を緩めてはにかんだ。泣きそうなその顔に、どきっとする。
可愛いなあ。
ふと、泣き顔が見たいと思ってしまうのだ。
無言になった坂木に、村瀬が不思議そうな顔をする。
「倫太郎さん?」
「……あのさ、なんか、せいちゃんの泣き顔も見たいなって思っちゃったんだけど」
意地悪しちゃだめだよなーと笑う坂木に、村瀬の頬が赤く染まる。目を伏せた。
あれ? あれれ? 可愛いんだけど。いや、父性だろ? 胸に手を当てて考えてみろ。
左胸に手のひらを押しつけ、眉間に皺を寄せ、「んんー」とうなる。村瀬は視線を上げ、「倫太郎さん?」とまた不思議そうだ。ぱちっと目を開けた坂木は真剣な顔だった。
「せいちゃんは、泣くと色っぽい。だから泣き顔を見たいと思うのかな」
「え?」
「それとも、きみが泣くと、時間が止まるから? 見惚れちゃうから? 弱った顔が可愛いから? 意地悪したくなっちゃうから?」
「……倫太郎さん?」
「おれのこれもセイヨクかもなー。はは、ごめん」
困った顔で笑う坂木に、村瀬は視線を伏せる。ぼそっと言った。
「おれたち、寂しい男同士ってことですかね」
「ん、そうかもな」
もしかして誘われるのかなと、そのとき坂木は思った。
しかし、村瀬は誘わなかった。顔を上げてにこっと笑い、「着替えてきます」と言った。姿勢よく、二階に上がっていく。
キッチンに戻りながら、坂木は左胸に手を押し当てていた。
まだ、どきどきしてる。なんでかな。
ぼんやりと冷やし中華の麺を茹でていると、背後に気配を感じた。振り向くと、すぐ近くに顔がある。
「うわ、びっくりした」
「すみません。腹減りましたね」
にこっと笑う村瀬に向かって、ぽつりと言った。
「麻里亜の代わりになってくれるなら、せいちゃんのこと抱いてあげてもいいよ」
強面が傷ついた表情を浮かべる。
いや、ごめん。悪かった。そう言いたくて、言えなかった。わざと傷つけて、牽制のつもりだった。麻里亜に悪いという気持ちも、坂木にこんなことを言わせたのだ。
しかし、村瀬はすぐに微笑んだ。いたずらっぽく。
「おれが抱かれる側ですか? 倫太郎さんのこと、抱きたいな」
「だめだよ。麻里亜と付き合うようになってから、ネコだった時代は忘れた。それとも、せいちゃんが思いださせてくれる?」
茹であがった麺を水で締めながら笑うと、村瀬は背後で黙っていた。
「おれにはむりです。すみません」
苦しそうな顔でつぶやく。麺を皿に盛りながら、坂木はふっと息を吐いた。
「せいちゃん、こういう駆け引きは苦手か?」
「苦手です。おれに言えるのは……倫太郎さんを、抱きたい」
坂木の手が止まる。村瀬の顎は震えていたが、声は落ち着いていた。
「そのこと、気が向いたら、心の隅で覚えておいてください」
振り向く。村瀬の目と、目が合う。顎が震えている。目を細めて、笑っていた。
「……覚えておくよ。でも、覚えておくだけ。な?」
はい、と答えた声は震えていた。だが、目は飢えている。
そうか。せいちゃんも、けだものなのか。健気で奥手で、聞き分けがいいだけの子じゃない。
強い子だ。その荒々しい目が、坂木の胸を震わせる。
こんな気持ちがひどく懐かしかった。
そしてやっぱり、麻里亜に悪いと思った。
ともだちにシェアしよう!